第6章 飛翔〜3〜
第6章 〜3〜
新たな契約は、先輩からの思いやり。
生活スタイルを充実させてくれる音色。
※デリケートな内容が含まれます。
翌日、颯希はCO-CO-ROへ出かける時間を遅らせた。
午前中に済ませたい用事がある。徒歩15分程度の道のりを歩き、そのドアを開けた。
「おはようございます」
「あぁ、おはよう」
ドアの向こうで待っていたのは聡太だ。
父親から会社を引き継ぎ、今は丸石不動産社長になっている。
「じゃ、サッと済ませようか」
颯希の姿に違和感を感じながらも、しっかりと向き合い、書類を並べる。
「あのね、連絡させてもらった件なんやけど…」
当初の契約内容では、現状を見れば今のマンションに見合わない。
一気に収入が上がった事も理由のひとつかもしれないが。
「契約書にな、ここ…」
「あ、こんな事書いてたんですね」
世帯主の欄を指差す聡太は、少々怪訝そうにそこを指摘した。
『日向颯希 男性』
「まぁ、ウエストリバーのオーナーの話やとなぁ、日向君は男性ではないと。じゃあ何て書けって言うたら良いのかは分からん。でも、今の日向君の容姿では、大家さんも更新に対して前向きじゃなくてな」
「誤解されるって事ですか?」
「あそこ、住人どうしの交流ってないやん。余計な事言う奴が居るらしいわ」
要するに、女性っぽくなっていく颯希を中傷するかのように、ある住人から大家へ話があったと言うのだ。
「どうしたら…」
「うん、そこでな」
聡太は真新しいパンフレットを机の上に置いた。
「新築?」
「うん。今んとこは契約の条件も厳しいし、家賃から言うても、もう少し収入の少ない人に充てたいって…大家さんが言うたはるねん」
「引っ越せって言わはるんですか?」
「平たく言うと、そういう事やけどな。で、この部屋も今より防音効いてる感じやし、家賃は多少上がるけど、どうかな?」
残り1室だ。決めるなら急ぎたい。
聡太の持ち出した話は、悪い条件ではない。
「こっちのオーナーさんは、割とジェンダーレスな考え方でな。身分証明は要っても契約書に性別なんか書く欄ないし、日向君には良いのかなって」
颯希の変わりゆく姿に違和感を持った。変わろうとする意味も理解出来なかった。
だけどそれは、自分目線で人を見るからだ。
10人居れば10人それぞれの心があり、それを他人の物差しで図ることなど出来ない。
寧ろ、素直に自分を表現しようとする颯希の心を賞賛すべきだろう。
聡太は頭が良い。ウエストリバーのオーナーとの話の後、自分なりに考え、答を出したのだと言う。
もっと一人ひとりの心を大切にする事。それが住まいを提供する仕事において重要なのだと気付いたのだ。
「心配すんなって。今住んでる人の中にも、日向君みたいな人が居ゃはるわ。CO-CO-ROっていうコミュニティに入ってるって」
「そこ、自分も入ってます」
「そうか! 心強いな!!」
「はい!!」
現在の住まいから徒歩で7分の移動。
そこに、新築マンションが有る。白い壁が清潔感を感じさせる。
「場所的にはちょっとせせこましいけど、中は今より広いかもな」
1LDKだが、リビングがかなり広い。居住性は充分だろう。
「モデルルームとして公開してたんや。だからって、住む事に関してはやっぱり新築物件やしな」
「ええ、充分ですよ。これで月7万円って…」
「まぁ、こんな条件やし、いつ誰が契約してもおかしくない。急かすつもりはないけど、気に入ったら早めに決めてぇな」
「いえ、もう即決ですよ!」
「保証人はオーナーか南条さんってとこか?」
「話してみます」
生活そのものが変わろうとしている。もちろん、颯希の周りの人達も変わっていっている。
長らく深い闇の中で喘いでいたが、少し扉を開けた事で光が差し、柔らかな風が吹いてきた。
「週末、お手柔らかにな!」
聡太のバンド、Red Marksも、Soundboxでのインディーズライブイベントに出演する。共演する度にNick Shock ! に打ちのめされているが、そこは実力の差である事を素直に認めている。
ましてや颯希は、もうプロのクリエイターとしてヒット曲を手がけているのだから尚更だ。
「自分はプロの肩書きもらったけど、Nick Shock ! としてはインディーズの域を超えてないですからね。必死ですよ」
「コイツぅっ!!」
―あはははははは!
そのあと、颯希はCO-CO-ROへ向かった。
季節は夏の初め。肩より少し長めの髪を内巻きにし、半袖のTシャツに薄手のカーディガンを羽織る。ワイドパンツも薄手のカーゴにしてみた。
「こんにちは!」
リビングルームに居たのは、トランスジェンダーの土倉ひろき。元々男性らしい体格を持っていただけに、女性っぽい容姿の今でさえ大柄だが、その仕草や言葉遣いなどは男女の壁を完全に壊している。
「ひろきさん。今日ね、ひろきさんが住んでるマンションの残り1室、契約しましたよ」
「ええー!? そうなの?」
「丸石不動産の石坂さん、高校の先輩で音楽仲間なんです。その石坂さんが紹介してくれて…」
「いや、嬉しいっ! お仲間やもんねっ!」
「はいっ! よろしくお願いしますね」
初めて会った時、仕事を失ったと話していたひろき。CO-CO-ROに通い、福本や颯希の就職支援のお陰で、現在はフレンドリー企業にて活躍していると言う。
「あんな良いマンションに住めるようになったんです。私も皆さんのお陰で、本当に助かってます。ありがとうね、さつきちゃん」
読んでいただき、ありがとうございます。
癒しがあってこその住まい。
人の心に寄り添う仕事。
不動産って、そうなんですね。
暮らしの中で、良い事悪い事、嬉しい事や悲しい事、本当に様々な事が起こります。
本当に心を落ち着ける事が出来る場所、それが自宅。そうじゃなきゃダメなんですよね。
また、近隣に分かり合える人が居るのも喜ばしい事。
聡太さん、やりますねっ!




