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【短編】  作者: カタハラ
6/9

お金を渡す

もっと面白くなるはずだったんですが、何がいけないんでしょう。

(ほんと馬鹿だな)

 呑気に干された洗濯物を見て思う。


 ベランダや軒先のそれは、住人の情報で溢れている。

 家族構成、生活水準、服にかける金。その並んだ列の吊るすバランスや間隔からは、几帳面さなどの性格を知ることができる。

 それに気付かず、太陽と見ず知らずの他人におっぴろげているのだ。ほんと救いようがない。

 そんな家々に展示された洗濯物の列を、不自然にならないよう、歩きながら素早くチェックしていく。


(汚ねえアパートなのに、見栄張ってんな)

 見るからに年季の入った軒先、L字の簡易的な手摺の向こうに干された、ハイブランドのTシャツを見上げながら思う。その列の高さはチグハグで、間隔もバラバラ、パンツや靴下を吊ったハンガーも傾いている。

 そこから容易に住民の想像がつく。

 ガサツで、見栄っ張りで、金の管理もずさん。部屋の中も縛った袋、空き缶、食べ終わった弁当のガラといったゴミと、溢れかえる日用品で足の踏み場もないかもしれない。

(どうしようか……)

 そんな部屋への侵入は簡単で、当人は侵入されたことにすら気付かないだろう。

 問題はそこに目当ての成果があるかだ。

 再び目線を地面に落とす。焼き付けた一瞬の光景を元に、頭の中で考えを巡らせる。

(とりあえず、候補として覚えておくか)


 ◆


 カーテン越しの光が、だらしなく開いた通帳を穏やかに照らす。その最後にこれまでの日々の積み重ねの成果として記載される数字。それを凝視するでもなく、胡坐をかき、ちゃぶ台の上に定まらない視線を向けていた。

(今までの人生で何を残してきたのだろう? ただ薄くスライスして、量り売りしてきただけではないのか?)

 そんな虚しさ悲しさちが心に薄っすらと漂う。

 度重なる孤独や寂しさ、焼けるような情欲、身が千切れんばかりの怒り、生きる意味の哲学。人生に横たわった様々な感情、障害、困難にも、身を縮めてなんとかやり過ごしてきた。

 そして激しい嵐もようやく去った。今は雲ひとつなく、驚くほどフラットな気持ちである。


 自分のRPGを思い返す。ストーリーをコツコツと実直に進め、使わなかった所持金とパンパンのアイテムボックスを残して、エンディングを迎える。いつもそうだ。これは自らの現実の投影、人生の俯瞰図そのものではないか?

 パーッと散財しようと考えても、その使い道の決め手に欠く。

 高い買い物? 海外旅行? 娯楽? 女?

 何でもいいと思うが、いざとなると、どれもピンとこない。


 何の感情もなく、薄っぺらい冊子にある数字の羅列を目でなぞっていた。

 その瞬間、雲の切れ間から差し込んだ鋭い光が、部屋を白く染め上げる。

 突如これまで全くなかった考えが、脳の最深部を貫通するように突き刺さった。

(知らない人に渡そう)

 それはまるで、啓示だった。一度そう考えると、もはや他の選択肢は眼中になかった。

 なぜこんな結論に至ったのか、自分でもうまく説明できない。直感という言葉がしっくりくる。そして、その妄執に取り憑かれ、支配されてしまったのだ。

 加えて自分には、様々な経験から培われた、人を判別する嗅覚がある。つまり、知らないけど信頼に足る人間を選択できる、そんな謂れのない自信があった。

 決意するとさらに晴れ渡る心。そんな心持ちのまま今後の作戦をぼんやりと練っていった。


 ◆


 人生も後半戦であろうカネを渡したい男は、仕切られたベランダの並ぶ奥、格子状の手摺を跨ぐように乗り越える人影を見ていた。

(ここに立っていたら鉢合わせになる)

 そう我に返ると、隠れていた建物の死角から、近くの駐輪場の影にそそくさと移動し、再び身を潜ませた。自然と鼓動が早くなる。

 犯人が低い姿勢で足早に近付いてくる。その顔に着けられた荒い呼吸を通すマスク。隠し切れていない顔からまだ若いとわかる。

 その適度に小さくなった跡をつける。

 一拍置いて平静さを装い、建物の敷地から出た犯人は、歩きながら黒いウインドブレーカーのファスナーを下ろしているようだ。


(犯行の瞬間、初めて見ちゃったよ……)

 胸を高鳴らせながら跡を追う。


 人通りの多い通りに出たと思ったら、犯人はまた人気のない道へと角を曲がる。そしてその後も何度か不規則に道を曲がる。行き着いた先は、住宅地の外れにある捨てられたような児童公園。

 そこに入って行った犯人に続く。

 (目的は何だろう)

 カネが立ち尽くす犯人を見ながら思うと、その身体が急にこちらへ振り返った。


「おい、おっさん。さっきから何の用だよ」

 その怒気を孕んだ抑えるような声は、木の影に隠れたつもりのカネに向けられているようだ。はみ出た身体がビクリと反応する。しかし、そこから固まったように身動きを見せず、自分も木の一部ですけどと言わんばかりだ。


「いい加減にしろ。見えてんだよ」

 その警告するような犯人の声に、カネはおずおずとそのしょぼくれた姿を現す。

「いつからだ?」

 年下であろうその鋭い眼光に耐えられない。カネは気まずそうに顔を逸らしていたが、それでも容赦なく横顔を焼き付ける視線の感覚に根負けした。


「ベランダから出てきたときからです」

 犯人のやっぱりかというような溜め息。

「どうするつもりだ? 警察にでも連れて行くか?」

「いえ、そんなことは……」


 そう自分の蒔いた種に戸惑うカネは、改めて目の前に立つ犯人の全身を盗み見る。

 背が高く、軸のしっかりした立ち姿、少し色の抜けた無造作な髪。そんな姿に思う。

(若いっていいな)

 その瞬間、雲の切れ間から差し込んだ鋭い光が、マスクの顔を白く染め上げる。その陰影が光の中に曖昧になり、透明な輝きを放つ神秘的なまつ毛と、強い意志の感じられるダークブラウンの瞳だけが浮かび上がった。

 そして再び、これまで全くなかった考えが、脳の最深部を貫通するように突き刺さった。

(この人に渡そう)

 これは啓示。その直感をカネは当然のように受け入れる。


「私の見たことは、誰にも言いません。でも、それで、代わりと言っては何なんですけど……」

「は? おっさん、脅すつもりかよ」

「いえっ! ではなくてですね。そのーあの……」

「いい歳したおっさんのモジモジなんて見たくないんだよ。早く言えよ」

「わかりました。言います。私のお金を受け取って欲しいのです」


 最初、犯人は聞き間違いかと思った。しかし中年男性の開いた瞳孔に、荒い鼻息の熱と興奮の中に、異常な何かをはっきり感じる。


「お金、欲しいんですよね? だから人の家に入ったんですよね?」

 捲し立てる口調が、脂っこい表情と相まって気持ち悪い。


「そうだけど……なんか違う」

「どう違うんですか? 同じお金。私からはノーリスクですよ」

「意味がわからない」

「そんなの、どうだっていいじゃないですか。

 金が手に入る。あなたの問題が、欲望が解消される。大切なのは、その事実だけです」


 取り憑かれたような猪突猛進的な態度に、圧倒される。

 ――カシャ

 気付くと、目前に突き出されたスマホ。


「――っ! てめえなに撮ってんだ!」

「受け取らないなら、このまま警察に行きます」

 画面を確認しながら、落ち着いた声で言い切る。


「念のため、もう一枚」

 ――カシャ

「――っ! このサイコ野郎!」

「ほら、どうするんですか。受け取るだけでいいんですよ」

「クソッ!」


 本当に訳が分からなかった。頭のおかしなカネの行動の意味、その目的。

 そして、それを頑なに拒む自らの態度。

 (あれ?)とその違和感にも気付く。

(別に受け取っても問題ないんじゃはないか?)

 ヤバい金だとしても換金する方法はいくらでもあるし、その金額もまだ聞いていない。それに、このまま警察に行かれる方が明らかに厄介だ。

 その考えは、犯人を徐々に落ち着かせる。

「……ちなみに、いくらだ」


 その質問に、カネは頬を持ち上げるくらい口角を上げた。


 ◆


 「ちょっと待っていて下さい」という弾むような指示に従い、犯人はコンクリートを固めたようなベンチを一瞥し腰を下ろした。

 結局、その金額は聞けなかった。「それはお楽しみです」という軽くウインクするような一言に、まだ胸やけがしている。

「クソが」

 膝に置いた腕に付いた指を組み、地面を睨みつけるように再び呟く。

 確かに窃盗を繰り返していた自分にも罪がある。しかし、これはどういう天罰だ。雲の上の暇を持て余した悪ふざけとしか思えない。金を受け取った瞬間、奈落の底にでも落とされるのだろうか。

 溜め息を吐くように、手の位置を後ろに移す。胸を張るように見上げる空は、忌々しいほどに晴れ渡り澄み切っている。無限の光景を前に、すべての嫌悪感が吸い込まれるようだ。そして、不意に考えが舞い降りる。

(もしかすると逆に、その憐れんだ主が慈悲を与えようとしているのではないか。小汚い中年を使いとして)

 分厚い疑念の雲が霧散していくと、元来の楽観が顔を覗かせる。

(きっと、そうだ)

 そんな晴れ渡るような気持ちで、今後の展開を巡らせる。


 ◆


「お待たせー」

 オッサンが小走りで近付いてくる。その姿は可愛い彼女を彷彿とさせ、両手で厚みのある封筒を隠すように抱え込んでいる。


「遅えよ」

「ごめんごめん。引き出せるATMがなかなか無くて」


 息を落ち着かせ「ハイこれ」と手渡されるパンパンに張った封筒。ズシリとした紙特有の重みを感じる。

「コレ――」

「そう! 結構あるでしょ。大抵のことはできると思うよ」

 その額は汗で薄っすら光る。そのまま「じゃあ」と満面の笑みで片手を上げ、その場から立ち去ろうとした。

「ちょっと待てよ!」

 そして思わず口にしてしまう。

「代わりに何か望みを言え。でないと気分が悪い」


 キョトン。


「何かないのか?」


「お金を渡すことが唯一の望みでしたから、他には特に……

 あとはこちらの問題です。巣立っていった子供を思うように、どこかで元気にやっているんだろうなと、時どき幸せな気分に浸る。それだけで十分です」


 そんな清々しい表情を前にしても納得がいかない。けれど他人の中で勝手に完結する願望に、犯人は何も言うことができなかった。

 そんな姿に一瞬考え込んだカネは、朗らかに伝える。

「では、金輪際、私に関わらないで下さい。お金を何に使ったか、そんなことに興味はないし、逆に聞きたくありません。好きに使って下さい。

 それでも納得いかないのなら、気が向いたとき、私の家の様子を見に来てください。強制ではありません。あなたの気の済むまで」

 そして家の場所が付け足される。

 染み付いた苦労を感じさせる、少し曲がった後姿が、公園を抜け遠ざかって行く。それを呆然と見送る。ぼんやりとした重みを手にしながら。


 ◆


 そのあと何度か、教えられた家を見に行った。それは以前から知っていたアパートだった。

 崩れ落ち色褪せた外壁、根深く錆びついた手摺、割れた窓に当てられた段ボールとビニールテープ、黄ばんでボロ布のようなカーテン、散らばるコンクリートの破片、放置された前輪のない自転車。人が住んでいるのか疑わしい、そんな印象が強かったから記憶に残っていたのだろう。

 置かれた年季の入ったシルバーカート、玄関脇の小窓に映る洗剤、開け広げられた網戸と奥に見える玉状の暖簾が、アパートの住人達の存在をかろうじて示していた。

 中年の部屋は、二階の三部屋ある内のひとつだった。

 軒下の曇った窓ガラスの前に、いつも白い肌着が風に揺れていた、そんな気がする。


 泡銭はすぐに消えた。


 ◆


 出所した後、特に行く当てもなかったので、自然と何度か通ったそのアパートへ足が向いた。もう取り壊されているだろう、そんな予感も抱えながら。だから、その一部が遠目に見えた時は心臓が跳ね上がったようだった。足早にアパートへの道筋をなぞる。

 ショベルが振り上げられたままの重機、半壊された残骸が夕日の中たっていた。年代を感じさせる残された部屋の部分が、図鑑のイラストのように剥き出しになっている。

 その光景と自分は無関係だった。

 顔も曖昧なその人の所在を思った。

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