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【短編】  作者: カタハラ
3/9

蛇 【3作目】

虚無感について書きたいと思いました。

結局、一人称に僕が似合うような、未熟な主人公の話に落ち着きました。

 昔から、物心がついた頃から、漠然とした虚しさがいつもそばを離れなかった。

 成長するにつれ、それは、徐々に大きく重みを増し、虚無感として感じられるようになった。

 あるときは、喉をじわじわと、ときには全身を拘束するように締めつけ、あるときは、心の奥底に潜み、耳元ですべてを否定する言葉を囁き、気を落ち込ませた。

 何かに集中しているときは気を逸らすことができたが、意識するとそれは変わらず存在し、また自分を苦しめた。


 これは、何なのだろう。

 なぜこんな嫌な気持ちに付き纏われなければならないのだろう。


 僕は祈った。どうかこの虚無感が去りますように。

 目覚めたとき、移動中、ふとした瞬間、寝る前の布団の中。

 許しを乞うた。もう許してください。

 神様でも仏様でも悪魔でも何でもいい。





 気が付くと、蛇は僕に巻き付くように取り憑いていた。

 腕よりも細いが、長く、表面は乾いた黒で、目は黄色く光っている。

 通常であれば、そんな非現実的で理不尽な状況に気が動転しただろうが、不思議と、心が揺れることはなかった。そして、自然と頭に浮かんだ答えを受け入れることができた。


 その蛇こそが虚無感であると。


 これまで虚無感である蛇が引き起こしてきた症状の原因を、目の当たりにすることができた。

 全身、部分的に締め上げる。

 口を無理やりこじ開けることなく、呼吸の一部のようにその隙間に吸い込まれるように身体を滑り込ませ、喉、さらに奥に入り、静かに不気味にとぐろを巻く。ときには、周囲の内臓を刺激するように暴れる。

 耳から頭の中に入り、不安なこと、悲観的なこと、すべてが無意味で無駄だということなどを僕の声で囁く。

 幻覚に近いらしく、痛みといった具体的な感覚はないが、蛇の行動はこれまで通り、僕の心を不快で覆い尽くし、不安定にさせた。


 さらに、何の特典かは知らないが、自分の蛇だけでなく、他人の蛇も見えるようになっていた。

 他人の蛇はその大きさ、長さ、色など、熱帯にいそうな鮮やかな色、陰に紛れるような暗い色、縞々といった柄、人の身体を覆い隠すような大きさから、指くらいまで、いろいろといた。

 しかしほとんどの蛇は、その飼い主に干渉することに関心を示さず、主をお気に入りの灌木とでも勘違いしているかのように、リラックスした様子で思い思いに過ごしていた。

 もちろん取り憑く蛇の姿が見えない人も少なからずいるが、目を凝らすと大抵は見つけることができた。


 僕は、自分の蛇が見えるようになったことよりも、他の人の蛇が見えたことに驚いた。


 この蛇、この虚無感は、自分だけの苦しみで、普通の人には理解、想像すらつかない、人生に関係のないものだと。普通の人だったら決してこの苦しみに耐えらない、自分だからどうにか抵抗できているのだと。

 苦しさの反面、どこか自分が特別のような、優越感をもたらしていた。だがやはり、何にも悩まされずに平凡に暮らす人々を妬ましくも思っていた。


 しかし、目にした現実は違った。この虚無感は皆にあったのだ。特別ではなく普通のことで、皆それぞれ折り合いをつけ、囚われることなく日常を送っている。

 他人の虚無感の有無について考えたことなどなかった。そもそも考えが及ばなかったのだ。


 心なしか俺の蛇も少し大人しくなったような気がした。





 先輩に取り憑く蛇は大きかった。


 ヌメリのある赤銅色の胴体は、まるで海外の蛇使いが身体に巻き付けるようなサイズだった。その反面、目はつぶらで黒々としており、不釣り合いで不気味な雰囲気を醸している。


 初めて先輩の蛇に気付いたとき、思わず声を上げてしまった。


「うおっ!」


 黒い目と合った。閉じた大きな口からは、沈んだ赤黒く、生々しい舌がチロチロとこちらを威嚇している。

 その声に反応した先輩は振り返り、僕の顔を見た。一瞬驚きを含んだ瞳はすぐに落ち着きを取り戻し、こちらの表情を、全身を探るように行き来した。

 そして、思索するような間が空き、ゆっくりと呟くように言葉を置いた。


「もしかして、気付いてる?」


 その表情からは、何も読み取れない。

 少しでも時間が経てば、その問いかけは流れて行くだろう。

 僕は、咄嗟に浮かんだ選択肢から言葉を選び答えた。


「その大きいの、気にならないんですか?」


「あー。うん。慣れたかな。」


 その瞳は平熱に戻っていた。



 先輩は、職場では社交的だった。誰にも別け隔てなく声を掛け、誰からも悪く思われることなく、飄々とステップを踏むようにコミュニケーションをとっていた。


 それから、休憩の合間や仕事終わりなど、ときどき話すようになった。


「先輩は、いつから見えるようになったんですか?」


「高校に上がる頃かな。最初は、なんか気配がするなっていうだけだったんだけど、段々と輪郭がハッキリしてきてね。それでも、今も、鮮明には見えないよ。ぼやっと、影みたいに、いるなって感じ。」


 話す機会が増え、先輩のことを意識して見るようになったが、仕事も、行動の一つ一つもテキパキとしていた。


「蛇、なんか悪さとかしてきません?」


「特に無いかな。あまり気にしないし、コイツもこっちを気にしてないみたい。いつもマジマジと観察してるわけでもないしさ。」


 雑談の中で声を弾ませ、困っている人がいれば自然と手を貸し、調子が悪そうな人にはさり気なく声をかける。先輩の周りはいつも明るく柔らかい空気で包まれている。


「コイツを手懐ける方法って、あるんですかね。」


「自分の機嫌を取ることじゃない? 自分がダメなら、どうしようもないよ。

 趣味とか、好きなこと、気晴らし、楽しみをつくること。

 やっぱり、何でもいいからさ、気分良く過ごせる工夫って必要だと思うよ。」


 ノートに何かを書きながら話す先輩。無造作にまとめられた髪。気丈な眉の下の長いまつ毛が照らされる。


「でも、俺、何にもないからなあ。」


「そうなんだ。でも、何かあった方が楽だよ。人生って思ってるよりも長いから。」


 ノートから顔を上げ、こちらに向けた澄んだ瞳の焦点が自分と合う。

 いつもとは違う感情に心がゆるく締めつけられる。


「何か考えてみようかな。」


 代わり映えしない日々に、少し色が添えられた気がした。





 先輩が職場から消えたのは、なんの前触れのない当たり前の日だった。


 日が経つごと、その現実感が増すごとに、頭の空白は広がり、その心に空いた穴の大きさを、吹き抜ける冷たい風で実感できた。

 理由はわからなかった。聞き耳を立てて周りの噂を集めるが、詳細は誰も知らない様子だった。そして、その話題の声の調子は一様に暗かった。


 蛇の深く真っ黒な目が、こちらを見つめて舌を出す顔が浮かぶ。

 太い胴体で締め上げ、粘液を引きながら大きく口を開けるところを想像する。先輩は抵抗しない。うつろな瞳をこちらに向けている。

 丸呑みされたのだろうか。光も音さえも届かない真っ暗闇なのだろうか。そのまま消えてなくなるのだろうか。

 そのときはどんな気持ちなのだろうか。


 蛇の腹を裂いて、粘液まみれの先輩を救い出す想像もした。だが、その想像は実現に向けて熱を上げることはなかった。僕が先輩について知っていることがほとんどなかったからだ。


 この思いも、だんだんと小さな断片へと分かれていくのだろう。そして、そのひと欠片を拾い上げてはキレイだなと懐かしむようになるのだろう。


 まだ、小さな黒い蛇は僕に取り憑いている。きっと。

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