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IBSS特務課:キマイラバスターズ

作者: 成井シル

「たった二人相手に、何を手間取ってるんだ!」


 男が、無線機に向かって怒号を飛ばす。

 だが、それを受信しているはずの誰からも、応答はない。

 北米の山間部に位置する、かつて要人警護施設セイフハウスとして造られた堅固な建物に、不気味な静寂が流れる。

 つい先刻までけたたましく鳴っていた銃声はすっかり止んでいた。

 コツ、コツと何者かが床を鳴らして近づいてくる。

 ゆら、と通路の陰から姿を覗かせたのは、女だった。


「成敗しにきたわよ♡」


 女――夜空色のロングヘア、満月色の瞳、体のラインがはっきり見える漆黒のボディスーツ、そのすべてが、彼女の『美しさ』を演出している――が、微笑みながら、腕を組んで立っている。


「神妙にお縄につきなさいな。非合法生体販売組織の……あれ、なんていう組織だっけ?」


 女が背後の暗闇に向かって声をかける。


「『双頭の蛇』です。まったく、どうして固有名詞を覚えようとしないんですか」


 ウィーン、ゴロゴロ、という音とともに姿を見せたのは、女の腰ほどの高さの、純白で無機質な体だった。

 円錐をひっくり返したような体で、下部に球体がくっついている。

 それはまるでチェスのポーンの駒をひっくり返したような形状だった。

 先ほどの『足音』は、電磁石を利用したその球体を転がして移動した音だった。

 体の上部にはモニターがはめ込まれており、直線を組み合わせて『目』を簡易に表示している。


「新しいことを覚えようとしても、エネルギーがおムネにいっちゃうのよね~、きっと。アルみたいに、機械の体だったら、全栄養を内部の脳みそだけに注ぎ込めるんだろうけど」

「……怒りますよ。それを言うならアキさんの場合、経口摂取した栄養は優先的に脳チップにいくようになっているはずです」


 アルの『目』が、アキをじろりと睨む。

 まるで緊張感のない二人の会話に、男は好機を見た。

 三十人以上いた屈強な戦闘員達をやったのは、こいつらじゃないな。

 この場を切り抜けて、逃げおおせてやる。

 男は音もなく、腰の後ろの銃に手を回し、一呼吸で女に向ける。

 ガチッ、という引き金の音と共に、殺傷だけを目的とした弾の筋が走る。

 避けられるはずがない。

 それなのに――


「あら、残念でした~」


 女が笑った。


「じ、銃弾だぞ? 避けられるはずがないだろうが!」


 二度、三度と引き金が引かれ、都度、致命の無機物が発射される。

 女はそれらを、身をひるがえし、こともなげにかわし続ける。


「ば、ばけもの……いや、新しい生体改造か何かなのか……?」


 男が震える声で発した言葉に、女は口を尖らせた。


「絶世の美女を前にして、失礼しちゃうわね~。私の体は正真正銘、後付けナシ、純度100%よ。――ま、化粧はしてるけど」


 カツカツと硬質な靴底を鳴らして、女が歩み寄る。

 ガキン、ガキンと引き金の音がなるが、それによって飛ぶ弾は、ただ奥の壁に当たるばかりだった。

 女は歩きながら、両手の拳に付けたプレートを叩き合わせて起動させた。

 拳の先に、青白く輝く力場が発生する。


「お・や・す・み♡」


 女の拳が軽く男の顎に触れる。

 バチン、と痛ましい音がなり、男は白目をむいて崩れ落ちた。


「ゲームオーバー……もとい、ミッションコンプリートぉ!」


 両手を上げて喜びを表現するアキに、アルが無機質な声を浴びせる。


「スタンモードだから死にはしないとしても、対 複合獣キマイラ用の装備を生身の人間に使うのはどうかと思いますよ。それに、今回の任務はここからが本題です」

「はいはい、分かってますって。アルったら、真面目なんだから」


 ウィーン、ゴロゴロという『足音』を鳴らし、アルが倒れた男に近づく。

 そして、カチカチと細いアームを何本もボディから伸ばし、小器用に男の服をまさぐった。


「や~ん、アルったら、そういう趣味なの?」

「どういう趣味ですか。馬鹿なこと言ってないで、早く攫われた子供たちを救出しに行きますよ……ほら、ありました。これが鍵です」


 アルは発見した物をアキに向かって放り投げた。


「わぉ! カードタイプのキーなんて、骨董品レベルじゃない?」




「International Biological Subject Service、通称 IBSSアイビスの活躍により、非合法生体販売組織『双頭の蛇』は壊滅した。彼らが商品とすべく誘拐していた少年少女は無事に救出・解放され、現在は検査・治療中である……」


 太平洋上に建設された大規模多目的施設の一角、殺風景な執務室で、前時代的な、紙媒体の大衆向け情報誌――新聞の記事を読み上げると、壮年の男はじろりと視線を上げた。

 視線の先では、アキとアルの二人が喜色を隠さない様子で立っている。


「……一方、いち民間企業であるIBSSがこのような活動を展開していることについて疑問視する声も多い。特に今回は、活動中の彼らについて「食い逃げされた」「バイクを盗まれた」などの声が寄せられており、現地警察が事実関係を確認している、と」


 アキとアル、二人の視線がだんだん下に向いていく。

 それぞれに、瞳と、ボディ上部モニターという違いはあれど、タイミングは一緒だった。

 男はダークグレーの髪をかき上げ、同じ色の眼光で鋭く二人を見る。

 高級そうな革張りの椅子が、ギィ、と鳴った。


「何度言ったら分かるんだ!!」


 男が、執務用のデスクを強烈な勢いで叩いた。

 机上のティーカップが、一瞬、宙に弾んだ。


「良識のある行動をしろと、毎度毎度言ってあるだろうが!」


 アキが子供のように頬を膨らませるのを見て、顔を赤くした男がひとまず感情を抑えて続ける。


「アキ。お前は、人間か?」

「またそれぇ? う……はいはい、分かったわよ。私は人間よ。だって、自分がそうだと思うから」

「アル。お前はどうだ」

「僕も人間です。なぜなら、自分がそうだと思うからです」


 ふぅ、と短く息を吐いて男が言葉を紡ぐ。


「そうだ。脳がチップのアキも、体が機械のアルも、両方生身の俺も、みな等しく人間だ。西暦末の『新暦人権宣言』でそう定義づけされた。AIやクローンに人権はあるのか、という命題に対する明確な答えが出て、西暦から新暦となり、はや20年だ。確かにカラーやセクシャリティといった、出自による分断から人類は解放されたかもしれん。しかし、そういう時代だからこそ――」

「だからこそ――」


 アキが男の発声から百分の一秒ほど遅れて――つまり、常人にはまったく同時に聞こえるタイミングで――言葉を発していく。


「「人はどう生きるかを自らに問い、よりよく生きようとせねばならんのだ」」


 これまでに何度も口にしてきた自身の座右の銘を、一言一句アキに重ねられたことに気づき、男が紅潮する。

 アキはといえば、どこ吹く風で口を尖らせた。


「……んなこと言ったって、人工生体クローンじゃない生身の生体欲しさに、あくどい連中が世界中で子ども達を誘拐してるのよ? 複合獣キマイラが暴れまわってる状態でもそんなことする連中がいるんだから、よりよく生きるもクソもないじゃない」

「まったくです。そもそも、人工生体の研究・製造・販売を手掛ける良識ある企業だったIBSSが、その専門知識をいかして複合獣キマイラ相手の武器製造を余儀なくされているという時点で、綺麗なお題目は虚しくこだまするというものです」


 連携して反論をする二人だったが、上司のひとにらみに口を閉ざさざるをえなくなる。


「『人種整理ディバイド』以後、世界中に突如として現れた複合獣キマイラは人間の天敵だ! それに対抗すべく結成されたIBSS特務課、通称キマイラバスターズは、いわば正義の味方だ! お前たちにはその一員であるという自覚がな……」

「でも、キマイラバスターズとかいう名前の割に、ここ3回の仕事は犯罪組織の制圧だったわよね」

「非合法の生体製造や販売は確かに悪ですが、キマイラバスターズの自覚があったら、逆に請け負えませんよね」

「そもそも、キマイラバスターズっていうダサい名前も、今から変えられないのかしら。スターリング課長が考えたんでしょ、この名前」

「西暦時代の娯楽映画に傾倒している課長らしいといえばらしいですが、由緒と格式を感じる名称ではないですよね」

「そういえば、西暦時代の映画で視覚と聴覚で楽しんでたって本当? 嗅覚や触覚、味覚が連動してないと、ダイレクトに映画の世界を堪能できなくない?」


 矢継ぎ早にやりとりを加速させていくアキとアルに、スターリングの眉間の皺が深さを増していく。


「お前ら、いい加減に……!」

「失礼します」


 ノックもなしに部屋に入ってきたのは、全体がエメラルド色の瞳をもち、金属光沢のある体をもつ人物だった。

 輝くような金髪のポニーテールが揺れる。


「パフィンか。支援課から特務課に転属するときの引継ぎで、執務室にエージェントがいる場合はノック七回と聞かなかったのか」

「申し訳ありません。ただ、緊急の要件とのことでしたので」


 パフィンはそう言うと、走り書きされたメモ用紙をスターリングに差し出した。

 それを見て、特務課課長は肩を落とし、大きくため息をつき、それからアキとアルを見た。


「緊急の事案だ。ニッポンで、複合獣キマイラが確認された。現地の軍組織や警察機構の装備では対処できない可能性があるため、至急特務課を派遣してほしいそうだ。特務課は慢性的な人手不足。帰ってきたばかりで早々申し訳ないが……」

「了解しましたっ! アキ=オブタリスク、直ちにニッポンに急行いたします!」


 雑な敬礼をしたかしないか、素早く腕を動かして、アキはすぐさま部屋を出て行った。


「アルバート=ロス、復命します。これより日本に向かい、現地のコーディネイターと協力し、複合獣キマイラの討伐に尽力します」


 無機質な、しかしどこか嬉しそうな声を発して、アルも一本のアームを伸ばして敬礼のような形をとり、ウィーンゴロゴロと部屋を出て行った。

 あわただしく二人が出て行った部屋に残されて、スターリングとパフィンは互いに見合わせて苦笑を浮かべた。


「まったく、騒々しい……転属早々、驚いただろう?」

「い、いえ。特務課で唯一の任務成功率100%コンビのサポートが出来ることを光栄に思っています」


 パフィンの言葉に、スターリングは笑う。


「その数字だけを聞けば、悪い気はしないんだがな。決算の数字を見ると、いち企業としては頭が痛くなるぞ。何せ新型の対 複合獣キマイラ装具ギアを惜しげもなく消耗してくれる上に、行く先々で迷惑料を支払う羽目になってるからな」

「その記事のことなら私も確認しましたが、食事中に組織構成員を見つけて、逃げられ、代金を支払う余裕もなく、市民が乗りかけていたバイクを強奪して追いかけた、というのが真相のようでしたよ。しかも、彼らが派手に活躍してくれているおかげで、IBSSの株価は上昇傾向にありますし」

「やれやれ……ニッポンでも無事に仕事をこなしてくれるといいんだが」




「わぉ、あのたっか~い山って、もしかして……ねぇ、カサギギさん、あれがフジサン?」


 亜音速鉄道の車窓で小手をかざし、アキが山を見上げる。

 そのアキを向いて、アルがキュィィ、とモニターを傾げた。


「カサギギ、じゃなくて、カササギ、さんです。ちゃんと固有名詞を覚えてくださいよ。失礼だし、恥ずかしいし……」

「いえいえ、いいんです。分かりにくい名前ですから……それと、ええ、あれが富士山ですよ」


 お~、と歓声を上げるアキに、カササギは首をかしげる。

 その首から上の頭部は、肩ほどの高さで切りそろえられた黒髪も含めて生身だが、首から下は違った。

 肌の色は顔の色と同じだが、表面に皺や指紋を一切持たない、クローン技術による生体である。

 生身の体よりもエネルギー効率に優れ、メンテナンスも簡単であるため、新暦で生身にこだわらない人々にとってはスタンダードな体の一つであった。


「アキさんの出身は日本だとお聞きしましたけど……富士山を見たことがなかったんですか?」

「生まれは日本なんだけどね。西暦末、小さかった頃に脳炎にかかって、アメリカに渡ったんだ、私。そこで脳をチップ化する電子変換手術を受けて以降ずっと向こう住みだから、日本の思い出ってあんまりないんだよね~」


 アキの言葉に、カササギが表情を曇らせた。


「すみません、おつらい記憶を……」

「全~然。つらくないどころか、そのおかげで今の仕事に就けてるわけだしね~」


 あっけらかんとするアキに、カササギはきょとんとした表情でアルを見る。

 アルが、スピーカーを鳴らす。


「アキさんは、脳をチップに変換した際に、高位変性ハイ・ディネチュレイションが起きているんです」

高位変性ハイ・ディネチュレイション?」

「極めて稀有な現象で、件数は少ないですが、すべてのケースで人間離れした能力の獲得が認められています。アキさんの場合は、超高性能スーパーコンピューターの演算能力が付加されたような感じですね。その演算能力が神経とダイレクトにつながっているので、常人には不可能な身体能力と反射行動を実現しています」


 今一つ要領を得ず、カササギが首を傾げる。


「えっと……具体的には、どんな?」

「銃弾を目視で避けたり、相手の口の動きを見てほぼ同時に同じことを喋ったり……色々ありますが、特務課の仕事を務める上では極めて有効なものばかりです。単純な格闘戦でアキさんに勝てる人間は、歴史的に見ても皆無でしょうね」

「えっへっへ~、あんまり褒められると照れちゃうな~」

「いえ、褒めてはないです。客観的な事実を説明しただけです」


 ぶぅ、と頬を膨らませるアキを見て、カササギが笑う。


「生身なのにスタイルがすごくよくて、美しく、そんな特別な力まであるなんて……羨ましい限りです」

「え、なになに? 誰が美しいって?」


 パッと表情を輝かせて、アキが高い声を出す。


「よくぞ言ってくれました、ってカンジ! 自分の脳がないからこそ、自前の体は美しく保ちたいっていうのが私のポリシーなのよねー。目標はね、ミケランジェロのダヴィデ像!」


 興奮気味に、そして恍惚とした表情で語るアキに、アルが無機質な視線を投げかけた。


「だから……女性型の生体で目指すのなら、ミロのヴィーナスの方が適切だといつも言っているじゃないですか」

「いいの! ヴィーナスよりもダヴィデの方が、たくましくって好みなんだもの。それに、男だの女だのにこだわるのは、時代錯誤もいいところよん?」

「でも、どうやったって、足りないものがあるじゃないですか」

「ぐぬぬ……それは……後付けを検討するわよ」


 二人の会話に、カササギがついに噴き出した。


「本当に仲がよろしいんですね、おふたりとも」

「まぁね~。こんな偏屈キッズの保護者は、私にしか出来ないってカンジ?」

「逆です、逆。この暴れん坊お姉さんの監視は、僕にしか務まらないと思います」

「ふふ……あ、次の駅で降りますね」


 3人は流線型の陸上交通機関を降り、旧式の四輪駆動の自動車に乗り換えた。

 シートに座った拍子に、アキの腹の虫が鳴った。


「カササギさん、もしも、もしもだけど、可能だったら食事の時間を……」


 アキの遠慮がちな猫撫で声に反応したのは、カササギではなくアルだった。


「余計な犠牲者が出る前に突撃して事態を収拾させる、と言ったのはアキさんでしたよね」

「わ、分かってるけど……だって、お腹空いたんだもん」

「あの、こんなものでよければ召し上がりますか」


 そう言ってカササギが後ろ手に差し出したのは、こぶし大の何かだった。

 それを見たアルがモニターに表示された目をいつも以上に輝かせる。


「おぉ、おにぎり、またの名をおむすびですね。焚き上げた白米を球状にし、中に好みの具材を忍ばせるという日本の伝統食」

「私、今の体になって日が浅いせいか、生身の頃に食べていたものを摂取した方が調子がいいんです。本来は、クローン生体用のものを食べた方が効率がいいはずなんですけれど」

「ほんと、そういうとこ、人間って不思議よね~。理屈とは別次元っていうか……ってことで、遠慮なくいただきま~す」


 カササギから握り飯を受け取り、アキがぱくつき、あっという間に平らげる。


「いつも言いますが、よく噛んで食べないと、あとでお腹痛くなりますよ」

「いつも言われるけど、なったことないでしょ、一度も」

「まったく……カササギさん、どう思います? やっぱり僕の方が保護者というか、大人だと思いませんか?」

「な~にが大人よ。能力はともかくとして、生まれてからの年数なんて10年程度のおこちゃまでしょうが」

「精神年齢のことを言っているんです、僕は。それに、年齢の話をするなら、アキさんの方こそ――」

「あー! あー! それはナシ! 世界中の言語を習得した天才少年のくせに、「女の秘密はアクセサリー」ってことわざ知らないの?」


 アキとアルの言い争いが車内を賑やかしながら、三人を乗せた車は走り続けた。

 景色はだんだんと灰色を失い、緑色が多くなる。

 車はすっかり街を出て、あたりには建物らしい建物はなくなってしまった。


「もしかして、ここって……」


 アルが上ずった声を発した。


「青木ヶ原樹海です。ご存じですか?」

「やっぱり! ご存じも何も!」


 アルのスピーカーから割れるような歓声が響いた。


「富士の樹海と言えば、古来より日本の創作物に使われてきた舞台のひとつではないですか! ああぁ、日本に来れてよかった……」


 感激しているアルを横目に、アキが言葉を次ぐ。


「相変わらずの昔話オタクね~。それで、その有名な樹海に現れた複合獣キマイラは、どんな奴なの?」

「……周辺の人里が襲撃され、外にいた住民はことごとく犠牲になりました。遺体には裂傷のほかに、焦げたような傷跡も確認されています。生存者によると、「ヒョーヒョー」という奇怪な鳴き声が終始聞こえていたとのことです。また、関連は不明ですが、原因不明の体調不良になっている方が大勢います」


 ふむ、と口元に手を当てて、アキがアルを見る。


ぬえという日本古来の怪物の特徴に合致しますね。猿の顔に狸の胴体、さらには虎の手足に尻尾は蛇。西暦1000年頃に日本の都に出現したとされ、声を聴くだけで病になったとか、雷を操ったとか、色々な逸話が残っています」

「じゃ、複合獣キマイラで間違いなさそうね」


 納得の表情で頷くアキに、カササギの不思議そうな視線が注がれる。

 それに応えたのはアルだった。


「世界中に出現している複合獣キマイラは、世界各地の民話や神話、伝承といったものに登場する姿のものばかりなんです。その理由や原因は不明ですが」

「人類憎しで暴れまわる、ってところも共通していて、その理由も不明なのよね。一部では「人類の間違った進化に対する地球の免疫反応だ」なんて言われてるけど……ん?」


 三人を乗せる車は、ゆっくりとスピードを落とし、やがて止まった。

 前方、森を入って行ったその先に、立ち上る黒煙が見えたからである。


「警察機構や軍組織が、先に動いたんでしょうか」

「分からないけど、カササギさん、ここまででいいわ。待機もナシ。急いで街まで戻って、連絡があるまで周辺に近づかない、そして誰も近づけさせないでね」


 アキとアルが車から降りると、カササギは二人の健闘と武運を祈る言葉を口にして、言われたとおりにした。

 二人は黒煙に向かって進み始めた。


「ねぇ、アル。日本の対 複合獣キマイラ装備って、整ってるの?」

「装備自体は。ただ、人口減少の著しい国ですから、それを扱う人的リソースが圧倒的に足りていないはずです。複合獣キマイラに対して唯一有効な、電気・固有振動・変異原性化学物質の連続刺激を与えるには、通常は大掛かりな装置とそれを操作する人員が必要ですから、厳しいでしょうね」

「ま、だからこそ、それを少人数で実行できる特務課に要請がかかったってわけだしね」


 鬱蒼と生い茂る木々の下を、アキが先導し、アルが続く。


「静かね」


 そう言ったアキの言葉が不気味に響くほど、森の中には音がなかった。


「虫の声も、鳥の声も、木々のざわめきすら。みんな何かに怯えているみたい」


 静寂を切り裂いたのは、甲高い声だった。


「ひょう、ひょう……」


 アキが立ち止り、アルを見る。

 アルはモニターに移す視線を上下させて、頷きを表現した。


「一応聞いておくけど……そのムエってやつ、昔話の中ではどうやって退治されてるの?」

ぬえです、ぬえ。平家物語に登場したものは、当時の侍……つまり戦士が、上空に矢を射て退治しています」

「そっか。まぁ、弓矢で殺せるんなら、剣でも銃でもやっつけられるだろうから、そこは当てにならないわね」


 二人の会話がそこで途切れた。

 音もなく、樹上から一体の怪物が舞い降りたからである。

 白目の無い闇の目をした猿の顔が、憎悪の表情で二人を睨みつける。

 その胴体はごうごうとした体毛で覆われ、尾があるべきところからは一匹の蛇が鎌首をもたげていた。


「……撮影完了。ツール展開。特殊高分子ネット、円月輪、小型避雷針、射出準備完了」


 アルが上体から三本の細いアームを伸ばす。


「アキさん、気を付けてください。伝説通りに電撃を使うとすれば、銃弾と違って軌道が不規則にな――」


 瞬間、稲光が輝いた。

 鵺の面前から幾筋もの雷光が走る。

 白煙と黒煙が入り混じって立ち込める。


「ヒョー、ヒョー、ヒョー」


 心なしか愉悦の響きをもって、鵺が鳴く。


「おっどろいた~……アル、平気!?」


 煙の中から、アキの声が広がった。

 敵の無事を認識し、鵺がにわかに顔をしかめる。


「僕の体は絶縁処理が施されてますから。それよりすみません、避雷針の射出が間に合いませんでした」

「いいわ、平気。あれくらいの本数なら目視でかわせる。でも、驚かせてくれた分のお礼は、しっかりしなくっちゃね!」


 アキが鵺に向かって駆けだした。

 ヒョー、と不気味に鳴きながら、鵺はまた幾筋もの雷撃を発生させた。

 だが、そのほとんどがアキを避けて左右に散らばっていく。

 アルが放った小型の特殊避雷針が、それらを引き付けていた。

 アキが両拳の拳装具フィストギア同士を叩きつけ、青白い力場を発生させる。

 鵺が大口を開けてアキに噛みつきかけるが、アキは体を半身ずらして胴体横に身を躍らせた。


「そぉれっ、と!!」


 渾身の力で、アキが鵺の横腹に強烈な一撃を見舞う。

 拳装具フィストギアから電撃が流れ、同時に、IBSSが発見・開発した特殊な振動波が送り込まれる。

 グガッ、と鳴き声とは違う声を漏らす鵺の下腹に、アキがさらに拳を叩き込む。

 うめき声を漏らす怪物に、アキが攻撃を連続させていく。

 いくつもの鈍い音が森に響く。


「これはオマケっ!」


 最後にアキは身を翻し、鵺の鼻っ柱に裏拳を鋭く放った。

 猿に似た顔面が、バチッという音を立てた直後に青黒く変色していく。


「ふぅ……」

「アキさん、まだです!」


 視線を落としかけたアキに、尾の蛇が猛然と襲い掛かる。

 ところが、勢いそのまま、蛇の頭は空を切る。

 アルが射出した小型の円月輪が、その頭部を両断していた。

 いよいよ動きを止めた鵺の元に、アルがウィーンゴロゴロと近づいていく。


「変異原性化学物質は順調に流れ込んでいますね。アキさんの打撃や僕の斬撃は回復できても、これはどうしようもないはず……退治完了です」

「完了、っていうのはどうかしら。果たしてこいつ一匹だけなのか、ぐるっと見て確認しなくちゃならないわ。それにしても、電気を操るくせに、電気の攻撃は効くんだから、不思議よね~」

「まぁ、電気ウナギも体内に発電器官を持っているのに、自身も感電しているので。それより、ケガはないですか? 速すぎて、僕には格闘戦の詳細は見えなかったので……」

「もちろん、かすり傷一つないわよ。もぅ、アルってば、やっぱりなんだかんだ言って私が心配なのね~」

「ち、違いますよ。僕はあくまでも仕事上のパートナーとして、その体を気遣っているだけで……」

「私の体を気遣って? や~ん、女の体に興味が出てきたなんて、アルったら、オ・ト・ナ♡」

「ちょ、ちょっと! 胸部を無闇に近づけないでください! ハラスメントですよ!」




「スターリング課長」


 太平洋上の巨大施設の一室に、パフィンが入る。


「アキさんとアルくんが、そろそろ到着するそうです。無事に任務を達成し、怪我もなし。成功率100%の記録は継続ですね」

「さすがに、あの二人だからな。まぁ、一人ずつだと、これほどうまくはいかんだろうが」

「……以前からお聞きしたかったのですが、なぜ、あの二人をコンビで動かすことに執心されていらっしゃるんですか? 一人一人の能力の高さ、そして特務課の慢性的な人手不足を考えれば、個別に動かすことも視野に入れるべきかと思うのですが」


 首をかしげるパフィンを見て、スターリングは一瞬視線を落とし、それから遠くを見た。


「……古い話だ。アキが幼少期、脳炎にかかって電子化手術を受けたことは知っているな」

「ファイルで読みました。それによって高位変性をし、今の超人的な能力を獲得したと」

「その脳炎は、自然に発生したものではないのだ」

「え……?」

「大規模な人身売買事業に巻き込まれ、劣悪な冬眠装置をつけられた影響だった。生体研究は日進月歩だとよく言われるが、翻って言えば、十年さかのぼれば遥かに低い技術しかなかったということだ。彼女につけられた装置は、新暦いまとは比べ物にならない、ひどく稚拙なものだった」

「そんな……」

「さらに悲惨なことに、国家間の調整や情報秘匿やらの煽りをうけ、そのクソッタレ事業を潰す動きは遅れに遅れた。その結果、アキは奇跡的に一命をとりとめたが、彼女以外の子どもは全員脳死し、彼らの家族もまた、みな命を落とした」


 パフィンは、IBSSの中で見るアキの顔を思い浮かべた。

 いつも笑顔で、朗らかな雰囲気を纏った美しい女性の像しか浮かんでこない。

 とても、そんな悲惨な過去をもっているようには見えなかった。


「生体犯罪に巻き込まれ、彼女はすべてを失った。天涯孤独となった彼女の身柄はIBSSの支援課預かりとなった。彼女は持ち前の正義感とIBSSへの恩義のため、ハイスクール卒業と同時にIBSSの一員になり、そして……」


 スターリングが、深く息をついて、また言葉を紡ぐ。


「そして、特務課の前身である支援課調査班に配属された彼女の最初の任務が、とある天才少年の身柄保護だった。彼は7歳にしてほぼすべての言語を習得していた。そして、高い能力を有する子どもの体は、得てして生体犯罪のターゲットになる」

「それが、アルくん……」

「そうだ。現在ほどには国際的な信頼を勝ち得ていなかったIBSSに、当該国は協力的ではなかった。そして犯罪組織の潜伏先判明と施設制圧に時間がかかった結果、アルの肉体は既にどこかに売り飛ばされていて、リキッドポリマーに保管された脳だけがかろうじて救出されたのだ」

「それが、二人の始まり……でも、どうしてアルくんは人型機体にしないんですか? 未成年の非人間型の機体は、発達の妨げになるからと非推奨なのに」

「肉体を取り戻す、という執念を薄れさせたくないからだそうだ。そしてアキは、絶対にアルの体を取り戻してみせると約束した。アキは生身の体に電子の脳、アルは機械の体に生身の脳……二人の取り合わせは歪に見えるかもしれんが、その凸凹は、ぴったりと嚙み合っている。あの二人なら、乗り越えられない困難はない。そんな気がするのさ……お、この音は……そろそろご到着だな」


 小気味よい足音と、ウィーンゴロゴロという独特な足音が同時に聞こえてくる。

 ノックがして、スターリングは入室を許可した。


「日本での任務、ご苦労だった。帰還早々呼びつけて申し訳ないが、確認したいことがあってな」


 デスクの前に二人を立たせ、スターリングは一枚の紙を提示した。


「この経費の詳細について説明してもらおうか」


 それは、アキとアルがニッポンで就いた任務についての報告書と、それに関わる決算書だった。


「樹海周辺の状況確認を丁寧に行った結果、任務に1週間を要した。それはいい。それに伴う宿泊がそこそこのホテルになっているのも、緊急の事案だったからよしとしよう。だが、この食費はなんだ? 何を食えば、1週間でこんなに金がかかる?」

「え~と……オートロのオスシ、ワギューのスキヤキ、イセエビのテンプラ、あとは……」


 話しているアキの腹が、くう、と小さく鳴った。


「思い出したら、体が反応しちゃった」

「美味しそうに食べてましたもんね。僕も早く、自分の体で味わいたいなぁ……でも、僕はアキさんが食べている横で真面目に記録をまとめていましたから、今回の課長の御訓示はアキさんだけにお願いします」

「他人事のような顔をしているが、アル。こっちはお前の仕業じゃないのか? なんとか物語、なんとか草紙、なんとか日記。どれも電子書籍化されているはずだが、なぜ紙媒体の、しかも高額なものをそろえる必要がある?」


 ブーン、という低い音を立てて、アルは何も言わなくなった。


「いいか、お前達! キマイラバスターズの活動資金はあくまでもIBSS特務課の内だ。つまり、経費! 企業の経費というのはだな……」


 フォン、という音が鳴り、パフィンが手首に備えられたモニターを見る。

 そして、それをそのままスターリングに見せた。


「今度は中国で複合獣キマイラだと……? だが、今すぐ動けるのは……」


 アキとアルは即座にスターリングに背を向けた。


「おい、こら! 待て! 俺の話はまだ……」

「アキ=オブタリスク、これより新たな任務に向けて準備しま~す!」

「アルバート=ロス、以下同文!」


 風のように執務室を逃げ去った二人の背中に、スターリングの声は届くことなく床に落ちた。


「まったく……」


 呆れながらも笑みをこぼし、スターリングがパフィンを見る。

 パフィンも、曖昧に苦笑を返すしかなかった。

 ――新暦23年。IBSS特務課キマイラバスターズの戦いは続く。

作者の成井です。

本作品をお読み頂き、ありがとうございました。


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