8 モラハラ男
明後日、ハーティス伯爵令息は馬車でやってきた。
優しい容貌だが背は高く、服装の趣味も悪くない。今日は特別な会談という訳ではないので、私も裾の長いワンピース姿だったが、彼もジャケットにシャツ、チェックのパンツに革靴というラフな出で立ちだった。
手土産にと都で人気の焼き菓子を貰い、それをお茶請けの一つにしてサロンでもてなした。
茶色の髪に水色の瞳で、微笑みを絶やさず、礼儀正しい。
「本日は、突然の訪問にも関わらずお招きくださりありがとうございます。お忙しいかと思ったのですが、お隣の領ですし、先に顔合わせがしたいと思いまして」
「確かに、お隣なのに顔も合わせた事がないというのは変でしたわね。お気遣いくださりありがとうございます」
そう、和やかな空気でちょっとした雑談をしていたのだ。お互いの領地の事や、両親同士は交流があるからこれからはもっと顔を合わせたいですねー、おほほ、なんて感じで。
基本は王都で過ごしているらしいので、私も多少は王都に出るように習慣付けようかしら、と思ったりもした。
やはり政治の中心は王都だし、辺境伯となった後の社交の為にもハーティス伯爵令息と親しくなっておいて損は無い。……そう思っていたのだが。
「少し、二人で話したいのですが……」
「あら、構いませんわよ。――席を外してちょうだい」
私が侍女たちを下がらせて部屋に二人きりになった途端、ハーティス伯爵令息がとたんに脚を組んで尊大に顎を上げて此方を見下すような視線でつま先から頭のてっぺんまでを舐めるように見られた。
ものすごく不愉快に感じて眉を顰めると、はぁ、と溜息を吐いたハーティス伯爵令息は、まぁまぁだな、と呟いた。
「……まったく、次男坊になんて生まれ付いたからどこかに婿入りしなきゃならねぇ。まぁ、ちょうどお隣が辺境伯様の領地で良かったぜ。まぁまぁの見た目、まぁまぁのスタイル、ちょっと男勝りで政治に口出しするような可愛げのなさには目を瞑ってやるか」
「………………は?」
「お前で我慢してやるって言ってるんだよバーバレラ嬢。お前も婿を探してたんだろ? 外面だけはいいからよ、家の中は俺が好き勝手するけど、まぁ、面倒な領地の管理だのなんだのはやってくれるみてぇだし、楽させてもらうわ」
「………………………………はい?」
私はさっぱり理解が追い付かなかった。確かに、婿に丁度いいな、とは思っていたけれど、それはお互いをちゃんと知って合意の上で結婚するならばの話だ。
さっきまでの優しい男性だったらそのまま話を進めても構わなかったが、この目の前の傲岸不遜な男は誰だ?
「頭の血の巡りは悪いのか? っは、使えねぇな……まぁ身分が高いんだから、物覚えが悪いってこたねぇだろうけどよ」
私は思わず腰に手をやった。無意識の行動だったが、帯剣していたら、この侮辱をタダで聞き逃してやるほど私は甘くない。
狡猾さを前面に出した嫌味な笑顔でハーティス伯爵令息はさらに言う。
「お茶会に令嬢を呼ぶ餌が欲しかったんだろう? いいぜ、しっかり餌になってやるよ。条件だけは最高のお前に変に目が向かないように『怪物姫』のあだ名を広めたのは俺だしな。払拭するにしても社交シーズンは終わってる、令嬢の噂は男は本気にしない。お前は結局俺を婿にとる以外は行き遅れになるしか道が無いのさ」
かっと全身の血が沸き立つようだった。この目の前の男が、第二王女から始まった噂を広めた男。……王都に居なかった私が悪いとはいえ、まさかこんな悪辣な馬鹿に目を付けていたとは、私も馬鹿だった。
「さて、帰るわ。それなりに見た目もいいし、社交界に出ても俺に恥をかかせ無さそうなところは気に入った。じゃあな、将来の辺境伯様。精々楽させてもらうぜ」
鼻で笑いながらそう吐き捨てたハーティス伯爵令息は立ち上がって、ドアの外の侍女ににこやかに話しかけ、私を振り返って「また来ますね」などと先程までの態度が嘘のようにして立ち去っていった。
これはまずい。当てが外れた。絶対にこの男と結婚するわけにはいかない。
しかし、ユージーン公爵と結婚したら私は嫁入りする事になってしまう。
ここは先にユージーン公爵に会いに行って、お茶会の席では一芝居打ってもらうか……? 私は考え込みながら、先程のモラハラ最低男をどう追い払おうかを必死に考えていた。
お茶会まではとりあえず図に乗らせておくとして、その後だ。
次から次へと降りかかる問題に、そもそも酒の席で私の結婚を生まれる前に決めた父親への憎悪が募っていった。