9.ドラゴン
丘には穏やかな風が吹いていて、とても心地いい。
正面に見える霊廟は白亜の石造りで、荘厳な佇まいをしていた。
破風のところには、複数の女性や額に角がある狼に似た生物などの精緻なレリーフが施されている。
「この霊廟はルベル様がご設計したものでございます」
「ルベル様?」
初めて聞く名前だったので私はファティ聞き返した。
「霊盃継承者でございます」
「こんな立派な霊廟を造るなんて、すごい人だね」
「はい。芸術の天才でございました」
霊盃継承者には芸術家もいるんだ⋯⋯
「ん?」
ふと私は霊廟からやや離れたところに、他の白亜の建物があるのに気付いた。
「あの建物は?」
「キョーコ様が新生なされた新生殿でございます」
「ああっ! あそこがそうなんだ。アストルムさんと最初に出会った場所!」
ファティが頷く。
「霊廟の後に、行ってみてもいい?」
「勿論でございます」
そのようなやり取りをして、私とファティは霊廟に向かって一歩踏み出した。
その時──
『其の方が新しき霊盃継承者か』
と低い威厳のある声が聞こえてきた。
不思議なことに耳ではなく、頭の中に直接響いてくるような声だった。
声の主を探して後ろを振り向いてみると、突然辺りが陰って──
「きゃあ!?」
私はあられもない声を上げて、後ろによろめいてしまう。
その瞬間ファティが支えてくれなかったら、私はそのまま尻もちをついていたはず。
「あ、ありがとう」
ファティは私から離れると頭を下げた。恥ずかしいところを見られてしまった。
でもこれは仕方がないと思う。
いきなり視界全体が覆われるほどの巨大な生物が目の前に現れたのだから。
その生物の身体は山のように大きく、そこから巨塔のような首が伸びていた。その口は牛さえ軽く一呑みに出来そうで、爬虫類のような瞳は不気味に輝いていた。
全身は硬そうな鱗でびっしりと覆われている。
おそらく、というか間違いないと思うけど、この常識外れの生物はドラゴンと呼ばれるものじゃないかしら⋯⋯
私は今、蛇に睨まれたカエルの気持ちがわかったような気がした。
 
「いかなるご用でございますか? 突然姿を現し驚かせるとは」
私と違ってファティは少しも恐れた様子もなく、ドラゴンに向かって話しかけた。しかも怒っているみたいだ。
『驚かせたなら謝ろう。新しき霊盃継承者に、挨拶でもと思ってな』
ドラゴンは一切口を動かしていないにも関わらず、声が聞こえてくる。
どうやらこのドラゴンはテレパシーように直接頭に語りかけることが出来るらしい、と思った瞬間──
身体に何かがぶつかったような衝撃を感じた。
周りの風景が物凄い勢い流れていく。
一体何が起こっているのか分からなくて、パニックになりかける。
身体が何かに当たるたびにバキバキッと不気味な音を立てているけど、身体がうまく動かせない。
どれくらいそうなっていただろうか。いきなり凄まじい轟音がしたと思ったら、浮いているような感覚が無くなり──
気付いたら私はいつの間にかうつ伏せに倒れていた。
一体何が⋯⋯
恐る恐る身体を動かしてみて──
良かった。身体は問題なく動いてくれる。
そのまま立ち上がってゆっくり前を向いた瞬間、私は唖然としてしまった。
さっきまで霊廟の前にいたはずなのに、今は周りを木で囲まれた鬱蒼とした森の中にいたから。
しかも不気味なことに沢山の木々が、不自然に折れ曲がったり、倒れたりしていた。
その折れた木々を目で辿っていくとかなり先の方まで続いていて、終わりは樹海のような木々の多さと暗さのため視認するのが難しかった。
どうして私はこんなところにいるんだろう⋯⋯
──とその時、背後から大きな音がしたのでビクッとして恐る恐る振り返ると、黒い壁のようなものが見えた。
こんなところに壁なんて⋯⋯ダンジョンの壁かな。
その壁は大きく抉れて砕けてしまっていた。音を立てたのはこの砕けて落ちた壁の一部だったらしい。
壁をよく見ると崖のように切り立っていて、周囲には木が生えていなかった。
私はこれらの光景を見て、段々嫌な想像が膨らんできた。
私は慌てて自分の身体に異常がないか確かめてみる。
身体に痛みはなく手を見ると土がついているくらいで、傷らしいものは一つもない。
私は手をはたいて土を落とすと、頭と顔を触ってみた。
痛いところも腫れているところもなさそうだ。手を見ても血はついてないので、ひとまず安心した。
「あぁーっ!」
ほっとしたのも束の間、私は大声をあげた。
ファティから借りている服が所々破けてしまっていたのだ。履いていた革靴も片方無くなっている。
スカートのポケットには穴が空いていて、入れていた収納魔道具が無くなっていた。
焦って周囲の地面を探すと、収納魔道具は半ば土に隠れるように足下に落ちていた。
私はほっとして収納魔道具を拾うと、スカートの無事な方のポケットにしまう。
こっちも破れたら落としてしまうけど、他にしまうところがないので仕方がない。
脱げてしまった靴は近くに見当たらなかったので、後で探すことにした。
もうこれは間違いない。
私はドラゴンに攻撃されたのだ。
攻撃された衝撃でここまで木を薙ぎ倒しながら吹き飛ばされ、最後に壁に激突して──
と考えていたその時、薄暗い森の奥がフラッシュされたように瞬いた。
その直後に雷鳴のような音と、獣の咆哮のようなものが聞こえてくる。
私は急にファティのことが心配になって駆け出そうとして──片方しか靴を履いていなかったのを思い出した。
このままでは走りにくいので脱ぐことにした。
壁に激突しても身体は傷つかなかったので、裸足で走っても多分大丈夫なはず。
脱いだ靴は収納魔道具にしまい、準備が整ったところで私は再び駆け出した。
 




