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77.ロイヤルボックス

 二階に向かう階段をすべて上がりきると、左手の通路の中央には扉があり、その正面には女性の立像があった。

 ルベル大歌劇場というくらいだから、きっとルベルさんの立像なのだろう。

 私たちはその立像がある通路には向かわず、そのまま直進した。


 途中、舞台側にある扉をいくつも通り過ぎていくと、正面にドアが見えた。

 そのまま正面のドアに向かうのかと思ったら、紳士(しんし)は左手の扉の前で唐突(とうとつ)に足を止める。

 その扉は他の扉とは違い浮き彫り(レリーフ)も手が込んでいて、金色の彩色が施された豪華なものだった。

 紳士は鍵取り出し扉を開くと


「どうぞお入りください」


 と手を扉の内側に向ける。

 巫女(みこ)様が先に中に入り、私たちもその後に続いた。


「それでは私はこれで失礼いたします」

「うむ。ご苦労」


 紳士は頭を下げて巫女様の言葉を聞いたあと、扉を閉めて立ち去った。


 内装はとても豪華で白い壁には、浮き彫り(レリーフ)が所々に施されて、椅子とソファーのクッション部分は赤いビロードのようなものが張られていた。

 きっとここは、巫女様のような要人が使用するロイヤルボックスのような所なのだろう。

 その巫女様は中央の一番豪華な椅子に腰を下ろした。


「キョーコ様。どうぞこちらのソファーにお掛けください」

「うん。ありがとう」


 メアリに(すす)められるまま、巫女様の左側にあるソファーに腰掛けた。メアリも同じソファーに座る。

 振り向いてファティを見ると、座らずに扉の横に立っていた。ここは公の場なので座らないのだろう。

 でも、歌劇って確か結構長い時間やるんだよね。祝賀会より長そうだし、立ちっぱなしじゃ疲れないかな。

 でも他に座れる椅子はないし⋯⋯まあ、疲れたらどこからか椅子を調達してこよう。


 ロイヤルボックスは結構広くて、こちらの姿が他の席からよく見えてしまう作りになっていた。

 私は舞台から視線を何気なく上に移し──息を飲んだ⋯⋯


 凄まじいほどの画力で天井全面に絵が描かれている。

 その繊細(せんさい)で豊かな色彩で描かれている人物は、どこかで見たことがあった。というか、霊盃(れいはい)巫女(みこ)だ。

 何かの出来事をモチーフにしているらしい──


 ふと視線を下げると、平土間の席には大勢の観劇者が座っていて、上を──つまり私がいるロイヤルボックスの方を見上げていた。

 私は慌てて頭を引っ込めた。いつの間にか私は立ち上がって、欄干(らんかん)の側で天井画に魅入(みい)っていたらしい⋯⋯


「ふっ、この天井画を初めて見たのなら、その気持ちもわからぬではない」


 巫女様が私の方を向いて微笑し、メアリもまるで微笑ましいものを見るような表情になっていた。


 ──私が恥ずかしくなっていると、扉がノックされる音がして


「お飲み物をお持ちいたしました」


 と若い女性の声が聞こえてきた。


「入れ」

「失礼いたします」


 巫女様の許しを得ると、メイドさんが扉を開けてティーカートを押しながら入ってきた。

 ボックス席の中は、ティーカートごと入ってきても問題ないほどの広さがある。



 メイドさんはお茶とお菓子を用意したあと、ロイヤルボックスから出ていった。

 その時、不意に拍手が聞こえてきて、舞台に大勢の人が登場してくるのが見えた。

 これから歌劇を上演する指揮者や楽団、それに歌手だ。

 全員が舞台の上に(そろ)ったあと、視線がロイヤルボックスのある方に向けられ、一斉に深く頭を下げた。

 観劇者も立ち上がって、同様に頭を下げていた。

 頭を下げられているのは、巫女様とメアリなんだけど、隣に座っている私の姿も下から当然見えるわけで、とても気まずい⋯⋯

 メアリは慣れているのか、微笑みを浮かべて、巫女様は右手を軽く上げていた。


 挨拶が終わると歌手は舞台(そで)に、指揮者と楽団は舞台演奏場(オーケストラピット)に向かった。



 しばしの間、楽団のチューニングが続けられたあとふと音が消え、ほぼ同時に劇場内の魔道灯(まどうとう)の明るさが抑えられる。

 するとそれに合わせるように指揮者が右手に持っているタクトを構えた。

 劇場内のざわめきや(せき)が止んだ瞬間──

 タクトが優雅(ゆうが)な曲線を描き始め、前奏曲が奏でられた。

 神秘的で荘厳(そうごん)な音楽が、劇場を満たしていく。

 私はあっという間に、ルベルさんの音楽のファンになってしまった。



 ──引き伸ばされた旋律が空間の彼方に向かって、溶けて消えていくように前奏曲は終わりを迎えた。

 その余韻がまだ抜けきらないまま、今度は歌手が美声を響かせる。



 歌劇が始まってしばらく()ったころ、なにか鼻をすするような音がしたので隣を見ると──メアリが涙を流していた。

 メアリが見ていたのは建国の祖レクスさんが、巫女家(みこけ)の祖先に王位を(ゆず)り渡して去ってしまうシーンだった。


 メアリは涙も(ぬぐ)わずに歌劇に魅入(みい)っている。

 ハンカチを渡そうと思ったけど、感動しているところに水を差したくなかったので、結局何もしなかった。



 ──やがて歌劇は最終幕まで進んだ。

 幕間にファティに時間を確認したら、歌劇が始まってからすで三時間以上が経過していた。

 歌劇の中で霊盃(れいはい)巫女(みこ)ルベルさんが登場する場面になると、音楽も最高潮に達した。

 天にも昇って行くような最強音の合奏の中に──突然何かくぐもったような不協和音が混じる。演奏ミス? 

 ──そう思った刹那(せつな)



 何か黒い小さな球体状をしているものが私の視界に入った。

 その謎の物体が、私たちのいるロイヤルボックスに向かって飛んできている。

 正確に言えばメアリに。不吉な予感がしつつ──


 私はメアリの(ひたい)に触れる前にそれを(つま)んだ。

 黒い物体はスーパースロー映像のようにゆっくりと動いていたので、摘むのは造作無かった。

 メアリは石像のように動かず、舞台を(まばた)きもしないで見つめている。

 この瞬間、私の体感時間は遅くなっているのかもしれない。

 音楽も静止してしまったかのように、何も聞こえなかった。

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