76.ルベル大歌劇場
「メアリ、キョーコ。明日の午後、ルベル大歌劇場に行くからその時間空けておけ」
餉の間で夕食を食べていると、巫女様から、唐突に誘われた。
「はい。巫女様」
「わかりました」
取り敢えずメアリに倣って私も返事をする。
「二人は歌劇って観たことはあるの?」
食事を終えて部屋に戻ってきたとき、私はメアリとファティに聞いてみた。
「あります」
「ございます」
「面白い?」
「はい。とても」
「ルベル様の作られた歌劇でございましたら」
歌劇なんて観たことないし、退屈で眠ってしまわないか、ちょっと心配⋯⋯
翌日の午後七時ごろ、私はルベル大歌劇場に向かう馬車に乗り込んだ。
公的な観劇ということで、私はイブニングドレスを着用している。
巫女様とメアリもイブニングドレス姿だ。ファティだけはメイド服のままだけど。
祝賀会からまだ三日しか経っていないけど、貴族社会はこういう公的行事が多いのかな。
ヴェスタル宮殿から神都レクスの美しい街並みを馬車でしばらく走り続けたあと、馭者の連絡窓が開いて
「ルベル大歌劇場に到着いたしました」
とカーラさんが知らせてくれた。
真っ先にファティが箱型座席のドアを開け、馬車の外に降りて待機する。
私もその後に続き、メアリと巫女様も綺麗に舗装された石畳に足をつけた。
私の視線の先に、落ちゆく陽に照られた宮殿のような建物があった。
これがルベル大歌劇場。この歌劇場は霊盃の巫女ルベルさんが自ら設計したという。
──私がそんなことを考えていたら、巫女様が颯爽と歩き出した。
私は側に控えていたカーラさんに
「行ってきます」
と声をかけた。
するとカーラさんは微笑して
「いってらっしゃいませ」
と見送ってくれた。
ルベル大歌劇場の周囲には、巫女様やメアリを一目見ようとしたのか、大勢の人が集まっていた。
──あれ? 普通、要人が外を出歩くときは、ボディガードをつけるはずだと思うんだけど。
でも周りにはそれらしい人たちは見当たらない。
護衛の要である巫女衆すら。これでは歌劇場の入口まで無防備になる。
でもさすがに巫女様の歩みを、妨げようとする人はいなかったけど。
「巫女様」
幸い巫女様は私の声に反応して、立ち止まって振り返ってくれた。
「どうした?」
「危なくないですか。護衛が一人もいないようですが」
「ふっ、いるじゃないか。お前が」
「えっ!?」
まあ、その通りなんだけど⋯⋯でも護衛はもっといたほうがいいと思う。
「まさか自分の役目を忘れたのか」
「いえ、でも危険ではないですか」
「これはお前に対する私の信頼の証だ」
そんなことを言われて、ちょっとやる気が出てしまった。
「もういいか。開演時間が迫っている」
「はい⋯⋯」
巫女様はくるりと前を向くと、再び歩き始めた。
「巫女様〜」
「本物だ!」
「巫女姫様もいらっしゃるぞ」
周囲に集まっている人たちが、歓声が聞こえてきた。
「ところで、あの巫女姫様と並んで歩いている奴は誰なんだ」
「さあ、見たことない顔だな。髪も黒いし、どこかの異国から来たんじゃないか」
「そうかも知れないわね。きっと何処かの大貴族か、姫様なのかも知れないわ。顔もかわいいし」
「巫女姫様とご同行できるくらいだ。相当な身分だろうよ。それになかなか美少女だな」
顔が熱い⋯⋯もうそのへんで勘弁してー。
「なっ!?」
「うぉっ!」
「なんだ、あのメイドは⋯⋯妖精か何かか」
「ハイエルフじゃないのか」
「だが耳は長くないぞ」
「信じられない美しさだな。同じ人間とは思えない⋯⋯」
すぐに話題は私の後ろを歩くファティに移ったみたいだ。
まあ、そうなるよね⋯⋯私もファティを初めて見たとき、美の女神が降臨したと思ったし。
大勢いる女性たちもファティの圧倒的美しさに、何も言えなくなってしまったのか、見入っていた。
それらの歓声や、感嘆、好奇心などを背に受けて、私たちは大歌劇場の中に足を踏み入れた。
シャンデリア型魔道灯の豊かな光が、劇場内を昼のように満たしている。
足下には高級そうな赤絨毯、正面には舞台に続く立派な扉、両側には壁に沿って二階に続く階段があった。
入口近くには大勢の正装している人たちが、並んでこちらに頭を下げて出迎えてくれていた。
その間に挟まれ頭を下げていたテールコートを着た紳士が
「巫女様、巫女姫様。本日は当劇場にようこそいらっしゃいました」
と挨拶をしてきた。この劇場の支配人かもしれない。
「うむ」
巫女様は鷹揚に答えて、メアリは少し頭を下げた。
「おや、失礼ですがこちらのレディは」
「メアリの友人だ」
「さようでございましたか。これは大変失礼いたしました」
紳士は謝罪を口にすると、突然私に向かって頭を下げた。
「い、いえ」
私は謝られるとは思ってなかったので、少し焦った。
それから紳士は頭を上げると、私に少し微笑してから巫女様を見て
「それではお席にご案内いたします」
と入口から右側にある階段に手を向けた。




