70.もうこれは決闘
みんなの無事を確認し終わって、再び正面に向き直ったとき
──私は思わず声を上げそうになってしまった。
何故ならマリスさんの側にとても大きな存在が、突如現われていたから。
その象のように大きい身体には銀色の体毛が生えていて、耳は三角、口には鋭い牙が並び、その姿は狼に似ていた。
でも普通の狼なわけがないし、もしかしたらフェンリルかもしれない。
私はさっき噛み砕かれそうになったけど、このフェンリルだったんだ。
それにしてもどこから入って来たんだろう。あの大きさじゃ、この運動室に入ってこれる扉はなさそうなのに。
──と、考えていたらマリスさんのロッドから紺色の薄いオーラのようなのが出ていて、それがフェンリルの身体を覆っていた。
もしかして──
と私が閃きそうなその時、唸りを上げる風切り音と共に、ニウェウスさんの凶悪な戦斧が私の身体を切り裂くべく迫ってきた。
その杭を打ち込むような一撃を躱すと、露出した地面に戦斧が直撃、地響きを起こして再び塵埃が舞い上がった。
ニウェウスさんは地面に埋まった戦斧を素早く引く抜くと、追撃はせず後ろに下がり──
不意に大きな影が視界に入ったので見上げると、フェンリルが私に向って跳躍してくるところだった。
肝を冷やす、ほどではなかったけど、視界一杯に広がるその巨体はすごい迫力。
落下の勢いそのまま、巨木のような前足を私に振り下ろしてきた。
その指先には鋭い爪が伸びていて、一つひとつがまるで死神の鎌のよう。
その爪を剣で受けた止めた瞬間、擦れ合う不快な高音と火花、地響きが起こって運動室の床がさらに酷いことになった。
──その衝撃で塵埃が舞う中、ニウェウスさんが私の背後に回ろうとしているのを私は見逃さなかった。
仕方ない⋯⋯これ以上戦いを 長引かせたら運動室がどうなるかわからないし、終わりにしよう。
私は剣の柄に力を込めてフェンリルの前足を押し返すと、その爪が弾かれように離れていった。
その瞬間反転、私の胴に迫りくる斧頭を斬り下ろしで軌道をずらし、返す刀でニウェウスさんの顎に刃が触れる寸前で止めた。
「勝負ありでいいですね」
「あ、ああ⋯⋯」
私の言葉をニウェウスさんは、信じられないといった感じで受け入れた。
「私の目でも捉えきれなかった⋯⋯?」
残るはあと一人。フェンリルはマリスさんの側に戻っていた。
──さてここから、どうしよう。
さっきも思ったことだけど、やっぱりあのフェンリルは召喚されたっぽい。
でも直接攻撃するのは、なんか嫌だし。
ここは召喚者を倒すのがベストかな。
私はそう決めると足に力を入れて、マリスさんに向って駆け出した。
フェンリルとマリスさんが気付く前に接近すると、そのままマリスさんの首元を狙って剣を振り下ろした。
もちろんそのまま振り抜くわけではなく、首筋から十センチ程度のところで止める。
「召喚獣を戻してもらえますか」
とマリスさんにお願いすると
「えっ!? いつの間に⋯⋯」
とマリスさんは驚きを口にして、こくりと頷く。
その直後、フェンリルの姿が発光して、最後には光の粒子のようになって消えていった。
──パチパチパチ。
唐突に乾いたような音が聞こえてきて
「キョーコ。見事だったわ。噂は間違いなかったみたいね。それでどうかしら、私の下につかない?」
とルクレツィアちゃんが微笑みながら拍手をしていた。
「ごめんね。私は誰の下にもつくつもりはないから」
「どうして! 私よりお姉様の方が良いって言うの?」
「別に私はメアリの下についてるわけじゃないよ。友達だから」
ルクレツィアちゃんは私の返事が気に入らないのか、さっきまでの笑顔が消えてしまった。
剣呑な雰囲気が漂いだしたとき、唐突に運動室の入口の扉が勢いよく開く音がして
「な、なんですか!? これは。物凄い音が聞こえたので来てみれば⋯⋯」
とスキエンティア先生の驚いている姿があった。
「キョーコ! 私は諦めないわよ」
その声に向き直るとニウェウスさんがルクレツィアちゃんの脇の下に手をいれて抱き寄せていた。
そのまま十メートル程の高さにあった運動室の窓まで飛び上がると、そこを潜って外に出ていった。
側にいたマリスさんもその後を追う素振りを一瞬だけ見せて、私の方に振り返り
「心底驚きました。どうやら噂は本当みたいですね。私は眉唾物だと思っていたのですが⋯⋯それではまたお会いしましょう。キョーコさん」
と言葉を残して十メートル程の高さを軽々とジャンプし、ニウェウスさんと同じように窓から出ていった。
「キョーコ様⋯⋯」
私を呼び掛けるその声に振り向くと、メアリがすぐ側まで来ていた。
ファティとフレデリカさん、スキエンティア先生、数人の生徒たちも。
戦いは終わったので、私はミスリルコンの剣をファティに返した。
「皆さん。これは一体どういうことなのか、説明していただけますか?」
スキエンティア先生は眉間に皺を寄せながら問い質してきた。
その声には少し⋯⋯どころじゃない険があった。
まあ、ここまで運動室を破壊されたら怒るのは当然だよね⋯⋯
──この後、スキエンティア先生にはメアリが対応してくれた。
メアリはこの件は巫女様に判断を仰ぐので、少し待って欲しいと伝えると、さすがに先生も何も言えなくなっていったん保留となる。
それからスキエンティア先生にもう帰るように言われたので、私とファティ、メアリはカーラさんの馬車に乗って帰路についた。




