44.戦いの終わり
その声の持ち主は玉座に座っていた巫女様だった。まるで心の奥底を覗き込んでくるような、青い双眸が私を見ている。
巫女衆は巫女様の言葉で剣を鞘に収めると、玉座の後ろに下がっていった。
青髪の男は苦々しい顔をして押し黙っている。
私は巫女様のすぐ横に、巫女姫様が不安そうな表情で佇んでいるのに気づいた。
緊張感の続くなか、唐突に後ろの方から派手な音が聞えた。
振り返って見ると、謁見の間の扉が開かれている。
そこからぞろぞろと駆け足で鎧を着た人たちが現れ、謁見の間を埋めていった。
「これで目障りな黒髪とメイドを排除できる!」
青髪の男の嬉しそうな声が、背後から聞こえてきた。
やがて私とファティは鎧姿の集団に取り囲まれ、その中から一番目立つ白い鎧を装備した人物がこっちに歩み寄ってきた。
私はその人物を見たことがある。巫女姫様が賊に拐われた時に、救出に現れたアダマスさんだ。
「騎士団長。この黒髪の小娘と金髪メイドを討ち取れ!」
青髪の男がアダマスさんに冷酷な命令を下す。
その瞬間──
「もうよい!」
と不快感もあらわに、巫女様が遮った。
「恐れながら巫女様。これは賊を討ち取る好機でございます。騎士団長とこの騎士団であれば、この曲芸師ごとき物の数では──」
「宰相。私の言葉が聞こえなかったのか」
巫女様は青髪の男、宰相の言葉を最後まで言わせなかった。まだ何か言いたそうだったけど渋々口を噤む。
それにしてもあの人、宰相だったんだ⋯⋯まあ、偉そうにしてたけど。
「アダマス。騎士団を下げよ」
「はっ」
巫女様の下知にアダマスさんは頭を下げて素直に従った。
アダマスさん以外、騎士団が全員謁見の間から出ていったあと
「さて、お前たちをどうするべきか⋯⋯そうだな。追って沙汰を出すゆえ、今日のところはこれで帰るがよい」
と巫女様が戦いの終わりを告げる。
もう必要ないので私が近くにいたアダマスさんに剣を差し出すと、黙ってそれを受け取った。
その時──
「巫女姫様。近づいてはなりません。その者は危険です!」
と宰相が、私に歩みよってくる巫女姫様を呼び止めていた。
でも巫女姫様は宰相の制止を振り切り、私の前までくると
「キョーコ様⋯⋯」
と名前を言った次の瞬間、ぎょっとした。
巫女姫様の大きな瞳からぽろぽろと涙が流れて落ちて、泣き出してしまったのだ。
「ご、ごめんなさい」
「な、泣かないでください」
私は巫女姫様の涙を拭おうとして、ハンカチを持っていないことに気づいた。
仕方ないので、親指で優しくその頬に流れる涙を拭う。
「すみません。せっかく招待して頂いたのに、台無しにしてしまいました」
私が謝ると巫女姫様は頭を振った。
──ほんの少しお互いに無言になって
「このお詫びは必ずします。何か私にできることがあれば言ってください⋯⋯それではそろそろ行きますね」
とやっとのことで私は言葉を絞り出す。
私は巫女姫様に背を向けて、謁見の間の扉に向かって歩き出した。
途中、ファティが待っていたので、頷きながら横を通った時──
「キョーコ様!」
と呼び止められる。
振り返ると巫女姫様が小走り近づいてきて
「またお会いできますか⋯⋯」
と聞いてきた。
「はい。貴女が望むなら⋯⋯」
私のその返答に巫女姫様は、涙を流しながら微笑んだ。
その時、不意に巫女姫様の側に立っていたファティと目が合う。理想を体現したかのような美少女。
ただその雰囲気が、いつも通りじゃない感じがした。
何かちょっと怖い⋯⋯怒ってる?
──巫女姫様に別れを告げて、ヴェスタル宮殿の入口の扉まで来ると、カーラさんが待っていた。
最初に歓迎してくれた大勢のメイドさんは、誰一人いなくなっていた。
まあ、あれだけ暴れたら見送りなんてあるわけないよね⋯⋯
でもカーラさんは私たちに気づくと、お辞儀をして迎えてくれた。
「キョーコ様。ファティさん。お預かりしていた収納魔道具をお返しいたします」
私とファティがそれを受け取ったあと
「マグヌス伯爵邸までお送りいたします。お乗りください」
とカーラさんは謁見の間で起こったことを一言も口にせずに、馬車のドアを開いた。
とてもありがたい申し出だけど、断ることにした。
いろいろ迷惑かけちゃったし、これ以上お世話になるのは気が引ける。
「お気遣いありがとうございます。でも歩いて帰りたいと思います」
「そうですか⋯⋯わかりました。お気をつけてお帰り下さい」
私とファティはカーラさんに見送られて、ヴェスタル宮殿を後にした。
ヴェスタル宮殿の正面の門扉までは、結構な距離があった。
とても広い庭園に、噴水があるのが見える。その中央に女性の彫像があって、その手に持っている水瓶から、絶えず綺麗な水が流れ出ていた。
周囲には色とりどりの花が咲いている花壇もあり、その花のいい香りに誘われて、蝶などの昆虫が蜜を吸いに集まって来ている。
この麗らかな風景を見ていると、自分が異世界にいることを忘れてしまいそうになった。
異世界も地球とそんなに環境に差はないみたいだ。
ファティは私の少し後ろを歩いていて、お互い無言だった。
でもそれは緊張しているからでも、気まずいからでもない。何か不思議な心地良さがある。
聞きたいこともあったけど、ヴェスタル宮殿の敷地内では聞く気にはなれなかった。
私とファティはゴブレットをモチーフにした意匠のある金属製の正門を通って、街を見渡せる広い道にでた。
門番の人は門をあっさり通してくれた。きっと私たちが来たら通すように、言われていたのかもしれない。
ヴェスタル宮殿は高台にあって、美しい煉瓦道がくねくねと曲がりながら、緩やかな坂になって街に続いていた。
そこには行き交う馬車も人も少なく、辺りはとても静かだった。
道の両脇にはプラタナスに似ている樹が植えられ、周囲には広い庭を持つ豪邸が建ち並んでいる。
たぶん貴族や成功した人々が住んでいるのだろう。
私とファティは急がずに、街に向かって坂道を下っていった。




