105.国譲の儀
レクス始まりの場所教会から、巫女様の朱塗りの柩が、四頭立ての馬が引く台に運ばれてゆく。
その周囲をアダマスさんと騎士たちが厳重な警備をしている。
私たちはカーラさんが手綱を取る馬車に乗って葬列に加わった。
喪主であるメアリは黒いドレスのような物を着ていて、私やフレデリカも同じ格好をした。
ファティやカテリナちゃんはいつも通りのメイド服だった。どうやら葬儀でも着用していいものらしい。
沿道を見ると大勢の人が、悲しげな、不安そうな表情を浮かべている。
巫喪の礼と言われる葬送は半日くらい掛けて、中層の大通りを走行したあと、再びレクス始まりの場所教会に戻り、柩を大霊廟に安置して終わった。
──喪に服してから九十日ほど経ったころ、突然メアリにお話がありますと声をかけられた。
ソファーには私とメアリだけが向き合って座っていて、ファティとカテリナちゃんは背後に立って控えていた。
フレデリカは公爵の館に戻っていてここにはいない。無事だった両親から会いたいと言われたためだった。
カーラさんは馬の世話をするため、宮殿の敷地の一角にある厩舎に行っている。
「キョーコ様。お願いがあります」
メアリが最初に口を開いた。
「叶えてあげられるお願いならいいけど⋯⋯」
「国譲の儀で、レクス様のお役目をしてほしいです」
レクス様って──
「この国を建国したっていう?」
「はい。そのレクス様です」
「でも役目って何をするの」
「レクス始まりの場所教会で、巫女になる者に加冠するお役目です」
「えーと⋯⋯それって皇帝になる人に冠を被せる偉そうな人の役目を、私がするってこと」
「はい」
メアリは微笑しながら返事をした。
「それはちょっと⋯⋯問題あると思うんだけど」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃないと思うけどなぁ。きっと長い間続いてきた重要な儀式でしょ、そこに何の資格もない私が出るのは⋯⋯」
「お願いします。駄目でしょうか」
メアリは私の手を取って両手で包むように重ねて、真っ直ぐに目を見て頼んできた。
身体を思わず引いてしまうくらい、不思議な迫力がある。
「キョーコ様に加冠して欲しいのです。そうすれば巫女になる勇気と覚悟が、得られるような気がして。キョーコ様だから──」
そこまで言われると断れない。
「私でいいなら⋯⋯」
「本当ですか!? ありがとうございます」
真剣な表情から一転、メアリの顔がほころんだ。
国譲の儀の準備に私はほとんど待機しているだけだったけど、メアリはとても忙しかった。国外から偉い人たちを呼び寄せたり、打ち合わせなどをしていた。
一ヶ月後、レクス始まりの場所教会は多くの人たちが参集していた。
この場所でメアリが加冠されるからだ。
レクス様の役目を頼まれた私は、壇上でメアリがやってくるのを待っている。
金と赤の刺繍の入った豪華な祭服のようなものを着て、いや、着させられての方が正しいかな。
まあ、これが儀式の正装ですと司祭みたいな人に言われたので、着るのを断れなかったけど。
ふと一番前の席に座っていたフレデリカと目が合い、微笑された。
その近くにはスキエンティア先生の姿も。
まだ知り合いが来ているかもと思っていたら、華々しい金管楽器の音が教会中に鳴り響いた。
同時に正面にある扉がゆっくりと開き、逆光の中に浮かび上がる人影。
ゆっくりとその人影が教会の中に進み出ると、その姿が徐々に顕になってくる。
純白のドレスとマント、それらに負けないほど鮮やかな蒼い髪色。
緊張はしているだろうけど、それを感じさせないほど堂々とした歩みを見せるメアリだった。
私に視線を向けながらまっすぐに祭壇に向ってくる。
その歩みに合わせるように音楽が華々しい曲から厳かな曲に変わった。
メアリは私の前までくると立ち止まり、片膝をついて跪いた。それと同時にふっと音楽が鳴り止む。
事前に演奏が終わったら聖言を述べてくださいとメアリから言われていた。
聖言は大神巫国を建国したレクスさんが、国を譲り渡す時に言ったと伝えられる言葉だった。
教会内は静寂に包まれていて、いやが上にも緊張が高まってきてしまう。
でもやるしかない──
「霊盃の巫女レクスの名において、国譲の儀を始める」
声が震えるかもと思ったけど、自分でも驚くほど落ち着いた声が出てきた。
「汝は正義、公平、徳を持ってこの国を導き治めることを誓うか」
「はい。身命を賭してお誓いします」
私が述べるレクスさんの聖言に、メアリは自分の祖先が言ったとされる言葉を返した。
「その言葉ゆめゆめ違えることなかれ。しからずば神罰が下るであろう」
「この聖なる日を子々孫々に語り継ぎ、決して忘れることのないようにいたします」
「ここに聖約は結ばれた。汝にこの国を譲り渡し巫女に命ずる」
「謹んで拝命いたします」
私は横の台に置いてあった冠を両手に取り、一度捧げ持つと、それからゆっくりとメアリの頭に被せた。
手が震えるかもとドキドキしたけど、この身体のおかげか一切震えることはない。
再び絶妙なタイミングで音楽の演奏が始まり、少年少女合唱団の賛美歌がそれ加わった。
メアリが立ち上がると、私に一礼をする。
──それから数秒経ってもメアリがそのままの体勢で動かなかった。
「キョーコ様──」
ん!?⋯⋯
「申し訳ありません。ご退出をお願いします」
──あっ!? メアリが小声で教えてくれてたことで思い出した。ここで私の役目が終わったことに。
内心慌てて、でも儀式の荘厳さを損なわないようにゆっくりと振り返り、祭壇の奥に向かった。そのまま壁画の下にある階段を下りていくと
「ファティ!?」
が巫女の神域の手前にある扉の側に立っていた。いつの間にここに来ていたんだろう。
見張りの人たちの姿はなかったので国譲の儀のために、一時的に移動しているのかもしれない。
「キョーコ様。お疲れ様でございます」
「ふうぅ⋯⋯なんとか終わったよ。でも儀式の最後にやらかしちゃった」
「いえ。素晴らしいご所作、ご口上で、まるでレクス様が本当に顕現されたかのようでございました」
「あははっ。それは言い過ぎだよ」
「ですが、レクス様は国をお譲りになるとき、一言もあのようなことは仰せになりませんでした」
ファティはまるでその光景を間近で見てきたように話した。何千年も前の出来事のはずなんだけど。
「キョーコ様?」
「ん、なんでもないよ。続きなんだけど、レクスさんは何て言ってたの」
「はい。レクス様はその場にいた数名に『君と、君と君──』と指差しながら『国を治めるのも飽きちゃったから、君たちに任せるよ。じゃあ、あとはよろしく』と立ち去ってしまわれました」
苦笑しか出てこない⋯⋯
「儀式で述べた聖言とずいぶん、というか⋯⋯まったく違うね」
「レクス様から特別に選ばれたと思い込んでいる巫女家にとって、都合が悪い事実なので、すべて隠蔽改竄したのでございます」
「まあ、脚色しちゃうのもわかる気がするけど」
「さようでございますか」
「うん」
だって軽くて、ロマンがなさすぎる選ばれ方だし⋯⋯
──そんな風に数千年前の歴史に思いを馳せていると、地下にいる私たちのところにまで、輝かしく壮大な音楽が届いてきた。




