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灰がたまりすぎたので  作者: オジギソウ
9/25

煙と踊ろう 3


 エレベーターの扉が開いたとき、私は他に乗っていた人たちより先に勢いよく出ていった。会社内はいまだ昼休み半ばで社員達が廊下を自由気ままに動き回っている。


 私はその中を一人、少し急ぎ足で歩み続ける。前から若い二人組の社員が表情を曇らせて歩いてくる。すれ違った時、少し煙草の香りがした。


 エレベーターは無情にも屋上には繋がっていない。屋上から一階下の階層までしか上ることは出来ず、そこからは長い廊下を歩き、屋上に向かう階段までいく必要がある。


 私は出来るだけ足を早く動かしたつもりであったが、やけに遠く感じた。

 距離にして百メートルも無いはずであるのに、普段行かない場所に行くとこういった感覚に陥ることがある。森の中で迷子になって、焦って抜け出そうとする感覚に似ていると思った。


「はあー……階段なんて久しく上っていない。」


 ここまで来るのに息を切らした私は階段の前で少し立ち止まり、照明も付いていない暗い上った先の踊り場を見つめる。踊り場を挟んで折り返し、更に上ったところに屋上への扉があるはずだ。


 少し喉から血の味がしている。学生の頃、持久走なんかをしたときには似たような感覚があった気がする。そのことを意識した瞬間息が苦しくなり、深い呼吸をすると咳き込んでしまうようになってしまった。

 口内に溜まった唾液を飲み込む。渇いた喉が少しだけ潤った。私は意を決して階段を上り始める。思っていたよりも足が疲れているようで、一度だけ躓きそうになった。


 階段を上りながら朝山さんの事を考える。彼女は、きっと今頃人事部の部屋でご飯を食べている、と信じたい。彼女のことだから、ご飯を食べずにパソコンを起動して書類を作り直しているのかもしれない。

 そうしたらまた注意しなければ。

 

 私は今、彼女のためにここまで自分の体を痛めつけている。妻がいたときは全く考えなかったことだ、他人のために何かをしようなんて。


 自分の行動様式が変わりつつあるのは自覚していた。その自覚が深まるたびに、浮かんでくるのは金髪頭の男である。あの男が、縁だの何だのと言って、私の世話をした。する義理はなかったはずだ。「したいから、した」というのだ。


 その感覚は、私には全くなかったものであった。私が朝山さんのために何かを成し遂げたとき、あの男の気持ちに近づけるだろうか。あの上級者に。


 階段を上りきる。私は間髪入れずに屋上へ続く扉を開いた。暗いところから明るいところへ顔を出すとやはりまぶしい。私が生きてきた中で一番太陽に近い場所であった。


「あれ、課長?」

「……やあ、城田主任。」


 あまり広いとは言えない自由に動き回れる屋上の空間の端っこ、設置型の灰皿が置かれた名目上の喫煙所に城田はいた。珍しいことなのか分からないが、その場には城田以外の社員は一人もいなかった。

 殺風景な屋上故に、城田がやけに小さく孤独な存在に見える。


「課長がここに来るなんて珍しいですね。びっくりしました。」

「そうだね。初めて来たよ。空気がいい。」

「……そうですか?」


 気の利いた言葉を言ったつもりだったが、城田は眉をしかめた。微かな表情の変化だったが、城田とはなすことを目的にやってきた私はその変化を見逃すことができなかった。どうやら彼にはこの文句が合わなかったみたいだ。


「昼食は、食べたのかい?」

「はい、食堂で。今日は早めにいけたので、さっさと食べてここに。」


 そう言うと彼は胸の内ポケットから四角い箱を取り出した。それがなんであるかは明白であった。

 煙草。種類はよく分からない、私にはなじみのないものであることは確かだ。私が知っている種類は、今私が持っているものと、金髪男が吸っていたものだけなのだから。

 私はポケットからライターを探しあて、彼の前に差し出した。


「吸うのかい?」

「あ、はい。って、え?課長なんでそんなのもってるんですか……?」

「ちょっと前からね。どうぞ。」


 私はライターの火をつけ、彼の前に差し出す。彼は軽く会釈しながら火に煙草の先を撫でさせる。揺れ動く火の形が変化し、煙草と抱き合っているようだった。


「ふぅー。」


 城田は煙草を吸って長いはずだ。私が課長になる以前から、数年前から煙草をよく吸っているのを知っている。ヘビースモーカーだという印象はないが、よく彼の同僚達を引きつれて喫煙所に向かうのを見た。


 煙草から産まれた煙が空に上っては青に吸い込まれていく。


 ここは屋根のない場所だ。他に人がいた場合などにはいくら喫煙所と言われようとも中々気になって吸えないだろう。副流煙を気にするのだ。

 城田はしばらく煙草をふかした後、まだ吸い終わってないにもかかわらず早い段階で灰皿に亡骸を突っ込んだ。そして今度は彼がポケットからライターを取り出し、私の方を向いた。


「課長も、いかがです?もってます?」

「ああ、そうだね。やろうか。」


 彼は少し控えめに私に喫煙を勧めた。朝山さんほど私に苦手意識を持っているわけではなさそうだが、彼もまた、私を煙たがる人の一人なのだろう。

 私は自分の煙草をポケットから取り出した。彼と違って胸ポケットではなく右ポケットに入っている。胸ポケットの方がかっこいいかもしれない。こんどからそうしよう。

 城田は私がしたようにしてライターに火をつけてくれた。ライターの油はなくなるスンゼンである。


「ありがとう。」


 もう慣れたよう仕草で私も煙草に火を当てる。そしてむせることなく、風味を楽しむ。おいしくはない。ミントの香りは苦手でなく、煙草という媒体が私にとってストレスマネジメントのアイテムとなっただけのことである。


「まさか、課長と一服できるなんて思いませんでしたよ。」

「ほう。なぜ?」

「課長って、なんか、ほら。真面目、誠実って感じがするじゃないですか。だから、ほら、煙

草とかはやらないのかなって。」


 城田は必死に言葉を選んで話していた。そのお気遣いにだけは感謝しておこう。しかしそれがばれてしまっては元も子もない。本心からの言葉ではないのは明白である。


 つまり、私は話しかけにくく、娯楽などに手を出しもしない人だと思っていた、ということか。卑屈な考えかもしれないが、朝山さんの様子を見てもそう思われているとしかもはや思えない。


「でも、実際に、こうして煙草をふかしているよ。」

「そうですね。意外です。……おそろいですね。」

 城田はそう言って私に控えめな笑みを浮かべてくる。今度は本心だった。


 彼が主任になった所以は、こういった親しみやすい面が考慮されたからである。単に仕事が出来るということではない。

 新人の教育を任せると言うことは、新人がこれからも長くこの会社に勤め、仕事を出来る限り快適に行える環境を作ることに責任をもたせるということである。


 主任という役柄がこの会社で持つ役割は、かなり重たいものなのだ。


「城田主任、最近忙しいけど、大丈夫かい?」

「……は、はあ。ほんと、課長どうしたんですか?」

「どうもしないよ。心配になってさ。」


 城田は首をかしげた。そりゃあ今までの私の印象とは違うかもしれないが、私はいつも部下達のことを考えていたつもりではあった。つたわっていないものだな、と空を仰ぐ。


 私は話を進めようとしない城田にすこしむっとする気持ちを抑えきれず、更に続けた。


「さっき、朝山さんに何か言ってたでしょ。城田主任があんな風になるのは珍しいんじゃない

かって。」

「ああ……見てたんですね。」


 城田はあごに手を当てて考える様子を見せた。城田はかなり強く、そしてねちっこく朝山さんを攻めるようにしていた。

 人の気持ちをくみ取るのが得意な彼は、彼の同僚の中ではかなり中心的な人物であった。

 よく城田とその同僚達の集団が会社内を歩いているのを見かける。そして茶目っ気のあるその人柄で皆を楽しませているのだ。

 そんな彼が、苛立ちを隠し切れずに朝山さんに当たる。私の想像を大きく上回る行動である。


「ずいぶん疲れてるような感じだったけど、どう?最近は。」

「……そうですね。ちょっと、きついですね。」

「そうか。それは仕事が?」


 彼は表情を暗くする。こんなに晴れた日である故に、彼の顔に影が差すと一層闇が深くなってくる。

 城田は重い口を開く。


「やっぱり、主任って、きついですね。しかも、いま、この時期だし。正直面倒なんて見てられないって言うか……。」

「そうか。そうだね。」


 城田は、本当に肩に何か思いものが乗っているかのように苦しそうな表情を見せた。沈んでいきそうな声で、かろうじて私に打ち明けてくる。私はそれを城田の信頼と受け取り、話を進めた。


「時期が時期だからね、どうしてもきつくなるのは分かる。実は君が朝山さんに言っていた内

容も聞いてたんだけど、質問してこない、だっけ。」

「そうですね。何回も言ってるんですけど。なんか、プライドありません?あの子。」

「そうかもしれないね。」


 城田も、私と同じ事を感じていた。朝山さんはどこか、他人をかたくなに頼らない節がある。

 

 しかし、それがただ本人の性格傾向から来るものなのか、ただプラドという言葉で片付けて言い問題なのか、疑問が残る。


「今度、私が話を聞いてみるよ。なんだか、ただならぬ理由があるような気がするんだよ。」

「ほんとですか……、それは助かります。」


 城田は気が抜けた声で私に礼を言う。

 私は、自分がやらねばならないという、使命感のような、ある意味でアイデンティティのようなものが芽生え始めていると自分で感じていた。城田と朝山さんを繋げることを目的とした行動であったが、どうやら事態はそれほど単純なものではないのかもしれない。


 私は朝山さんがコンビニを出た後に、助けをかたくなに拒否する姿勢や、自分に原因があることは分かっていると言った時の事を思い出していた。


『いえ、あの、主任に問題があるわけでは……。』

『大丈夫です。自分で、出来ます。』



――朝山さんと、話さなければならない。


 私は城田に書類の書き方を朝山さんに教えるようにだけ伝え、その場を後にした。昼休みがもうすぐ終わろうとしている。朝山さんはもう昼食を終わらせただろうか。


 朝山さんの姿が、離れていく妻の姿と重なる。私が何もしなかったせいで、関心を寄せなかったせいで、どこかに行ってしまった妻。朝山さんも、どこかに行ってしまうかもしれない。

 私は、課長なのだ。人事部の人間を守ることは、仕事のうちである。仕事の世界においては、部下の皆が思っている私、真面目な私でいようではないか。

 真面目な私は、部下を守る仕事を全うする。


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