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灰がたまりすぎたので  作者: オジギソウ
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《幕間》始まりの予感

※本作はネット小説として投稿しているため、行間を大きく開けております。行間がないものをお読みになりたい方は、セルバンテスにてお願いいたします。https://cervan.jp/story/p/8353

 やけにかすれた情景であった。私が見えているこれは、コンピューターフィックスのように視界の中を揺らめいている。


 私はソファに座っていた。

 目の前では45インチのテレビで名も知らぬ音楽グループが演奏している。


 きっとジャズというやつだ。

 私は音楽に親しんできた方の人間ではないがギターとそれ以外の楽器なら見分けられる。


「あ、いまのピアノ。ここがすきなの。」


 私は隣に顔を向けた。

 顔を傾ければ額が触れてしまう程の距離に彼女はいた。私の妻である。

 先ほどまで夕飯に用いた食器を洗っていたので、質素なゴムで髪の毛をひと纏まりに縛っている。


「そうなんだ。」

「そう。高い音ばっかりでね、星空がね、見えてるみたいで。」


 彼女の言うことが私には理解できなかった。彼女はいつもこんなことを言う。

 彼女のインスピレーションに叶うものが耳に入れば、音を情景として捉えて私に説明してくる。


 また彼女が画面を指さして音の話をしている。こんどはベース、というものらしい。ギターとは違うんだね、という確認がしたかったが、以前にもしていたらいけないから止めた。

 

 私は忘れっぽいのだ。特に彼女の話は。


 いや、彼女の話は私が人生の中で聞いた話の大半を占めている気がする。

 聞いた割合が多くなれば忘れる割合だって多くなると思う。聞いた話が多ければ自分に合わない話も増えていくと思う。だから私にとって彼女の話は、好きな話も多ければ合わない話も多いのだ。


「ごめんね、テレビ独占しちゃって。」

「いいや、別に、見たいものはないから。」


 彼女はその返答に少し不満げだった。

 表情にすこし苛立ちが含まれる。眉の不自然な動きでそれを察した。


「なに、それ?」


 彼女はそういうとどこかに行ってしまった、私はあっけにとられてその後を追うことが出来なかった。


 彼女は時折こういった行動をする。先ほどまで上機嫌であったのに、一気にどん底に沈んでいく。

 以前私が謝ると、なぜ謝るのか、私がなぜ怒るのか理解できているのか、と聞かれた。


――また言われるのかもな。


 なぜだろうなぜだろうと繰り返し先ほどまでの会話を思い返してみるが、おそらく彼女が憤る原因となった会話が正確に思い出せない。いくつかある記憶をかき集めても、そこに私の求める「それ」はない。

 こういう大事なことばかり、忘れてしまう。なぜなんだろう。


「なあ、おーい。」


 呼びかけても彼女は反応しない。すぐに直る程度の不機嫌であれば嫌々ながら反応を返すのだが、しばらく待たねば直らないものであれば、助けが必要な時に呼びかけても反応を示さない。風呂を出たときにタオルがなかった時は焦ったものだ。



 視界が赤く染まる。私は布団に顔まで埋めたまま寝ていた。

 カーテンから差し込む光が目覚まし時計の代わりとなって私の脳を刺激する。もう起きる時間、ということだ。


「おはよう。」


 いつもなら、不機嫌なまま眠った彼女はこの声に応えてくれる。朝になれば、機嫌が直っているはずだ。


 しかし、いくら待っても返事は来ない。私は部屋を見回した。やけに散らかっている。


なぜこんなに?


 洗濯したのかしていないのかもはや察しかねる衣類が重ねて部屋の端っこに積まれている。その頂上に君臨するのはもちろん毎日着ることとなるスーツのジャケットである。ジャケットだけはなんとか他の衣類の犠牲を払ってしわを作らず保存することが出来ていた。


――ああ、そうか。

――先ほどの情景は、夢であった。

 

「そうだよな。」


 妻は、元妻であった。今となっては行方も知らぬ、ただの他人である。

 

 部屋は、昨日から変わらない。昨日寝る前に食べたもののゴミが机の上に広げられている。


 会社に向かう前にゴミ箱に突っ込んでしまおう。机の上まで汚染されてはさすがに良くない。私の生活出来る場所がいずれベットのみになってしまう。


 寒さはあったが、使命感に駆られて体は少し温まっていた。息が白いことを確認しつつ机の元に向かうと、あまりかいだことのない臭いがした。

 机の上に、ゴミ以外のものがいくつか増えている。


 直方体の箱。鉄の皿、その上に倒れ伏す亡骸と灰。


 昨日、私は初めて、この煙草に手を出した。

 あの、金髪の男に勧められて買ったもの。味はミントであった。彼はあまりこの銘柄を気に入らない様子であったが、私にはこれが良いのではないかと紹介してくれた。


『これ、初心者用ね。おっさん、まだ十級くらいだから。おれ、5段くらい。』


 彼の選択は正解であった。私はこの煙草が気に入った。

 

 夜、家に帰り着いてから換気扇をつけ、三本ほど吸った。

 私にとって初めての体験であったそれを楽しんでいる間、私は時間を忘れることが出来た。


 嫌なことが頭から一瞬消え去る。喫煙所に休憩に向かう部下達の気持ちが少し理解できた気になっていた。大人である私だが、少し若い大人になった気がした。


 今は、夢のせいで嫌な気分だ。朝は、やめておいた方が良いのかな?


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