灰がたまりすぎたので 4(完結)
水族館で大型水槽というものがいくつもあることは知っているが、その中で泳ぐ魚たちの名前を気にして鑑賞したことはない。その説明書きも、まともに読んだことはない。理由としては自分もそこまで考えたことはないが、すぐ忘れてしまうからではないだろうか。
「課長、あれ何か分かります?」
「え、あれは、エイだ。」
「正解です!」
「さすがに分かるよ……。」
水族館に入ってから、私がカクレクマノミも知らないということに驚いた朝山さんは、私の手を強く引きながら、おおよそ全ての魚の説明を口頭で言ってきたのだ。なぜそんなにくわしいのか、と聞くと、どうやら何度も来たことがある水族館だそうだ。私としては存在も知らなかったものだから、完全に案内役は朝山さんになってしまっている。
男がリードできないデートはダメだろうか。
「トドちょっと臭いから嫌なんですよ。」
「確かにな。だが、泳いでるのを見るとなんだかかわいいぞ。」
「課長、趣味変わってますね。」
「そうかな?」
水槽に囲まれた幻想的なトンネルを通り抜けていると、横を魚たちが一緒に泳いでいるのが面白く感じられた。水の中を散歩している気分だった。ふと朝山さんの方を見るとぴたっと目が合ってしまう。今までずっと此方を見つめていたのかと思うと頬が熱くなる。
「す、すいません。課長、楽しそうだったから。」
「そ、そうか。楽しいぞ。連れてきてくれてありがとう。」
「いえ……。ていうか、私、課長って呼び方可笑しいですね!」
いきなり少し強い口調で私に迫る。そんなことを言われても、いつも通りだから可笑しくは無いと思うが。私が何も答えないでいると、朝山さんが顔を真っ赤にしながら「たたた、高木さん」と呼んでくれた。
「はい、高木です。」
「これでいいですかね!?」
「いいんじゃないか?デートらしくなってきた。」
朝山さんに笑いかける。いつの間にか朝山さんが私の手を握っていたので、そのまま私も握り返してトンネルを抜けた。彼女は少し混乱しているようだったが、この方が気分が良い。そのまま歩いていくと、少し休憩できそうなカフェがあった。看板には、イルカやかわいい魚を模した料理や飲み物の写真が並べられている。
「ここで、少し休む?」
「あ、はい。ここ、おいしいんですよ!」
少しだけ私もリードできた気になる。私が先導して店に入室し、二人で向かい合って座れる席に向かう。店内は少し混み合っていたので、私たちが二人で手をつないでいても誰も気にしていない。むしろカップルが多く、自分ら以外の方がもっと過激なことをしている。ハート型のストローを二人で吸っているのはさすがに時代を感じた。
「高木さん、ここ、禁煙なので気をつけてくださいね。喫煙所は向こうにあります。」
「ああ、ありが……まて、今日私は煙草を持ってきていない。」
「え、そうなんですか?」
「ああ、無意識だったな。いつもならポケットに忍ばせるんだが……。」
ズボンや上着を探っても、愛着のある四角い箱は見当たらない。不思議な感覚に首をかしげていると、朝山さんが冗談っぽく指さして言う。
「あ、私とのデート、楽しみにしてくれてました?もしか、して……?」
だんだん尻すぼみになるのが朝山さんらしい。彼女がここまで初心であると、バツイチである自分があまり緊張しなくて済むのでむしろありがたい。「楽しみだったよ」と何の気なしに答えてみせると、彼女は「そうですか」と俯きながら言った。
デート中、水族館が新鮮なのではなく、朝山さんと過ごすのが新鮮であることに気づいた。二人きりでこんなに長く出かけることはなかったし、むしろ私は彼女との距離を職場で測りかねていた。少し遠い位置にいようとしたのかもしれない。
イルカのショーを見ているとき、水しぶきに驚いて服を少し濡らした彼女を拭いてやると、少しどきどきした。十数年感じなかった感情である。カフェで誰かと語り合いながら食べる食事が凄く楽しかった。皆が飲み会に何度も行きたがる理由が分かる気がする。また朝山さんと『すずらん』へ行きたいものだ。
彼女は旅行が好きらしい。新鮮な気持ちになることで自分の気分を浄化できるのだそうだ。何度もうなずきながら聞いていたと思う。旅行なんて、本当に久しく行っていない。「なら、今度はもっと遠くに二人で行きましょう」と朝山さんが誘ってきたので、私は少し照れながら「喜んで」と答えた。
時間がこんなに早く過ぎるのを感じたことがない。もう夕焼けが空を覆っている。東の空がすでに暗くなり始めていた。私たちは揃って土産物を買い、大きなビニール袋を持って水族館を後にする。
駐車場までの道のりは長い。しかも駐車場も広く、もうすぐ閉館時間だというのにまだ多くの乗用車が止めてあった。自分らの乗ってきたものはその端っこで、まだまだ歩かなくてはならない。
「高木さん、この際だから、煙草止めません?」
「え?んー、まあ、出来ないことは無いと思う。でも、どうして?」
「両親が、少し心配していたものですから。」
「心配?」
なぜ朝山さんの両親がそんな心配をするのか分からず、思わず彼女の顔を覗く。なんだか歯をかみしめて耐えているような顔をしていた。思わず「ど、どうした?」と聞いてしまったが、彼女は目まで閉じてまだ何かに耐えている。
「あの、両親は、その……高木さんが、私の……。」
「……あ。」
なんとなく、想像が付いた。両親は、きっと僕のことを心配したのではなく、煙草を吸っている男と付き合う朝山さんを心配したのだ。煙草はたしかに周囲にいる人にも有害なものなので、その心配は分かる。あっているのか分からないが、なんとなく納得した。
「朝山さん、さ。」
「はい……。」
「結婚、考えてる?」
「はえ!?」
すさまじい勢いで私を一目見ると、彼女はまた瞬時に俯き、小さな声で何かをつぶやき始める。なにやら、緊急脳内会議が行われている様子だ。「いやでも、いやでも!」といろんな考えを否定しては新しい考えを検討している。脳内にもうひとつ会社を抱えているのだろうか。だとしたら相当大変だ。
「えと……高木さん。」
「はい。」
「まずは……おつきあいから、で。」
「そ、そうだよね。分かった。じゃあ、よろしく。」
うつむいたまま彼女は頷く。この年で、やけに初心な恋人が出来たものだ。上手くやっていけるだろうか?不安はあるが、私は、なんとなく、自分の人生が明るい方向に向かっているのではないかと実感した。どん底にいた孤独な時代から、上手くここまで着たものだ。
「煙草、頑張って止めるね。」
「吸いたくなるくらいストレスがたまったら、私に連絡してください。遊びに行きますから。」
高木、35才。ここからまた新たな人生が始まります。失敗だらけの過去だったけど、これから、また、彼女と歩むのだと思うと、なぜか元妻からの言葉が不安に感じられなかった。
なぜなら、今の僕ならば、朝山さんを愛することが出来ると思うから。
ここまでおよみいただきありがとうございました。オジギソウです。なろうにはあまり需要のないジャンルでしたが、ここまで続けてこれたのは応援してくださった皆様のおかげです。本当に、どう感謝して良いか分かりません。
私は今年で物語を書き始めて12年になりますが、作風がライトでなくなってしまって少し困っています(^0^;)なので、頑張ってライトノベルにもチャレンジしてみることにしました。
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