灰がたまりすぎたので 1
「家を早く出すぎた。」
朝、早く起きれたことがなんとなく嬉しくて、ゆったり準備をして時計を見ることなく会社へ向かったが、スマホの画面に表示される時間はまた7時を辛うじて回っている程度。
そんなに早く出社しても私の仕事は多くない。やることのない時間が待ち受けているだけだ。
周囲を見回すと、スマホをいじりながら交差点で止まっているスーツ姿の人々も多いが、いわゆるゲームアプリというもので遊んでいるようで、私はそれらの面白さがあまり分からず、手を出せずにいた。
いつもの半分くらいのスピードで歩く。追い越していく人々は私のことなど見向きもしない。
ならば気にすることもないのだが、申し訳ない気持ちがだんだんわき上がってくる。おそらくこの人達は早く家を出なくては会社に間に合わない人々なのだ。私は全くそんなことは無い。この時期人事部はあまり忙しくもないのだ。
うーん、と頭を悩ませていると、私を追い抜かした一人のスーツ姿の女性がおしゃれな看板を掲げた喫茶店に入っていった。扉につけられた鈴が綺麗な音をならす。
「……これだ。」
私は迷うことなくその喫茶店の入り口を開けた。席は多く、人はあまり多くない。その代わり店員もそこまで多いわけでは無かったが、カウンターで作業をしていた店員から「お好きな席にどうぞ」と案内され、私は一番奥の端っこに陣取ることにした。
会社で言う窓際族。次長のような席だ。
置かれていたメニューを開く。モーニングメニューと描かれたページがあり、明らかにこんな叔父さんが一人で来る店ではないことを語られている気分だった。
どのメニューもおしゃれ。本当に朝ご飯のつもりで作っているのかと疑いたくなるものだった。
これでもかというくらいにパンケーキがアピールしてくる。値段を見ても決して安いものではない。店に入ったことを少し後悔してきた。頭を抱える。
「ご注文はおきまりですか?」
嘘だろ、呼んでもいないのに店員が来たぞ。顔を上げると、若いお姉さんが私を少し冷たい目で見下ろしていた。早く頼めとでも言いたげだ。
仕方ない、もとはと言えば私が焦ってこの店に入ったことが悪いのだ。これも良い経験だ。
「この、コーヒーとパンケーキのモーニングセットをひとつ。」
「はい、コーヒーはアイスとホットがございますが?」
「ホットで。」
パタン、と良い音を立てて伝票と閉じると、そそくさとお姉さんは店の奥に消えていった。恐ろしい、きっと私よりも若い人なのだろうけど、元締めと下請けの合同会議や現場視察に似た緊張感があった。
店内の作りはとてもシックで落ち着いている。木造の机と椅子、バーのようにおしゃれなカウンター席、人のザワメキを少し感じる控えめなBGM。
メニューこそ若い人向け名感じがするが、大人チックに演出さえた店の作りは、きっと万人に受けることだろう。
チリン、とまた入り口の鈴が鳴る。密かにそちらへ視線を向けると、良く見知った顔があった。
今田だ。そして、これまた意外なことに、今田と腕を組んで歩いている女性がいる。おそらく、あれは婚約者だろうか。今田と違ってずいぶんしっかりしている印象を受けた。髪はストレートに肩の下まで伸ばされ、きりっとしたつり目。
しかし今は今田にでれでれなのか、口元が緩んでにこやかに店員と応対している。店員は先程のお姉さんだったが、営業スマイルが自然だ。私に対しては営業スマイルもなかった気がするが。
二人が席に着くのと同時に、頼んでいたパンケーキセットが届けられた。今度はダンディーなおじさまが来てくださって、良い笑顔で机にお盆ごと頼んだものを置いてくれた。
思わず会釈して、まずコーヒーへ手を伸ばす。
口元に持って行くとき、ちらっと今田の方を見た。会社でいつもしているように浮かれて面白そうに話す今田に、それを見て嬉しそうに笑う婚約者の彼女。
すてきな二人だった。今田はなぜこの彼女との結婚を不安に感じているのか。
また、チリンと音が鳴って、若いスーツ姿の男が入店した。そして店内を見回し、今田の彼女さんと顔を合わせると、そちらに向かっていく。
「やー今田さん!久しぶりだ!」
「ちょっと、また今田じゃないから!もうちょっとだけどね!」
「そうだぞ!あんまり茶化すんじゃないよ!自分が結婚相手がいないからってよ!」
「わりーわりー!」
遠慮の無い大きな声が、店内の雰囲気を少しばかり変化させる。これは問題ないのかと心配したが、そこまで客の数が多いと言うわけではないので、他の客は気にしていないようだ。それならいいか、とパンケーキをナイフとフォークで切り取る。
口に運ぶと、食べたことのないしっとり感が舌の上に乗っかった。驚いて目を丸くする。
思わず口が緩んでしまう。これが朝ご飯になるなど、一人暮らしでは、いや夫婦暮らしでも考えられない。多少高価になるのも納得だった。
「結婚式、絶対行くから!」
「ふふ、ありがとう。」
「たくさんお金詰めてくれたらうれしいでーす!」
「おい今田こら!彼女の奥ゆかしさを見習いやがれ!大学時代から変わらないお調子者がよ。」
数人がそろって笑い合う。私は会話が聞こえてしまうことに若干罪悪感を感じながら絶品のパンケーキに追加のメイプルシロップをかけていく。
視線を感じ、再び今田らに目を向けると、あろうことか今田と目が合ってしまった。思わず手が止まる。今田も口をぽかんと開けたまま静止していた。
「でもさ、最近この人何か悩んでるっぽいんだけど、何も言ってくれないんだよ。」
「え!そりゃいけねえ!夫婦たるもの、隠し事なんてなしにしなきゃあ!」
「私もそう思う!どうなの!」
静止している今田に二人が詰め寄る。「え、は。」と話を聞いていなかった様子も今田は二人と私を交互に見て慌てている。すると、店員が二人の席にコーヒーを運んできた。
今田はそれを受け取ってすぐ、一口で飲み干した。
「ごめん!会社で用事を思い出した!また連絡する!」
「え!?どうしたのよ!」
「今田!?」
今田がお金を置いて席を立ち、店を出て行く。二人はただ呆然として、今田をみるだけだった。これはただ事ではない、遠くで見ていた私にも今田の、何らかの苦悩が伝わってきた。
その正体が何であるかは分からないが、ここまで見てしまっては、さすがに見過ごすわけにはいかない。おそらく二人の結婚式には職場の人間も招待される。このままでは、私はどんな気持ちでこの結婚式を訪れて良いものか悩んでしまう。
パンケーキを食べ終え、あとはコーヒーをゆっくり飲めば終わりという状況でスマホの画面を見る。時間は7時30分。いつも家を出るくらいの時間だ。ちょうどいい。
呆然としていた男が、今田の彼女の対面にすわり、何か話している。
「なんか、あいつおかしくね?」
「そうなの。私からプロポーズして、急に決まった結婚だからかもしれないけど、なんだか煮え切らない感じがして……。心配なのよね。」
「……なあ、それ良いたくねえけど、浮気とかじゃ、ないのか?」
「違うと、思う。違うとは言い切れないけど、そんなことする人じゃない。」
相当彼女も悩んでいる様子だった。机に頬杖をついてため息をつく。男もそんな彼女を哀れに思うように見つめていた。私はあまり味を感じないコーヒーを飲みほした。
席を立ち、今田と同じく出社しようとカウンターへ向かう。
「やっぱり、そういう、悩みとか、隠し事とか、すぐに言えるような関係がいい。あの人が何か不安を抱えているなら、それに寄り添ってあげたいもの。今考えると、あの人から悩みなんて聞いたことないわ。今度、真面目に聞いてみる。」
二人が頷きあうのを横目に、店を出た。ひさびさに、『すずらん』にでも行ってみようか。
最終章、開始です。




