煙と歩んだ先で 5
どうしてこんなことになっているのか。私は気づけば朝山家に招かれ、食卓に並んでいた。
「さあさあ、課長さん飲んで!こちらビールでよかったかね?」
「あ、はい。ありがとうございます。」
朝山さんのお父さんがガラスのコップに瓶ビールを注ぐ。家庭に瓶ビールなど置いてあるものなんだな。調理場ではお母さんが楽しそうに揚げ物を作っている。ぱちぱちと油がはねる音が心地良い。居酒屋で聞くものとは違う趣を感じる。
スーパーで朝山さんとお父さんに出会ったかと思えば、目を輝かせた初老のお父さんによって強引に招かれてしまった。営業で培った会話術だそうだ。
YES以外は認めないとするアプローチに、私は見事に屈した。朝山さんは終始恥ずかしそうに顔を伏せていた。なかなかアグレッシブなお父さんである。
朝山さんが酔ったときに荒れるのはお父さんの影響かな?
当の朝山さんと言えば、私の隣に小さくなって座っている。スーパーで出会ってからずっとこの調子だ。一度も私の顔を見ようとせず、うつむいてしまっている。
「朝山さん。」
「はえ!?なんですかい!」
「あ、すいません、娘さんの方に……。」
「え、あ、はい!なんですか課長!」
焦って切り返してくる朝山さんを見て、両親はにやにやと笑っていた。
お父さんに関しては「ニヤニヤ」と口に出して此方を見つめている。正面に座っているのだから見られるのは仕方ないのだが、いたずらっぽい表情で見つめてくるのは止めてもらいたい。
変な汗が私の頬を伝った。おそらく揚げ物の熱気のせいではない。
「課長すいません、急に誘ってしまって。」
「あ、ああ、いいんだ。ちょうど晩ご飯の材料を買いに行ってたんだし、ありがたいよ。」
「父は、こんな感じで騒がしくて、でも人を言いくるめるのだけは上手いんです……。」
「なんじゃなんじゃ!こちとら営業歴何十年の大ベテランぞ!お前に営業の心得を教えたのも儂じゃろうが!」
お父さんが立ち上がって朝山さんに詰め寄る。朝山さんは懸命に諫めようとしていたが、お父さんは収まらないようで、説教じみた口調で営業マンの心得を語り始めた。
朝山さんは、前の職場ではこのお父さんから営業術を学んでやってきたのだ。なんだか、これならきっと良い成績だったのだろうと、なんとなく想像できる。
「お父さん、今日は嬉しいみたいで。すいません課長さん。」
お母さんが揚げ物を持って食卓上の皿に盛り付けていく。普段私が購入しているコンビニの揚げ物とは見た目から違う。
全てが同じように作られているような安定感はないが、手作りであるということが伝わってきて、懐かしい気持ちになった。
「いえ、家庭のご飯を食べるなんて、久々です。」
「あら、普段はお料理をされないのですか?」
「恥ずかしながら……。」
「大丈夫よ。うちに娘には料理をたたき込んであるからね。」
ははは、と笑ってごまかした。なんだか外堀を埋められている感じがする。お父さんと朝山さんはいまだに営業の話で盛り上がっている。朝山さんのなんだかんだ言って楽しそうだ。このような形の家族もあるんだな。
どこまでも賑やかだ。私と元妻の関係はこうして考えると冷め切ったのだと思う。目の前に広げられた揚げ物に視線を落とす。私は揚げ物が好きだ。元妻にも何回も作ってもらった。
そのたびに、私は何か言っていただろうか。「嬉しい」と、言葉にしていただろうか。伝わらないうれしさや幸せな感情など、自己満足なんだろう。思わず唇を噛んだ。
「はーい、お二人さん食べますよー。」
「むっ!ならばまた食後に話をしようか娘よ!」
「もういいでーす。」
四人そろって手を合わせて挨拶をする。食卓の中央にまとめて置かれた揚げ物に私以外の三人は手を伸ばしていた。皆、慌てる様子はないが、すごいスピードで食事を進めていく。一瞬箸が止まってしまった。
私はなんだか可笑しくなって、少し唇がつり上がるのを感じながら揚げ物に手を伸ばした。さくっと衣が鳴る。いい揚げ上がりだ。
「課長さん、うちの娘は職場でどうでっか?変なことはしてねえじゃろうか?」
「とんでもないです。真面目で、真剣に仕事に向き合ってくれてます。」
「ほうかほうか。課長さんがいい人で良かった。娘がいつも話しておるよ。」
「ちょっと!お父さん!」
朝山さんが顔を赤くしてお父さんをにらむ。お父さんは視線を避けるようにし自身の顔を手で覆った。
こわいこわいと茶化すように言っている。お母さんは気にする様子も無く、ずずずと味噌汁をすすっていた。私も微笑みながら味噌汁をすする。少し濃いめだった。
楽しい食事の時間も終わり、私は朝山家を後にする。私が玄関を出るとき、三人とも出てきてくれて、私を見送った。
「また仕事でね。」
そう言って家から離れていく。すこし名残惜しく感じてしまう。
道の先に見える我が家は暗い。外灯だけで照らされるのは、寂しいものである。
私はなんとなく家の前を歩いて通り過ぎる。まだ興奮がさめない。さましたくない。
私は夜の住宅街を一人歩く。誰とも出会わない。それが良かった。余韻には一人で浸りたい。まだ、何も無いところを歩いていたい。
おもむろにポケットへ手を突っ込んだ。愛用の銘柄の箱が開かずに入っている。ライターももちろんあった。
私は数十メートルごとに配置された外灯の下を通って、ある場所に向かって歩く。鼻歌でも歌いたい気分だ。
向かった先は、もちろん喫煙所。だれもいないと高をくくっていたが、一人、男が中にいるのが見えた。
「あ!」
私は少し早足になって向かう。緑の喫煙所のマークが貼り付けられた扉を開いて中にいる人を確認した。小太りな身体に金髪。煙草を教えてくれた男だった。
「君!」
「あ?おお、おっさんか!なんだ、ここ使ってくれてるんだな。」
「もちろん、気に入ってるよ。」
「へっ、あれから会わねえから余計なこと教えちまったかなと不安になったもんだぜ。」
相変わらずの礼儀知らず。しかし、その男らしい控えめな笑みに私は安心感を覚えた。
私にとって彼は恩人だ。彼が吐く煙の臭いが喫煙室に充満している。わたしのものとは全く違う。
おもむろに、私もポケットから箱を取り出して、箱を開けた。
「まだその銘柄なのかよ。」
「そうだよ、あんまり新しいものに挑戦する勇気が無くてね。レジまでいくとやっぱりいつものを頼んじゃうね。」
「根性なしだなあ、おっさん。まあ、でもそれも良いと思うぜ。いつまでも初心者で。」
「初心者も上級者もないだろ。好みに差があるだけだ。」
男がこちらをちらっとみる。私はじっと彼を見つめていた。
「言うようになったじゃねえか。」
「弟子も成長するものさ。」
私もライターに火をつけて、煙草をふかした。彼の吐いた煙に私の煙が混ざっていく。臭いが行方不明になっていく。しかし口の中の風味は私に安心感をもたらす。興奮は冷めていったが、気持ちは温かかった。
彼が煙草を灰皿に押しつけた。まだ吸えたものだったが、やけに乱暴に火を消した。そこで私は気づく。今日はなんだか彼の雰囲気は暗い。
久しぶりに出会った高揚感で気づかなかったが、なんだかうつむき気味に煙草を吸っていた。彼は見せつけるかのように嘆息する。
「なにか、あったのかい?」
「……おれさ、ここにくるのは今日で最後なんだよ。」
「どうして?」
不躾に聞く。彼は頭を掻いて小考する動作をしたのち、私の方を見ずにうつむき加減のまま話した。
「嫁によ、止めろていわれてさ。なんかすまんな、せっかく久々に会えたのに。」
ちらちらと此方を申し訳なさそうに見てくる。身構えてその答えを聞いていた私は胸をなで下ろした。こんなに聞く準備をしていた自分が馬鹿らしくなって、大げさにため息をついてみせる。そのままけむりをいまだ放っている煙草を吸う。
「そんなことか。」
「そんなことってなんだよ、おっさん。」
「いいじゃないか。嫁さんはなんていってくるんだ?」
「身体に悪いから止めろだってよ。あと、妊娠が分かったからよ。」
私はおもわず拍手をした。彼は「やめろ」と手を振ってみせる。私はますます気分が良くなって、大きく拍手をした。
「おめでとう!」
「……ありがとよ。」
彼は、嬉しそうだった。私もなんだか嬉しくなる。目頭が熱くなる気がして、慌てて煙草を灰皿に押しつけて目元をぬぐった。
「なに泣いてんだおっさん。」
「歳をとるとな、涙もろくなるんだよ。」
「へっ、おっさん変わってるぜ。人間は年を取れば取るほど血も涙もねえ奴になっていくもんじゃねえのかよ。」
「そうかもしれない。でも、私はそうならなかった。むしろ、最近こうなったのかもしれないね。」
涙が、幾筋も頬を流れていく。ぬぐっても、ぬぐっても、涙は流れる。涙もろくなると言ったが、泣いたのは10数年ぶりだと思う。私は、今感動しているのだ。人の幸福に感動している。
目の前で彼が、屈託のない笑みをうかべる。そんな顔も出来るんじゃ無いか。私よりも大人びて見えた彼が、子供のように笑っている。
「はははは!」
思わず、大声で笑った。狭い喫煙室から、大空に笑い声が響いていく。




