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灰がたまりすぎたので  作者: オジギソウ
18/25

煙と歩んだ先で 4

 土曜日。朝、六時。


 手元にあったスマートフォンの画面にそう表示されている。どうも、健康的な時間に目を覚ましてしまったようだ。やけに頭がすっきりしている。カーテンの外から光が差し込まない時間に起きるのは久しぶりだ。私はうきうきして身体を起こした。

 

 カーテンを思い切り開く。外の世界はもう明るい。

 しかし、人の動いている気配はない。まるで世界に自分しかいないような気持ちだった。そのまま窓を開いて空気を吸う。吸ったことの無い、冷たいが新鮮な空気だった。

 源泉で飲む澄んだ水の感触のようだ。小さい頃、山登りの時に飲んだ気がする。


「やけによく眠れたな。」


 身体を思い切り伸ばす。んー!と声が出た。近所迷惑だが、これくらい許してくれよ。久しぶりの早朝なんだから。

 やがて、向かいの家からおばあさんが出てくる。自分の身体くらい大きな箒を持って、玄関先を掃き始めた。

 じっと見ていると、目が合ってしまった。おもわず会釈をする。おばあさんも笑顔で会釈を返してくれた。なんだか気分が良い。


 私は自室を見回した。ずいぶん長い間、掃除というものをしていない。


「いつも、あいつがしてくれたから、なあ。よっと。」


 足に力を入れ、ベットから降りる。

 窓を開けて、冷たい空気が部屋に広がり始めていた。それが気持ちよくて、今日は窓を開けたままで良いか、と思った。煙草の吸い殻が灰皿に少し乗っている。今日は、煙草もやめておこうか。



 部屋の掃除は、45リットルのゴミ袋を六袋、満帆にした。

 リビングに鎮座するそれらの前で腕をたたいて「よし」と歓声を上げる。自室の覗けば、起きたばかりの情景はどこに消えたか、床の綺麗なフローリングが目立つシンプルな部屋になった。

 こうしてみると家具は本当に少ない。パソコンが置いてある仕事机と椅子。中央に置かれた小さな机。そしてベッド。


 気持ちの良いものだった。かつての自室の姿を取り戻したのだ。初めて一人暮らしをしている気分だった。今までもずっと、一人だったのに。

 リビングの様相と、自室が同じようになった。これでようやく一つの家になった気がする。一人で住むには大きな家だが、これが私の本来生活空間なのだ。私はこれを自由にして良いのだ。

 元妻がいなくなって使ったことがない場所はおおくある。その代表がキッチンである。使うどころか、立ち寄ることも少ない。ほとんどの食事はコンビニ出るし、買ったものはその日に消費してしまうので、堪るのは食材ではなくゴミであった。

 新品のように綺麗なキッチンを眺めて、私はここで元妻が料理をしていた時の様子を思い出した。

 妻がここで料理をしている間、私はその視線の先でテレビをボーッと眺めていた。手伝おうなんて微塵も思っていなかった。

 それが当然なのだと、勝手に決めていた。元妻も、何も言わなかったなあ。


『なにかおもしろいのやってる?』

『……ん?いや、特に。』

『じゃあなんでテレビなんてつけてるのよ~。』

『なんでかな、テレビは、観るものだからかな。』


 ふうん、と元妻は面白くなさそうに頷く。私も自分が言ったことに首をかしげていた。なんとなく、することがなかったらテレビをつける。自分が一人ではない気になるのだ。

 元妻が家事をしている間、自分は孤独だと感じていたのかもしれない。なら、手伝えば良かったんだ。なんでそれをしなかったんだろう。


 無性にキッチンを使ってみたくなった。私は自室に戻り、財布を手に取る。完全に雑な私服のまま、玄関を出る。偶然、玄関のポストに挟まっていた。チラシを手に取った。ここの近所のスーパーのものである。それを眺めながらエレベーターに乗り込んだ。今日は、牛肉が安いらしい。



 歩いて15分ほど住宅街を出てすぐにスーパーはあった。思ったよりも大きい。中で迷ってしまうんじゃ無いかと心配になった。元妻はここに一人で買い物に来ていたのだからすごい。

 スーパーの商品の並びが新鮮だった。どこに何があるのかも分からない。おろおろ戸当りを見回しながらとにかく歩く。野菜売り場が最初にあったが、特に買う気にはならず、ずんずん進んでいった。


 野菜売り場を過ぎるとあったのは魚コーナー。切り身からまるまる一匹まで、たくさんの種類の魚が目白押しであった。しかし、名前を見てもあまり親近感は沸かない。普段食べていたものはどれなんだろうかと見て回った。さすがに鮭と鯖くらいはわかるが、おそらくどちらも元妻の料理には出てこなかった。鰺というのが怪しいが、確信が持てなかったので購入までには至らなかった。

 エビの近くに「特売」と大きな文字で書かれた看板が置かれていたが、元々の値段が分からない。


 大回りに歩いていたので、内側に何があるのか分かっていなかった。ふと魚売り場から振り返ってみると、調味料がならべてあったり、お菓子が並べてある列がいくつもあった。

 スーパーに来るのは初めてでは無いはずだ。子供の頃は親と来たのだが、数年行っていなければこうも異界のように感じるものだろうか。周囲を迷いなく歩く主婦達は異界の住人だ。もしかしたら会社のひともいるのかもしれない。


「あれ、課長。」


 後ろから声がかかる。意外にも、その声は城田だった。振り返ってその姿を確認する。彼は隣に女性を連れていた。


「城田主任。お疲れ様。」

「課長、ここのスーパーをお使いなんですね。知りませんでした。」

「あ、ああ。」


 使ったのは今日がはじめてだが、わざわざ言うことでもないだろう。

 ふと、視線を女性に向けた。向こうもそれに気づき、会釈をしてくれる。


「課長、彼女は僕の妻です。あかねっていいます。」

「あかねです。お話は伺っております、高木さん。」

「ははは、どんなお話なのやら。」


 三人とも控えめに笑う。城田の邪魔をしては悪い、私はそのまま「じゃあ」と声をかけて調味料の並びに歩いて行った。二人はどうやら魚の一つ先に向かったようだ。


――そうか、城田も結婚していたんだな。


 二人で休日に買い物。微笑ましいものだ。私は全くしなかった。元妻は、そうして欲しかったんだろうか。


 思わずうつむく。後ろを主婦が通りにくそうにしていたので避けた。それでも、まだ身体が動かなかった。スーパーの軽快な音楽が耳障りに聞こえる。私の気分とは対照的なものであった。おもわずため息をする。


 とにかく、せっかく来たのだからご飯の材料くらいは探して帰ろう。そう思って顔を上げた。


「え、課長!?」

「は、え……。」


 目の前に、朝山さんが立っていた。時間が止まったように二人とも動かない。彼女も、きっと私も目を丸くしている。初めて来るところに来ると、初めて経験することがあまりに多い。


「おい、どうした?」


 朝山さんの後ろから、年配の男性が顔を出す。初めて見る顔も多い日だ、今日は。


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