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灰がたまりすぎたので  作者: オジギソウ
17/25

煙と歩んだ先で 3


 静粛に行われる業務中、私が一人関係の無いことを思考していても誰が気づくわけでもない。皆から提出された書類をまとめながら、ちらりと今田の席を見る。

 何か引っかかるところがあるわけではなく、その様子は普段と変わらない。しかし、その心中が穏やかなものでないことは私だけが知っている。

 それ故、いつもより手が動いていないのではないかと勘ぐってしまう。


「課長、こちら、お願いします。」


 もう耳になじんだ声が聞こえた。朝山さんが私のデスク前までやってきている。書類が差し出されていた。


「ありがとう。チェックしておくね。次の仕事もよろしく。」

「はい。あの、課長。何か考え事してます?」

「え?」


 思わず眼前の彼女を見つめる。眉を寄せて首をかしげていた。視線が交差する。唐突に目が合い、しばらく言葉を交わさずにいると、朝山さんが頬を赤く染め始める。


「あ、あの……。」

「あ、ごめんごめん。大丈夫だよ。そんなに、深刻なことじゃない。」

「かちょー!朝山ちゃんに色目使わないでくださーい!」


 女性社員達から黄色い声援が上がる。先ほどまでの厳かな空気はどこへ消えたのか、休み時間の教室のごとくざわめきが起こる。朝山さんは他社員達を掘り向いて身振り手振りで否定している。

 私は思わず肩を落とした。ふと視線を今田に送ると、彼もこちらを見てにやけていた。 


 しかし、それはいつものうざったいものではなく、どこか大人びた微笑みであった。私はその奥に何があるのかまた考え込んでしまい、周囲のどよめきの中に入ることが出来なかった。



 定時を知らせるチャイムがならされる。繁忙期を過ぎた人事部は、急いてやるような仕事も溜まっておらず、よっぽど進んでいない人以外は職場を後にして帰宅している。

 本日定時で帰れない様子であるのは数人だったが、以外にもその中に今田が含まれていた。

 席を立っていく社員が多い中で、今田がいらついたように頭を掻く。


「なんだ、まだ終わってなかったのか。」

「そうなんだよー、困った困った。」

「珍しいなー。手伝おうか?」

「いや、いい。ちょっと、今日は早く帰らないといけないから、明日に回すわ。」


 そう同僚と会話して今田がこちらに顔を向けてくる。手を合わせ、申し訳なさそうに会釈をした。私は嘆息し、「帰れ」と手を振って応える。今田はまた何度か会釈をして同僚と共に人事部の部屋を出て行った。

 その背中を見送ってから、私も書類のチェックを終え、席を立つ。まだ仕事をしている社員のチェックも、そこまで急いでいるものではない。


 全員に向けて挨拶してから人事部の部屋を出た。いつもであればやるべき仕事は終わらせてから帰るのだが、今日はなんとも、仕事に身が入らない日であったため、帰ることにした。

 それに、ポケットにある箱の中身もすでに空だ。買い足す必要がある。


 中身のない箱を手で触りながら会社を後にした。家の方向へ歩こうとすると、すぐそこで朝山さんが立っていた。

 こちらに気づいて会釈をし、近づいてくる。まさか、まっていたのか?


「朝山さん、どうした?」

「いえ、あの、偶には、帰りをご一緒できないかと思いまして……。」


 すこし恥ずかしそうに言う彼女は、さながら恋する乙女であった。うん、誰が見ても、男ならそう思うであろう。私も35だ。残念ながらそういったものに鈍感な世代ではない。

 すべては私の酔いから始まったことだ、ここは、断ることが出来ない。


「行こう。」

「あ、はい。」


 ぶっきらぼうに言う。我ながら上手い返しではないと思う。朝山さんも虚を突かれたようで、少ししてから後を追ってきた。


 やや空の色が変わり始めていた。この時間に帰るのは久しぶりだ。

 なんとなく空気がさわやかな気がする。自分たちの周りを歩く人々も、顔つきは明るい。夜遅くに帰れば帰るほど、人々の顔はゾンビに近づいていく。


「課長。」


 朝山さんが声をかけてくる。私は「ん?」と顔を向けて応える。


「なんだか、今田さんのこと気にしてませんでした?今日。」

「……よく見てるな。」


 やられた、という風に頭に手を置いた。朝山さんは穏やかに笑ってみせる。


「今田さん、何かあったんですか?」

「いや、別にたいしたことじゃないんだ。ちょっと、気になることがあってね。」

「そうなんですか。あんまり、話せないことですか?」


 そうだね、と頷いてみせる。彼女は納得したように首肯して顔を前に向けた。職場は今田の結婚を祝福するムードだ。本人がその結婚を不安に感じているとなれば、話はすぐに広がり、皆が黙っていないだろう。

 それがいくら今田を思っての行為であっても、本人がそれを望んでいないのなら、そうすべきではない。そう脳内で理由を考えて、口をつぐむ意志を固めた。


「課長、あんまり、無理しないでくださいね。」

「無理?してないよ。」

「あの、職場の人から聞いたんです。課長が、その、前の奥さんと……。」

「余計なことをよく話すなあ……あの女性陣は。」


 すいません、と朝山さんが呟く。知られても仕方ないことだ。職場で結婚離婚の話なんて、よっぽどでなければ隠し通せることではない。いずれどこかでばれる。


 私が結婚していることは、指輪をつけていたことから皆にばれていただろう。離婚したことも、特に皆に報告したわけではない。

 しかし、私が所属している部署が部署だけに、離婚によって戸籍が変化し、保険の変更手続きなどをすると、どうしても同僚達が書類をみることになる。私に関しては絶対に隠せないのだ。

 

 自分の左手を見る。薬指に、まだ指輪の跡が残っていた。思わず深い息をつく。


「課長、辛かったら、いつでも言ってくださいね!私、課長の力になりますから。」

「……そう言ってくれて、救われるよ。でも、離婚はもう割り切ってるからさ、そんなに気にしないでね。」


 その言葉に、朝山さんは返答しなかった。私が無理しているように感じられたのだろうか。もしそうなら、私の試みは失敗だ。心配をかけたくなくて言ったのに。

 今田の結婚を応援したくて、彼の悩みをどうにかしてやりたいと思っていた。しかし、自分のことも割り切れていない人間が、どういう声かけをする権利があるだろう。


「課長!スマホを出してください!」

「……は?」

「連絡先、教えてください!」

「な、なんで?いいけど……。」


 朝山さんが怒ったように言う。強引な彼女は酔ったとき以外では初めて見た。気迫に押され、思わずいいと言ってしまった。

 連絡先の交換はスムーズにさっと終わる。画面上にかわいらしいアイコンと彼女の名前が表示されていた。


「何かあったら連絡してください!私からも、連絡しますね!」

「あ、ああ。」


 彼女が笑う。『すずらん』で、行動しようと決意した私なんかよりも、よっぽど積極的に動いている。うらやむと同時に、憧れた。


 状況は変わり始めている。いろんな方面で。


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