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灰がたまりすぎたので  作者: オジギソウ
16/25

煙と歩んだ先で 2

 昼休憩のチャイムが鳴る。席を立ち、人事部の部屋を出た。

 繁忙期を終えた人事部は、飲み会の余韻に浸りつつ仕事をのんびりこなしていた。私の仕事内容にたいした変化はないが、量に関しては天と地ほどに異なる。うちの会社独特のものかもしれないが、全員定時退社なんていうことも起こったりする。

 皆、いつもよりもコーヒーをつぐ回数が増え、コーヒーメーカーに限っては今の方が忙しそうである。


 誰とも会話することなく、屋上の扉を開いた。まだ、誰もこの空間にたどり着いていない。やや曇り空の空に、天気予報を見なかったことを後悔しながら喫煙所に歩いた。

 手に握っていた箱を開き、中身を確認する。あと、三本。


「まあ、大丈夫さ。」


 一本摘まんで、箱とライターを持ち変える。煙草がどうしても吸いたくなるほど、今は落ち詰められているわけじゃない。


 火をつけて、浅く煙草を吸う。口の中に甘みのあるミントの風味が広がっていく。この感覚が、私を落ち着かせてくれる。ストレスフリーの状態に、ストレスマネジメントのための煙を吸うことは、幼子が長期休業時に旅行に行くような楽しみがある。解放されている気がする。


「飛んでいきそうだ……。」


 灰色の空を見つめる。遠くに、濃い色の雲がこちらに向かってくるのが見える。きっと、帰る頃には雨が降っているのだろう。

後方から、屋上の扉が開かれる音が聞こえた。思わず振り向くと、見知った顔がひとつ、ぽつんとあった。


「今田。」


 私の声が聞こえていないのか、今田はふらふらと左右に揺れながらこちらに歩いてくる。昨日の飲み会の奇行ははなんであったのか、今の彼は別人のようだ。肩を落とし、顔に影が差している。目もうつろで、どう見ても元気がない。朝見たときにはそんな様子は見られなかったが、なぜこうも疲れている様子なのか。


「今田!」

「ほあ!?」


 今田が飛び上がる。大げさな驚き方だ。それは素なのか、と突っ込みたくなる気持ちを抑えて煙を出し続ける煙草をもうひと吸いする。


「か、課長。早いですね。」

「ふうー。まあ、誰もいなかったね。今田もはやいじゃないか。」

「そ、そうですね。」

「どう見ても様子がおかしいぞ。どうした?飲み会での奇行なら気にしなくてもいい。」


 は、はい。と言葉が出ない様子の今田を、私は訝しむように見つめる。この反応では、おそらく今の彼の様子は自身の奇行が原因ではないようだ。

 なにかあったのかと小考していると、今田が突然明るく言葉を発した。


「よし!おっけー!煙草っ、煙草っ。」

「今田、そんなに無理に明るくしなくて良いぞ。なにかひっかかる。」

「別に無理してないですよお!ちょっと二日酔いがね!きつかったんで!」

「……。」


 今田は慣れた手つきで煙草を吸い始める。しかし、すべての動作が大げさだ。ひと吸いして、やけにすっきりした顔で天を仰ぐ。スポーツドリンクのCMみたいだ。残念ながら口にしているのはそのような健康的なものではないが。


 私もつられてもう一度煙草を口につける。煙を曇り空に向けて吐きながら今田を見つめる。

 笑っている顔が、やけに不気味に見える。猫背が、何かを背負っているように見える。私は最近、こうした他人の挙動に敏感すぎるのではないかと思うこともあるが、この今田が、普段と違うことは確信を持って言える。


「今田、なにかあったのか?」

「……課長、しつこい男はきらわれますよ。」

「お前と違って、嫌われて困る相手などいない。」


 今田が眉を寄せた。


「僕と違って?」

「ああ。婚約者がいるんだろ。」


 煙草を設置型灰皿に押しつけて、捨てた。今田から返事はない。今田を見るが、じっと曇り空を見つめたままだ。

 何か見えるのかと同じように隣にたってしてみるが、特に何も見えない。今田は真剣な表情をしていた。仕事をしている時でさえこのような表情はしていない。

 目を細めて、何か思考している様子だ。私は彼の言葉を待った。煙草を吸いながら、ずっと何かを考えている様子の今田は、一男としてかっこよく見えた。


「課長。」

「うん?」

「僕、不安なんすよ。結婚。できないっす。」

「できない?」


 思わず今田を見る。微笑みながら、悲しそうな目をしてうつむいていた。

 結婚を不安に感じるのは分かる。生活も何もかも変わる。相手とは毎日顔を合わせるし、結婚する前には両親への挨拶もあるだろう。

しかし、そんな不安に負けるような男ではないと思っていた今田が、「できない」とまで言うのは、不自然なように感じた。


「なにか、あったのか?」

「なにもないっす。ないもない。驚くほどに何もない。彼女はほんとに良い奴っす。僕にはもったいないくらい。でもね、でも。このままじゃ、無理ですよ。僕、彼女の人生、背負える気がしないんですよ。それに、彼女に僕の人生を背負わせたくない。」


 私は首をひねった。よく内容がつかめなかった。


「つまり、自信が無いのか?」

「……まあ、いいっす。こんな話、人にするもんじゃないっすよ。課長は、朝山さんと仲良くした方が良いっすよ。僕なんかに時間を使わずに。」

「おい、今田!」


 今田が、灰皿に煙草を放り入れる。中はすでに亡骸が積み重なっていた。まだ今田のものから煙が上がっている。かすかに、細く。今田が屋上の扉に向かいながら、私に言う。


「嫌われて困る相手なんていないって、いってましたよねー?絶対、今の課長にはいますって!朝山さんをご大切にー。」


 今田が扉の向こうに消える。やけに大きく、扉を閉じた音が響いた気がした。


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