煙と踊ろう 7
曰く、私は昨日、居酒屋『すずらん』にて朝山さんとともに初客としてもてはやされ、おごりだの何だのと言われながら酒やつまみを暴飲暴食していたらしい。
私は普段飲まない酒を飲まされ続け、早々に酔っ払って壁にもたれかかっていたそうだ。そのぶん朝山さんは奮闘し、おじいさん達と共に杯を交わし続けたらしい。
しかし、ある一線を越えたとき、プツンと人格が入れ替わったかのごとく周囲の人間達に絡み始めたそうだ。これを本人が職場の皆に話しているのだから、朝山さんにとっては今後の人間関係が大きく変化する事になるのではないかと思う。
「おじちゃんおじちゃん!日本酒なんか飲んでないで!そんな高いの飲んでないで!やっすい発泡酒でシャワーでも浴びましょー!」
「お嬢ちゃんそれは資産家でもやらない贅沢かもしれんぞ……。」
「スズさん!ビールジョッキお願い!」
「おうよ!うちのは発泡酒じゃないけどね!」
「ひゅーうサイコー!」
さすがにこの状況には今田も声が出せなかったようで、私のそばにずっと付いていたらしい。
そもそもは『すずらん』をチョイスした君のせいなのだから責任を取りなさいと言いたい。
朝山さんの豹変にノリよく対応してくれていたおじいさん達もいつかは体力を使い果たし、
椅子に座り込んだり、床に寝そべってしまったりしていた。
一人、また一人と力尽きていく度にスズさんが声をかけに行き、必要な人には迎えを呼んでいたそうだ。なんともサービス精神旺盛なことである。
いつしか店内のおじいさんが一人たりともいなくなったとき、朝山さんは多少の落ち着きを
取り戻した。しかしその豪快な人柄はそのままである。
スズさんも店が落ち着いたことで嘆息していた。
「お嬢ちゃんなかなかの酒豪だね。最初見たときはそんな感じしなかったのに。」
「まあ、割と猫かぶってるんで。」
「いいねえ。聞いたか?今田。」
「聞きました。聞いちゃいました。」
朝山さんは微妙に怯えている今田に目もくれず、手中にあるビールジョッキをあおる。スズ
さんがその様を先ほどとは違う優しい目で見つめている。
「あんた、なんかストレス溜まってるみたいだね。」
「そう見えます?」
「ああ、見えるね。職場のストレスかい?」
スズさんの声は温かい。声だけで相手の言葉を受け止める準備が出来ていることがわかる。
今田はそんなスズさんを初めて見るようで、朝山さんとスズさんの背中をじっと見つめていた。
「違いますね。私は、私自身が嫌なんですよ。」
「自分自身?」
「そうです。」
すこし荒っぽく、朝山さんが応える。すぐにまたビールジョッキを地面と垂直になるまで掲げ、残っていたものも飲み干してしまった。ジョッキの中には白い泡たちが地面に向かって落ちていっている。
スズさんはまた優しく尋ねた。
「自分自身、っていうのは?」
「私、なんか、引きずっちゃうんですよ。恋愛もそうだし、仕事もそう、失敗も。」
「へえ、そうかい。」
「前の職場、なかなかブラックだったんですよね。」
朝山さんはすこし眉を寄せながら話した。スズさんに向けて話している様子ではなく、過去を回想するようにして飲み干したビールジョッキを見つめている。
「なんか、新しい仕事が来たとき、分からなかったら聞けって、優しそうな顔した上司が言っ
てくれたんですよ。でも、仕事に詰まってどうしても分からなかったときに聞きに行ったら、『なんでそんなこともわからないんだ』って言われて。『使えないな』って。」
「そうかい。それは辛かったろう。」
「結局、嫌になってその職場は辞めたんですけど。新しい職場になってさあ頑張るぞってなっ
ても、人事職って初めてだから、勝手がわかんなくって。質問したいけど、質問したら怒ら
れたら嫌だなって……。」
「だから、自分でやってやるって?」
「……そうです。」
朝山さんは目元に涙を浮かべながら話をしていたらしい。鼻をすする声が聞こえる。顔は見えなくても、今田にはそのつらさが伝わったそうだ。
しかし、伝わっているのは今田だけではなかった。
「でも、そのせいで、迷惑ばっかかけちゃったみたいで。課長にも気を遣わせて。今日ここに案内してくれた今田さんも。」
そこまで話がすすんだところで、私が急に声を発したそうだ。顔は相変わらず真っ赤でへろへろとした声ではあったが、確かな意思を持った発言であった。
「迷惑じゃないよ。」
「へ?」
突然のことに朝山さんは驚き、私の方を見た。
「迷惑なんかじゃない。君が働きやすいようにマネジメントするのが私の仕事だ。だから、気
にしないでほしい。僕は、君の助けになりたかったんだ。」
「い、いやいや。課長、そんな。私はそんな気にされるような人間じゃないですよ。仕事も遅いし、質問しても良いってなったら、今よりみんなに迷惑だし。なんだったら、また転職しても。」
「ダメだ。」
朝山さんはうつむきかけていた顔を上げた。私は思ったよりも大きな声で否定の声を出して
いたらしい。今田も驚いていた。私はその二人を気にせずに真っ赤な顔で続ける。
「君にいなくなってほしくない。ここにいてくれ。」
「って、感じだそうです。」
城田は一仕事やりきったという意味の深い息をついた。私は途中から顔を両手で押さえ、ま
ともに聞いていることが出来なかった。
『ここにいてほしい』。これが問題だ。受け取り方によってはおかしな意味に聞こえてしまうではないか。そういう受け取り方をしたのであれば、朝山さんの今朝の態度は納得がいく。なんということだ、私は。覚えていないところでなんということを口走っているのだ!
「で、課長。この話は本当ですか?」
「……覚えてない。」
「は?」
「酒の飲み過ぎで、覚えてないんだ。」
人事部内の雰囲気が凍る。音がなくなる。聞こえるのは、誰かが箸でつまんでいた弁当の具
を床に落とした音くらいだ。
皆の視線が微笑ましいものを見る目から呆れに代わり、やがて軽蔑のまなざしに変わる。城田が皆を代表して口を開く。
「課長、やっちゃいましたね。この責任は割と重めですよ。」
責任、という言葉が私の頭をガツンと殴った。背中に責任がのしかかって立ち上がることが
出来ない。責任は私を逃がそうとしていない。皆が私に責任を投げてくる。私は身動きもとれ
ず、責任の山に埋もれてしまった。




