煙と踊ろう 6
気づけば目の前から、カラスさえ近づくこともないであろうゴミと衣類の山が私を見下ろしていた。一瞬自分がどこにいるのか、どういう状態なのか理解できなかったが、自分の部屋で倒れ伏しているのだと気づく。
首から上のみを動かして周囲を見回しても、人の姿は見えない。いつしかゴミ屋敷になってしまう未来が見え隠れしている。
「あー、そうか。家には帰って来れたのか。」
目を瞑って記憶を探ってみても断片的なものしか思い出せない。
覚えているのは久方ぶりに多量の飲酒を行ったこと、『すずらん』の店主さんやお客さん達と話したという事実。そして、なにやら荒れている朝山さんの赤い顔。
冷たい汗が頬を伝った。なんだこの光景は。椅子の上に立ち上がり咆哮をあげる朝山さん。ハイボールを私の口に注ぎ込む朝山さん。今田の頬をはたく朝山さん。
いずれの朝山さんも髪の毛が乱れ、顔を真っ赤に染めている。暴れる彼女を押さえようとするも振り払われる頼りなさそうなおじいさんたち……。
「曖昧な記憶になっていて正解だ。このまま奥にしまっておこう。」
出社準備をしているとき、頭痛と胃もたれを強く感じた。おそらく二日酔いというものだと思われる。私は学生時代でさえ二日酔いにはなったことがない、もちろん記憶を飛ばしたことも。慎み深い学生生活だったと思う。
それなのに、なぜ今回はこんなになるまで飲んでしまったのか、記憶が定かでないのが少し恐ろしい。
運転する車の中で、私は時に頭痛のする頭を抱えながら会社に向かった。痛む頭を労るためでもあるが、会社でどのように朝山さんへ顔を向けるのかについて悩んでいるためでもある。それに、今田と何を話したのか記憶が無いのも気になる。
信号待ちになった。ここの信号は待ち時間が長い。しかも今日は家を出るのが遅くなったために渋滞の列が伸びてしまっている。このままでは会社に着いたときには他の皆がほとんどいる状態で部屋に入ることになる。少し気まずい。
そもそも今田は、あまり飲み会を知らない私に色々教えてくれると言ったはずだ。結局学んだことと言えば『すずらん』というお店はとんでもないところだということ。そして、二日酔いは辛いと言うこと。朝山さんは酔うと怖いと言うこと。
学べて良かったことも確かにあるかもしれないが、こうなることは全く予想していなかった。
ハンドルにうなだれる。一番の悩みは朝山さんである。本当にどう声をかけてよいかわからない。
会社のエレベーターの扉が開いた。少し歩けば人事部の部屋に続く。憂鬱な気持ちに顔に影が差すのを感じながら人事部の扉を開く。
「おはようございます。」
私の一声に室内の職員達が一斉にこちらへ目を向ける。やはり予想通り、ほとんどの社員が入社していた。いないのはおそらく今田くらいだ。私は嬉しいやら悩ましいやらで嘆息するが、なにかと先ほどから様々な形の視線を感じる。
私は顔を上げて室内を見回した。顔をなにやら興奮気味に私を見つめる女性社員が数人見られる。男性社員は苦笑を浮かべたままパソコンに向かう者がいる。
私はその空気にたじろいだ。なぜかそこから一歩も動けない。そのような視線を向けられる覚えは私には全くない。
私がおろおろしていると後ろから今田の脳天気な声が聞こえてきた。
「おはようございまーす。あれ、課長、どうしたんですかここで。」
「お、おはよう。いや、別に。」
「あ、朝山さんも、昨日はありがとねー。」
「ぶっ……は、はい。」
なぜ吹き出したのだ、彼女は。朝山さんの方に初めて顔を向けると彼女は顔を赤くしてうつむいてしまった。その意図が分からず私は首をかしげるが、今田はそんな私の顔をのぞき込んでほくそ笑んだ。
「なんだその顔は?」
「課長、昨日は朝山さんにあんな情熱的な言葉かけてましたから、朝山さん、照れてますよ。」
周囲の雰囲気が氷のように固まったのを感じた。一気に女性社員達の頬が朱に染まり始める。興奮のあまり机をたたき始める者まで出始めた。
「な、何の話だ?そんな、情熱的?」
私は予想外な今田の言葉にうろたえながらも、それならば今の朝山さんの態度も頷けると感じていた。しかしそれが本当に話であれば、おそらく私は記憶を失っている。一番大切なところである。
私はいったい彼女に何という言葉をかけたのであろうか。
「またまたあ。とぼけなくて良いですよ。いやあ、課長けっこうすごいですねえ。あんなに必死になって。すごかったですよ。」
今田の言葉は一切の具体性が排除されている。このままでは周囲の人間の誤解が広がるばかりである。この状況の中心人物である私がなぜか一番置いてきぼりの状態ではどうすることも出来ない。
「と、とにかく仕事だ。今日もやるべき事はたくさんあるんだからな。」
「はいはい。またあとでおはなししましょーねー!」
私と今田は早足にそれぞれに席に着くがしばらくは社員達の興奮が収まることはないだろう。今も耳が燃えているように赤くなっている女性社員達がパソコンの前に突っ伏している。これでは仕事も進まない。今日は残業する人が多いかもしれないな。
朝山さんも必死に仕事を進めようとしているが、ちらちらと私を見ては頬を染めている。たまに青くもなっている。しかしあれは二日酔いのせいという訳ではないのだろう。私はいったい何をしたのだろう……。
また頭痛がしてきた。今度はきっとストレスが原因だ。こういうときこそ煙草が良いのかもしれない。
いつしか興奮も収まったかと思い、仕事に熱中した。日が一番高隈で登り切った頃、いつものように昼休みを示すチャイムが鳴る。
ならばいつものようにみな各々で食事を行うであろうと思われたが、本日は様子が違った。
「朝山さん!ご飯食べましょ!食堂!」
「ずるいわ!私も参加!」
「私も!」
朝山さんは拒否権を求めることもなく女性社員達の群れに連れられて人事部を後にした。きっとこれから尋問が始まるのであろう。
ここまで彼女が他人から興味を持たれたことはない。きっと朝、私が来ていない頃に昨夜の出来事を話してしまったのだろう。女性社員達はそれに興味津々というわけだ。
「課長。」
「……ああ、城田主任。」
「話は又聞きですけど聞きましたよ。なんか、すごいですね。そこまでやる人だとは思いませんでした。」
城田も私に対して敬意というよりも恥を感じているような態度をとっている。男性社員らはすべて彼のような苦笑を浮かべて私を見つめている。もちろん今田は除かれるが。
「なあ、すまんが君たちの間でどのような事実が横行しているのか聞かせてくれないか?誤解がありそうな気がしてならないんだ。」
「誤解ですか……。まあ、我々が聞いた内容が事実でないならば誤解になるのでしょうけどね。」
城田は、順に話し始めた。




