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灰がたまりすぎたので  作者: オジギソウ
10/25

煙と踊ろう 4


 私は仕事に身が入りきらなかった。どの資料に目を通しているときも、朝山さんと城田についての思考が止まらない、そしてまとまらない。

 このように部下の関係について悩むことはなく、そして一人の人間についてどのように話しかけるかを悩んだのも初めてだと思う。この状況に置かれることが分かっていれば、人と交流しておけば良かったと悔やんでしまう。


 朝山さんは私が買ったパンふたつを、ゆっくり頬張りながら昼休みを過ごし仕事を再開したらしい。 

 後々城田に報告されたことだが、朝山さんが人事部の部屋に戻ったとき、同僚の皆に質問攻めをされたそうだ。質問の内容は主に私に関することである。


 私に連れられていったい何を話したのか、私はどういう人間なのか、実は私は朝山さんを好きでいるのではないか、ということまで。噂は広がりやすいと聞く。あまり目立って朝山さんに話しかけるのは良くないことなのかもしれない。


「課長、昨日言われていたものです。」


 いつの間にか部下が私のデスクに近づいてきていた。少し驚いて思考が止まる。


「あ、ああ。ありがとう。チェックしておくよ。」

「よろしくお願いします。」


 私が一瞬反応を遅らせてしまったことに部下は気づいていない様子だった。ほっと胸をなで下ろした矢先、また一人の部下が私のデスクに向かってきた。


「課長、できました。チェックお願いします。」


 デスクの正面に姿勢良く立ち私を見下ろすのは朝山さんであった。出してきた書類は城田の書き方を教えられたものだ。どうやら城田はうまく教えられたらしい。


「ありがとう。チェックが終わったらすぐいうよ。」

「……はい。」


 思い詰めている様子がどうしても私の目には映る。

 私は周囲の目を感じながら、どう声をかけたら良いのか考えた。

 私が朝山さんと話すことは、朝山さんが周囲の人間から質問攻めに遭うことの温床となり得る。それは理解できていた。しかし、人気のいないところで朝山さんに話しかけるなど、ストーカーまがいの行為でもしない限り不可能な話である。

 第一私は今までろくに部下達と交流をしてきていないのだ。

 朝山さんがこの会社からどのようにして帰宅するのか、普段はどこにいることが多いのか、交流関係はどうかなど、知る由もない。じつに惜しまれることである。


「次の仕事、城田主任に言われているかい?」

「はい、割り当ててくださったものがあります。」

「そうか、出来るだけ早めにチェックを進めるから、そちらをしておいてもらえるかな?」

「はい、承知しました。」


 実に堅いやりとりであった。私はまだ、朝山さんという人間に何一つ理解が及んでいない。彼女がどういう言葉を欲しているのか、私にはまだ分からなかったのである。


 定時の時間はとうの昔に過ぎ去った。人事部の部屋でデスクに向かっているのは私と他数人程度である。しかし彼らの提出書類を私はチェックしなければ帰ることができない。

 いや、帰ることは可能であるが、それを私の自己ルールが許さないのである。今日の仕事は、今日のうちに。これが就職以来絶対に守ってきた私の信条なのである。


 このルールのおかげで特別遅くなる日もなければ、さらには仕事が溜まらないので早めに帰られる日まで出てきたのである。しかしそれは当時の上司によるマネジメントが非常に影響していたと、この役職に就いて気づいた。


 その人に見合い、無理のない程度の仕事量、かつ一番ハイ高率な割り当てとなれば、考えるべき要因はあまりに多い。その人の人柄や業務態度、上司との関係など、必要な情報はたくさんある。


 つまり、輝きが小さな星と外灯のみになったこのときに、デスクに向かって腕を動かし続ける彼らを作り出してしまったのは私に責任の一端があるのである。

 ある意味で、彼らの仕事が終わるまで帰らない私は少しの罪滅ぼしをしているのではないだろうか、と罪の酌量を求めるが、おそらく彼らには伝わっていないのである。


「チェック、お願いします。」

「はい、お疲れ様。」


 一人、また一人とそうやりとりしては皆が帰宅していく。

 ついに残っているのは三人になってしまった。私と、朝山さん、そして今田である。 


 先に席を立ったのは今田であった。

 今田は仕事をするのがとても早いと思っていたが、今日に限って最後まで残っている。

 珍しいこともあった物だと思いながら、今田が渡してくる書類を私は受け取る。書類に目を通す前に、声をかけてみたくなった。


「君は仕事が丁寧だよね。」

「え?」


 今田はひどく驚いたようで、私の顔を目を見開きながら見つめた。私は書類の全容を見るためにクリップで留められた数枚のページをめくりながら続けた。


「君のまとめた資料は本当に見やすい。見る相手のことを考えているのがよく分かる。」

「は、はあ……。」


 懸命に褒めたつもりであったが、伝わっていない様子であった。口べただと思わせる言葉だっただろうか、それとも偉そうに言い過ぎたのかもしれない。私は今田の反応に首をかしげながら内省をした。


 すると今田が私を見つめていた大きな目を落ち着かせ、私に笑いかけてきた。


「課長、ありがとうございます。そんな風に言ってくれて。」

「あ、ああいや。」

「課長、今日、朝山さんに声かけてましたよね。俺、びっくりしたんですよ。まあ、びっくりしたのは俺だけじゃないんでしょうけどね。」

「あ、ああ。そうかもしれないね。」


 今田は私に優しくほほえみながら話す。私はその態度に少し尻込みした。


――緊張しているのだ、私は。


 部下とこうして話すのは本当に経験してこなかったことで、うまく距離感をはかりかねる。しかしこうして今田のような部下から近づいてこられると戸惑ってしまう。私から話しかけて、ここまで話を広げられるとは思わなかった。


「課長、この後、飲みに行きません?」

「……え?」

「僕、良い店知ってますよ。課長、あんまり飲み会とか行ったことないじゃないですか。」


 ご明察、であった。私は職場の飲み会というものにほとんど参加したためしがない。参加したとしても酒は飲まず、早く家に帰ることばかり考えていた。

 しかしそれは妻が家で待っていることを考慮したためであって、今となっては参加しない理由はなくなった。

 とはいえ、共に飲みに行く相手などいなかったし、家で一人で飲むだけで満足することは出来ていた。居酒屋などに頼る事は無いと思っていたのだ。


「そうだが、居酒屋などにはあんまり行ったことがなくてね。」

「じゃあ、僕が色々教えますよ。お酒の種類とか。お店とか。」

「きゅ、急にどうしたんだ。私は君にそんな、なにかしたか?」

「まあ、縁ですよ縁。普段あんまり人を褒めない課長に褒めてもらえたんで。なんか、課長とは仲良くなれそうな気がするんです。それに、城田さんとは一緒に煙草吸ったんですよね。意外と話しやすい人なのかもしれないと思って。」


――なぜこうも、縁というものを感じる力を持っているのか。


 あの金髪の男と今田が重なる。たった一つの共通点。たった一度の交流。それだけで、なぜこうもその相手と話すことができるのか、ポジティブな目を向けられるのか。その人がどんな人間であるかなど、それだけでは全く分からないではないか。


 我々人事部の仕事の一つとして、『採用』というものがある。その名の通り、会社に必要な人材を募るために活動し、最終的には採用面接などに参加したりもする。そして採用された人間を配置し、管理するのだ。

 そんな、半ば人間を数値などにして見るような作業をしていた私にとって、彼らの考え方は理解することが難しかった。縁、という言葉とはほど遠い位置に私はいる。


「縁、とはなんだろうね。」

「縁は縁ですよ。……あるというより、感じるものです。あえて嬉しいという気持ちからくる

ものですかね。」


 今田は詰まることなく言葉を続けた。

 当然です、と言われている気分だった。知らないのは私だけなのかもしれない。

 世間では普通にされていることなのか、この縁というものを感じることは。


 私は自分が今田の言葉に惹かれていることを感じていた。この胸の内にある煙草といい、縁といい、私には初めてのものに出会うことが最近多い気がする。きっと、以前なら惹かれることもなかった。今はこの波に身を乗せてみても良いのかもしれないと感じている。


 私は今田を正面から見つめた。


「よし、いこう。君のオススメで店は決めてくれるか?」

「はい、承知しました。」


 今田は落ち着いている。しかし、少し安心しているようにも見えた。私が返事をすると、胸をなで下ろしたかのように息をついたのだ。

 そして、彼は私の想像を更に超える言葉を発する。今気づいたとでも言わんばかりに声を上げ、顔を私からそらしてある人を見据えた。


「あ、そうだ。朝山さん!君もいかない?」

「へ!?」

「おお……。」


――そうきたか。ところでそれはどんな縁を感じたんだい?




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