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灰がたまりすぎたので  作者: オジギソウ
1/25

prologue

※本作にはタバコの描写が多分に含まれています。

※本作はフィクションです。

※本作はネット小説として投稿しているため、行間を大きく開けております。行間がないものをお読みになりたい方は、セルバンテスにてお願いいたします。https://cervan.jp/story/p/8353

 

 口内に染みついていた風味が消えた。

 抜け毛が気になり始めた髪の毛を思わず掻いてしまった。目の前に広げられた履歴書をまとめて書類棚にしまいにいく。もうすぐ昼休みも終わりだ。


 すでに仕事に手をつけ始めている社員もいる。数人が立ち上がった私の方を見て眉をひそめた。


 しかしそちらを気にしている場合ではない。口内が寂しい。思わず口の中で舌を回し、顔をしかめた。


「ねえ課長、何かあったの?」

「知らない。不機嫌そうだよね。」

「いつものことだろ。」


 若い社員の声だった。全員の顔と名前は一致している。なぜなら私が採用に関わった子達なのだから。 

 

 きっと彼女らに私を侮辱しようという意思はないのだ。私に聞こえないように気をつけて話している。きっと私以外の誰かが彼女らに注意をしてくれるだろう。


 書類をしまった私はそのまま『人事部』と書かれた扉を開け、廊下に出た。


「お前らさ、声でかいって。絶対聞こえてたぞ。」


 私の希望していたとおり、誰かが声をかけてくれているようだ。



 廊下はざわつきに満ちている。時には高らかに笑う声も響いていた。

 食堂で昼食を取っていた人々が各々の仕事場に戻っていく。四角い手持ち時計をいじりながら歩いている人や数人で並んで歩いている人がいると、気を遣って端っこまで体を寄せて歩いてしまう。

 

 胸の内ポケットに入っている箱を触ってみる。うん、まだ数本入っているな。


 私が向かったのは屋上にある喫煙所。特に敷居があるわけではないが,見晴らしの良いところにスペースがあるのだ。


 屋上には階段で上がる。まだ階段で息を切らすほど衰えてはいない。腕時計を見ると、もう昼休みは十分も残っていなかった。


「おっとっと。」


 胸元から箱を取り出しながら、少し急ぎ足で階段を上っていった。箱は薄い黄緑色なので目立ってしまいがちだが、私はこの箱とたばこの味が気に入っている。人目を気にすることなどもう忘れた。


 キイイ――と高い音を立てて屋上へ続く扉が開いた。


「あれ、課長。いまからですか?」

「ん、ああ。今田君か。」


 扉から入ってきたのは同じ人事部の部下であった。

 細身で背の高い彼は、社内では目立つ人間だ。身長は本人曰く190センチらしい。髪も長めで真ん中で分けられているのが特徴的だ。この髪型になったのは採用後研修が終わってからだったか。


「もう時間ないですよ?大丈夫ですか?」

「昼休みも仕事をしていたんだ。少しくらい許してくれ。」

「じゃあ俺ももう一服していくんで、それ許してくれたら許しますわ。」


 やられた、とわざとらしく髪をかき上げて見せた。今田が笑って扉の向こうに手招きしてくれる。人工的でない光が目を刺してきたので、箱を持っている手で目元を隠した。


「まーたミントですか。たまには僕のも吸ってみてくださいよ。」

「君が吸っている種類は知ってるよ。ショートピースっていうんだろ。辛いらしいな。」

「正解です。よくご存知で。課長が吸ったら仕事にならなくなりそうですね。」


 またニヤついている今田を見て、こいつにはかなわないなと心底感じた。特に何かされたわけではないが、口論だけはしたくないものだと常々感じている。


 屋上の空気は澄んでいる。今日は天気予報通りの快晴。天気予報を信じたい日。この空間を、今から私は少しだけ曇らせる。やがて消えてしまう薄い雲だから、あまり罪悪感もない。


 階段を駆け上ったせいで上がった息をごまかすようにため息を二、三回。深呼吸を一回。そうしているうちに端にある喫煙スペースにつき、落下防止のための柵に正面からもたれかかった。


「課長今何歳ですか?」

「……今年で三十五だ。」


 ははーん、と馬鹿にしたような声を出す今田に怒る元気もない。

 ようやく呼吸が落ち着いてきた。肺に新鮮な空気が入ってくるのがわかる。空気中の五分の一しかない酸素をもっと感じようともう一度深呼吸をする。


「じいさん。」

「違う、おじさんだ。お前もいずれこうなる…。」


 どーですかねー、と適当な相槌をうちながら、今田はポケットからライターを取り出している。慣れた手つきでそのまま箱から一本取り出し、口にくわえる。

 ショートピースだ。箱の『鳩がオリーブの葉を咥えている』デザインに似合わず、平和の文字も見えない今田の吸い方に笑ってしまう。


「なんすかー。」

「いいや。ピースの名に恥じぬ有害物質だ。」

「ひでえ。うまいんすよこれ。これのおかげで俺の心のピースは保たれてるんすよ。」

「そうかそうか。」


 先ほどのお返しで、適当な相槌をうってやる。私も箱から一本取り出し口に咥えた。


「おっと。課長。」


 咥えたものから煙を出しながら今田がライターを近づけてきた。こういうことだけは、きちんとしてくれるやつだ。


「どうも。」

「はいはい。そんな初心者用タバコ吸ってもー。」

「…うるさいな。合う合わないの問題だろ。好みに初心者も上級者もあるか。」


 再び柵にもたれかかる。下から幼児たちの甲高い笑い声が聞こえてきた。十人程のランドセルを背負った子供たちが、先生に連れられて歩道橋を渡っていた。


「子供はいいですねえ。こんなものに頼らなくても毎日楽しそうで。」


 皮肉めいた言葉を笑顔で話す今田だったが、その口調に悪意はこもっていなかった。


 子供。元妻と別れていなければ、あの中にうちの子もいたのだろうか。少し目を細めながら子供たちを見つめていた。私と元妻が子供の両手をそれぞれつかんで歩いている姿を想像しながら。


「課長、ロリコンみたいな顔しないでください。もう休憩終わりますよ。」

「ロリコンではない。わかった。」


 いつの間にか短くなっていたそれを捨て、二人でオフィスに戻る。口の中は満たされた。口の中だけは


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