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水沢ながる短編集

彼は手紙を愛しすぎた

作者: 水沢ながる

 僕は手紙が好きだ。

 今はメールとかSNSとか、ネットを介したコミュニケーションばかりになっているけど、僕は昔から自分の手で手紙を書くのが好きだった。

 時代遅れだの何だの言われることが多すぎて、今では逆に聞き流せるようになった。むしろ、手紙の良さがわからない奴らのことがかわいそうに思う程だ。

 筆記具が違っても、紙が違っても、それぞれ書き味が違うし、読み味だって違って来る。それはディスプレイで読むデジタルな通信にはないものだ。

 字だって一生懸命練習して、フォントの文字にも負けないくらいに読みやすい字を書けるようになった。

 学生時代、ある女子にラブレターの代筆を頼まれ、僕は思った。


 ──これ、商売に出来るんじゃないか?


 思えば代筆屋なんてのは昔からある仕事だ。やりようによっては、手紙の代筆なんかも仕事に出来るんじゃなかろうか。ネット上での開業なら、割と容易だし。

 僕はネットにサイトを立ち上げ、手紙の代筆の仕事を始めた。最初は泣かず飛ばずだったが、段々と口コミで仕事が増えて行った。

 やはり手紙はいい。手で書かれた文字は、温かみがある。心が伝えられる。そんな反応が返って来ると、僕も嬉しくなって来る。片手間だった代筆の仕事は、いつの間にか本業と化していた。

 心を伝える手紙。ネットの時代における、手書きの真心。そんなコピーと共に、いつしか僕は「手紙作家」と呼ばれるようになっていた。


     ◇


 玄関のインターホンが鳴った。同時に連動しているタブレットが起動する。

「どなたですか?」

 僕がタブレットに答えると、相手は認識IDをセンサーにかざした。ピッ、と読み取り完了の電子音が鳴る。

『こういう者ですが』

 ディスプレイを見ると、特殊認識IDの赤い表示が出ている。

 来客認識システムの認識IDには何種類かある。普通の客はその場で発行される一回限りの簡易認識ID、約束のある客は日時制限のある予約認識ID、運送業者などは会社単位で発行される法人認識IDといった具合に。どの来客を通しどの来客を弾くかは、認識IDの種類ごとに設定が出来る。

 その中で、警察庁や国税局などに発行されるのが特殊認識IDだ。捜査や監査などの権限を持つ者に発行される認識IDで、場合によってはセキュリティレベルに関係なくロックを解除出来る。

 ディスプレイには「M県警 中央署 捜査課」の文字が表示されていた。僕は急いで玄関のロックを解除した。

「どうも、お忙しいところ済みませんねえ」

 入って来たのは、風采の上がらない感じだが、妙に愛嬌のある笑顔を浮かべた小柄な男だった。刑事は警察官専用の携帯端末を取り出し、ディスプレイに身分証明書を表示させた。警部補という文字が見えた。

「私、中央署捜査課の名越と申します。酒巻雄一さんでよろしかったですね? 手紙作家の」

「作家だなんておこがましい。僕はただの代筆業者ですよ」

 手紙作家。僕のこの肩書は、最近は僕自身を縛り付け始めているようにも感じる。

「いえいえ、手紙をアートの域まで高めた方だと、評判はおうかがいしておりますよ。……よろしければ、お仕事場を見させてもらってよろしいですか?」

「ええ、いいですよ」

「どうもどうも」

 刑事はにししし、と奇妙な笑い方をした。


「ほう、これは壮観ですなあ!」

 僕の仕事場を見て、名越刑事は感嘆の声を上げた。

 ずらりと並んだストッカーには紙の種類、色、縦書きか横書きかによって分類された便箋がしまわれている。中には透かしの入ったものや模様の入ったもの、イラスト入りのものもある。

 戸棚にはペン、万年筆、筆などの筆記具の数々が。本棚には国語辞典や漢和辞典、類語辞典といった各種辞書の類が。

「まるで文房具屋だ……いや、今時文房具屋でもこれほどの品揃えはないでしょうな」

 デジタルが発達した現在、文房具というものはほとんど趣味として使うものになっている。文章はもちろん、マンガやイラスト、製図などもすでにほとんどがアプリでの作成だ。

 学校でも、昔はランドセルに重い教科書を詰め込んで運んでいたそうだが、今は教科書もノートもタブレット一つで事足りる。保護者への通知などはスマホに一斉送信されるので、プリントという存在もなくなって久しい。

 そんなわけで、文房具を使うのは趣味や職業でわざわざ使っている者達が主流だ。その中でも、こんなに揃えているのは本当に僕くらいだろう。

「手紙を送る人、受け取る人、伝える内容によって便箋も筆記具も変えているんですよ。それぞれのシチュエーションにぴったり合うものをと探していて、気がつくとこうなっていました」

「なるほど、こだわっていらっしゃるんですなあ」

「手紙は、心を伝えるものですから」

 それが僕のポリシーだ。手紙を一通書くのにも、依頼主と何度も面談をして、伝えたい事柄をつかんでからでないと書かない。文面はもちろん、字面からでも依頼主の伝えたいことが感じ取れるように、言葉も表現も充分に吟味する。

 刑事は机の上にあった白紙の便箋を一枚手に取り、光に透かして見た。

「こちらの便箋は、酒巻さんのオリジナルですか?」

「はい。紙から作らせてます」

 書きやすさも読みやすさも極上の、僕の自慢の紙だ。

 刑事は便箋を元の場所に置くと、部屋の片隅に目を留めた。

「あれは? ドローンですか?」

「はい。配達用のドローンです」

「配達までご自分でされるんですか?」

「手紙は伝えることが重要ですから。今は個人事業者でも配達ドローン免許は取れるんですよ。小さいですが、10kgまでの荷物は運べますし、自律AIを搭載しているので、目的地の設定さえしておけば自分で行って帰って来れますし、遠隔操作も出来ます」

 興味深そうにドローンを見ている刑事に、僕は声をかけた。

「ところで、刑事さんはどうしてこちらに……?」

「ああ、失礼。──資産家の町田和真さんが殺害されたのはご存知ですか?」

「はい、ネットニュースで見ました」

 町田は僕のスポンサーの一人だ。商機を読むのに敏く、投資や事業への融資で巨額の富を得た男だった。最近は現代アートを中心とした文化事業への出資も始め、その恩恵を得た一人が僕である。

「町田さんからもお手紙の依頼を?」

「いえ、町田さんは手紙自体には興味はないようでした。あの人は、『手紙を書く』『手紙を送る』という行為自体をアートとして面白がっていたようです。ご自分が手紙を出そうとしたり、受け取ったりということはありませんでした。……僕に『手紙作家』という肩書をつけたのも、実質的にはあの人ですよ」

 町田に手紙への愛があったかどうかはわからない。町田にとっては、僕の手紙もただの投資対象だったのだろうと思う。

「なるほど。……これは形式的な質問ですが、一昨日の夜10時頃、どちらにいらっしゃいました?」

「その時間は、ここで仕事をしていましたよ。とは言っても、この家には僕一人しかいないので、アリバイにはなりませんね」

「いえいえ、あくまで形式的なもんですよ」

 にしししし。この小男の笑い方は妙に気にさわる。

「──ああ、そう言えば酒巻さんは、『渡辺』という人物をご存知ですか? 町田さんの関係者で」

「渡辺ですか? ああ、町田さんのご友人の方ですね。なんでも、たびたび借金を頼まれていたとか、町田さんがぼやいてましたよ」

「ほほう」

 名越刑事は、携帯端末に何やらポチポチとメモっている。

「いやあ、実はですね、町田さんの殺害現場は自宅なんですが、被害者が倒れていたデスクの陰の、見えにくいところに血で『渡』と書いてあったんですよ。関係者を洗ったところ、渡辺の名前が上がりまして」

「……そうなんですか」

「この事件、色々妙なところがありましてねえ」

 刑事は思わせぶりに言った。

「現場から持ち去られていたんですよ──床掃除用の小型ロボットがね」

 掃除用ロボット。僕はちらりと床に置いたままのダンボール箱を見た。町田の家にあったロボットは、ちょうどあの大きさだ。

「それは……犯人が持って行ったんじゃないですか? 自分の痕跡を掃除させてから、足がつかないように」

「そうですな、我々もそう考えています。現場にはホコリ一つ落ちていませんでしたから」

 僕は思い出す。ちらちら散った紙吹雪、それを吸い込んで行く小さな機械。それは僕の絶望そのものに他ならない。

「ちなみに来客認識システムのデータは消されていましたが、どうも何処かの運送業者のIDが使われた形跡がありまして」

「ハッキングでもしたんでしょうかね」

「来客認識システムも、これで結構脆弱ですからね。ただうちのサイバー担当によれば、運送用の法人認識IDを持っている者なら、ゼロからIDを偽造するより書き換えが容易らしいです。……まあ、渡辺は運送業で働いていたことはないとのことですが」

 名越刑事はにこやかな顔を崩さない。

「何よりもおかしなことは、先程も言いましたデスクの血文字でして」

 ……え? 僕は思わず刑事を見た。どういうことだ。

()()()()()()筈の被害者が、どうやってあんなものを残せたのか、とね」

 字が……書けないって?

 僕が口を開こうとした時、名越刑事の端末のアラームが鳴った。

「おっと、本部への連絡の時間だ。すみませんねえ、外回りをしてる時は定期的に連絡入れないといけないんですよ。長居をしてしまいましたし、また改めておうかがいいたします。では」

 一方的に言って、名越刑事は部屋を出て行った。僕は一人、仕事場に取り残された。刑事が中途半端に語った言葉にかき乱されたままで。それが本当なのか確かめたくて、いても立ってもいられなかった。

 ──もしそれが本当なら、僕のしたことは足元から崩れ去ってしまう。

 僕は思わず、刑事の後を追っていた。


 家の前に停まった車の前に立っている名越刑事の笑顔を見て、僕は自分がまんまとおびき寄せられたのを悟った。

「どうも、酒巻さん」

「刑事さん……さっき言ったことは、どういうことなんです」

「これ以上の話は、車の中でさせていただくことになります。もっとも、警察車両内での会話は全て記録させていただきますが」

 車の内部では、チェアが既に対面モードになっている。今日びほとんどの車は自動運転なので、運転者が常に前を向いていなくてもいい。必要に応じてチェアを対面に出来るのだ。

 ただし、パトカーや覆面パトカーといった警察車両においては、対面モードになった場合は特別だ。中での会話や映像は全て記録されて警察内のサーバーに保存され、証拠として取り扱われる。俗に「走る取調室」と言われる所以だ。

 名越刑事は、僕をこの車に乗せる為に、あんな中途半端な言葉を投げかけたのだ。

「嘘だったんですか? 僕をおびき寄せる為の」

「いえ、本当ですよ。それ以上のことを知りたいのでしたら……」

 刑事は僕を車のドアへといざなった。僕は観念して、車に乗り込んだ。


「まだ信じられませんよ、町田さんが字を書けなかったなんて。読み書きなんて、小学校で習うことでしょう」

「ところが、このご時世、字が書けなくてもさほど困らないんですよ」

 狭い車の中で、刑事は僕と対峙していた。愛嬌のある笑顔を崩さないままで。

「学校ではタブレットが主流、書類の類もオンライン上で何とかなるのがほとんど。実際に文字を書くようなことがあっても、お金を出せば代わりにやってくれる人も見つかる。──あなたのように」

 名越刑事は僕を指さした。

「町田さんはこのことを家族や特別親しい者にしか言っていませんでしたから、あなたを始めとした皆さんが知らないのも無理はありません。それでも複数の証言が得られましたよ。町田さんは字が書けない。書こうとしても、何だかわからない線の塊になってしまう。そんな人が、咄嗟に『渡』なんて複雑な字を書けるわけがない」

 姑息な工作は、根底から崩れてしまった。なんてことだ。

「配達用ドローンを持つには、配送業者としてのライセンスが必要だ。配送業者であれば、漏れなく法人認識IDがついて来る。……血で残した文字なんて、手紙を書くあなたらしい発想ですが、それが仇となりましたな」

「……それで、僕を?」

「いえ、決め手はこれです」

 名越刑事が端末のディスプレイに表示させたのは、小さい糸くずのようなものだった。

「被害者の爪の間から検出されました。鑑識によると、紙の繊維の一部だそうです。……あなたの使っている便箋はオリジナルの特別な紙だ、照合すれば同じものかどうかわかります」

 この刑事が僕の机で便箋を触っていたのを思い出す。もしかすると、あの時一枚くらいこっそりしまい込んでいるのかも知れない。

 僕は目をつぶり、深く息をついた。

「……手紙作家だなんだともてはやされてますが、僕の懐は火の車でしてね」

 刑事はうなずいた。

「今は珍しい文房具をあれだけ揃えているんだ、お金もかかることでしょう」

 使われなくなった道具は、当然の如く値段が上がる。文房具は消耗品なので、なくなればまた買わなければならない。特注の便箋も、こだわればこだわるほど値が張る。しかし、依頼主と面談までして気持ちを伝える手書きの手紙は、量産は出来ない。赤字は続いていた。

「だから、僕は町田さんに追加の融資……いえ、借金の申し込みに行ったんです。──僕の渾身の手紙を持って」

 手紙には僕の手紙への情熱を綴り、最後に融資のお願いを付け加えた。読んでくれさえすれば、心を動かすことは出来ると信じていた。

 しかし。

 町田は、手紙をちらりと一瞥しただけで言ったのだ。


 ──これは、私には意味のないものです。


 何を言っているんだ。読みもしていないのに。


 ──酒巻さん、あなたからこんなものを受け取ることになろうとは、非常に残念です。


 そう言って、町田は手紙をビリビリと破り捨てた。まるで憎んですらいるように、執拗に。僕の手紙だった紙吹雪が舞い落ちるのを見て、僕はあの男を開封用のハサミで刺し殺した。僕の心が踏みにじられた気がして、許せなかった。

 破られた手紙を回収するために、掃除用ロボットを使った。紙の欠片でも残っていれば、僕がいたことがバレてしまう。紙切れを全部吸い込んだ機械を抱えて歩くのは目立つので、遠隔操作で呼び寄せた自分のドローンで自宅まで運んだ。中のゴミを捨てて、いずれ処分するつもりだった。

 そして、以前から町田に金をせびって疎まれていた渡辺に容疑を向けさせようと血文字を書いたのだが、それは完全に余計なことだった。

「なるほど、それは──不幸なすれ違いですな」

 刑事の言い方に、何となく引っかかるものを感じた。僕の不審そうな表情を読んだように、刑事は語り始めた。

「先程、町田さんが字が書けないと言いましたが、それには原因がありましてね。……被害者は識字障害だったんですよ」

 識字障害……だって?

「ディスレクシア。文字を文字として認識出来ない障害です。識字障害者用の特殊なフォントであれば何とか読めたそうですが、手書きになるとほぼ読めなかったそうです。フォントを変えられるタブレットテキストや読み上げソフトによって学校の授業は受けられ、成績も良かったそうですが、文字を読んだり書いたりすることは苦手だった」

 そんな……それでは僕のしたことは、町田の言った通り、全く意味のないことだったのか。読めば心が伝えられる自信はあった。でも、読めない相手には。

「そうでもないんじゃないですかね」

 名越刑事はお気楽な口調で言った。

「町田さんは、自分が字が書けない分、あなたの仕事にかなりの憧れを感じていたようです。だからあなたへ融資もした」

「では、なんで町田はあんなことを……」

 自分への手紙を破き捨てるなんてことを。

「町田さんという人は、かなり勘の鋭い人だったそうです。だから読み書きが出来なくても学校の成績は良かったし、商売でも成功出来た。──だから、読めないながらも感じ取ってしまったんじゃないですかね……あなたの手紙に、真に込められたものを」

 僕を見つめる名越刑事の目は笑っていない。思えば、にこやかな笑顔を作ってはいても、彼の目は最初から笑ってはいなかった。

「そう──渡辺などと同じ、『金が欲しい』という何よりも俗な感情をね。手紙というものに憧れを感じていた町田さんは、それで大いに失望してしまったんですよ」

 ああ……そうか。美辞麗句を重ねてみても、結局は僕の言いたいことはそれだった。字を読めない町田にも、ちゃんと伝わっていたんだ。

 もしかすると、僕の手紙の究極の読み手は町田だったのかも知れない。町田は町田なりに僕の手紙を愛していたからこそ、自分から金を引き出すために書かれた手紙なんていうものの存在が我慢ならなかったのだろう。

 車はいつの間にか警察署の前まで来ていた。名越刑事は、車内の記録を「自供」カテゴリに登録した。

 僕は、何となく晴れ晴れとした気持ちで、名越刑事と共に警察署の中に入って行った。

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