小さな依頼者4
私たちが住んでいるこのエルキドゥ王国は、王宮を中心に巨大な円を描くように広がっている。
一番外側は幅のある堀となっており、王国全体を囲んでいる。
その内側には一般区と呼ばれる、一番階級の低い市民が暮らす木造の建物が、其処彼処に軒を連ねている。
さらに内側へ行くと、石造りの壁が姿を現し、その向こうには、石造りと木造の入り混じった建物がひしめく商業区が広がっていた。
この区画には主に商人が店を構え、商いをしている。
商人とは言え、様々な店が立ち並んでおり、鍛冶屋から薬屋まで、あらゆる商いが一年を通して店を開けていた。
さらにその向こう。
また壁が立ちはだかり、それを過ぎれば国公区と呼ばれる、国の政を担う区画には入る。
国公区には、主に役人が務める庁舎が立ち並び、レスターの所属する特務警察もこの中にある。
ここは居住区ではないため、夜になれば人がいなくなり、日中の賑やかさはどこへ行ったのか、静寂だけが漂っている。
国公区の先には、貴族が住居を構える貴族区がある。
建物の作りも一気に豪華になるため、その違いは一目で分かる。
しかしながら、下級から上級まで全ての貴族がここに家を構えているわけではない。
それぞれが家を構える場所は階級で決まっており、国公区により近い場所は下級貴族、王宮により近いほど上級貴族ということになる。
そして、貴族区の先には、エルキドゥ王国を治める国王の住まい、王宮が国の中心にそびえている。
全ての区画を壁で隔てているその様は、空から見れば円の中に円があるような並びになっているだろう。
その国の中でも、我々が向かったのは一般区の南側三番街。
俗に言う、スラムと呼ばれる場所だ。
「相変わらず辛気臭ぇ場所だな」
レスターは周囲を怪訝な顔で見回していた。
この三番街は治安が悪く、建物はどれも隙間が開き、ボロボロになっていた。
その建物と建物の間からは、厚化粧をした女たちが、下着と疑うような格好で客引きをしている。
いわゆる、売春だ。
路地裏に回れば、今度は強面の男たちに囲まれて、有り金を巻き上げられるだけでなく、少々痛い思いをすることになるようだ。
まぁ、私には関係ないが……
「おい、ベン。見てみろ」
突然マスターが私に話しかけ、顎でしゃくった。
そちらに目を向けると、いかにも目つきの悪い連中がこちらを見ている。
「きっと喧嘩をふっかけたらすぐにのってくるぞ。どうだ、ベン。少し相手をしてやれば?」
「やめてください、マスター。私は実力に差がある者とは拳は交えない主義なのですよ」
「それって遠回しに『弱い者いじめはしねぇ』ってことだよな?」
「……警部」
それを言っては駄目だろう、レスター警部。
明らかに喧嘩を売っているように聞こえるではないか?
ここは誤解を解いておく必要がある。
「マスター、警部。私は無益な殺生はしないよう心掛けています」
私の返事に、マスターと警部は「ぶふっ!」と吹き出していた。
「せ、殺生ってお前!」
「ベン、殺す気満々じゃないか」
あまり笑わないで頂きたい。
私とて、むやみにこの力をひけらかすつもりは毛頭ないのだから。
「あそこ。あそこが僕の家」
そんなやり取りを聞いていたのかどうかは定かではないが、リオはそう静かに口を開くと先の方に見える建物たちを指差した。
「い、家って、お前……」
レスター警部は目をしかめながらそうこぼした。
「ありゃ、バラック小屋じゃねぇか?」
レスター警部の言う通り。
リオが指差した建物は家とは程遠い作りのバラック小屋だった。
狭い土地に顔を付き合わせるかのように壁がひしめき、屋根は赤茶けたトタン張り。
壁は隙間だらけで、目を凝らせば家の中がのぞけてしまう。
強い風が吹こうものなら、恐らくすぐに飛ばされてしまう程の脆弱な造りは、さながら朽ち果てる寸前の物置小屋のような出で立ちだ。
マスターは立ち止まり、腕を組みつつ険しい表情を見せていた。
「この国の闇の部分だな」
「それにしたって、こりゃ……」
「よく見ておけ、レスター。腐っても公務を担う者だろう」
「んなこと言ったってよ、俺なんかじゃとても……」
「別にお前がどうこうしろと言っているんじゃない。将来、間違って偉い席についてしまった時にでも思い出せばいい。こんな生活を強いられている立場の者もいるってことをな。ま、どのみちお前じゃ……」
叶わない現実だな、といいながら、マスターは目の前の光景を眺めていた。
「何気に酷いことを言ってくれるね、解呪師。俺が偉くなったら、依頼の量を殺人的に増やしてやるぜ」
「それを言い換えると、特警は能無しの集まりということになるな」
「な!?」
「で、お前の家はどれだ、少年?」
マスターに促され、リオは私たちの先を歩き出した。
私たちをバラックの海が飲み込んでいく。
あっという間にどこをどう進んでいるのかが分からなくなった。
「これだけ建物が密集していれば、方向感覚を失うな」
どうやら、マスターも同じだったようだ。
「少年とはぐれたら終わりだなぁ。頼むぜ、水先案内人」
まるで会話が聞こえないようなそぶりで、リオはどんどんと先へ行く。
バラック小屋の隙間を通り抜け、たどり着いた先は少し開けた場所だった。
とは言っても、周りを見渡してもバラック小屋に変わりはない。
「ここ。僕の家はここだ」
そう言いながら、リオは目の前の家の軒先をくぐって行く。
私たちも後に続いた。
小屋の中は薄暗く、壁に出来た隙間から外の灯りが漏れている。
四方を壁が囲むだけの単純な造りだ。
その中にテーブルと椅子が二脚。
奥の壁の辺りに、一段高くなった小上がりのような場所があった。
ところどころ光が差し込む中、異様に暗い場所が目に入る。
いや、暗い雰囲気と言った方が正しいだろう。
そこには、一人の少女が膝を抱えて座り込んでいた。
長く伸びた髪はボサボサし、目は私たちを映していないのだろう、虚ろな眼差しだ。
そして、何やらブツブツ呟いている。
「……る。……くる。……」
「メイ、解呪師さんを連れて来たよ」
リオが話し掛けると、メイはドロリとした目線を彼に向けた。
「……メイ?」
「……、…………」
妹の反応に、リオは肩を落とした。
それを見ていたマスターは、リオの横を通り過ぎると、メイの前に膝をついた。
そして、両の頬を優しく手で包み込むと、ゆっくりとその顔を上にあげた。
「うぉ!?」
それを見て、私の背中に悪寒が走った!
レスター警部も同様だったのだろう。
少女の頬は酷くこけ、目の下には真っ黒な隈取りが見える。
口は力なくダラリと開き、唇は酷くガサガサしていた。
「お、おい少年! 妹に飯は?」
「た、食べないんだ! 何も、水さえも飲もうとしない!」
レスター警部の質問に、少年は悲痛な声で答えた。
兄とはいえ、リオはまだ子供だ。
自分でもどうしようもなかったのだろう。
子供を責めるのは筋違いってもんだ。
「ちっ! こんなことがあっていいのかよ! これで行政管理たぁ、聞いて呆れるぜ!」
レスター警部はバツが悪そうな顔で声を荒げた。
「レスター、ちょっとだけ黙ってろ。いいかい、お前。聞きたいことがあるんだ」
マスターは警部に毒づいた後、柔らかい口調で妹に話し掛けていた。
「私はお前に掛けられた呪いを解きに来たんだ。呪いを解けば、お前は楽になる。苦しい思いをしなくて済む。いいね?」
マスターは微笑みを織り交ぜながらそう言うが、妹は目を伏せるだけで返事をしない。
訝しげな表情をしつつも、マスターは少女の額に指を寄せた。
「とにかく、呪いを見せてもらうよ。大丈夫、すぐに終わる」
マスターはそうしていつも呪いの種類を探り当てるのだ。
どう言った方法で探り当てるのかは私にも分からないが、呪いには種類に応じて流れる波長があるらしく、それを読み解くことで、どういった類の呪いかを見極めるらしい。
そして、マスターの読みはほぼ的中する。
今回も恐らく……
「ん!?」
読み解けたようだ。
「少年! 妹がこの状態になったのはいつからだ!?」
何やらマスターの様子がおかしい。
呪いの類が分からなかったのだろうか?
眉間に皺が寄りまくっているではないか。
その表情はかなり険しく……、と言うよりも困惑しているように見える。
一体何が……?
「え、えと……、三日前くらいだったかな。友だちと遊んでて帰って来たらこうなってたんだ……」
「おいおい、どうした。解呪師?」
レスター警部も怪訝な表情をしている。
だが、マスターはなおも困惑した表情のままだ。
一体、何が分かったのだろうか?
「この呪い。解くのは無理だ!」
「はぁ!?」
「……え?」
「少女に掛けられている呪いは『記憶封じの呪い』と呼ばれている。もし解呪すれば……」
こんなマスターの顔は初めてだ。
あんなにも悔しそうな目をしたマスターは……
レスター警部が、マスターの言葉を反復した。
「も、もし解呪したら? どうなるんだ?」
「……その時は記憶が……」
そう言って、マスターは「チッ!」と舌打ちをしてみせた。
「記憶が……壊れる!」
少女はなおも、ブツブツと呟いたままだ。
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