四月八日(土曜日) 雨
窓をたたきつける強い雨音が生徒会室の中を満たし、そのほかの物音をかき消して、世界に二人だけしかいない幻想をもたらす。
ああ、これは夢だ。
自分と末永梨香がいる光景を上から見ている。その光景に見覚えがある。
「先輩、好きです」
声を振り絞ったり、緊張に身を震わせているわけでも、頬を赤く染めたりといった、わかりやすい感情の表し方が一切ない、いつもの無表情。雨音を掻き消すほどの声量もなく、ごくありふれた言葉で告白された。
「……すまない」
その日は雨が降っている以外は何も変わったところがない普通の一日のはずだった。日常に紛れ込んだ違和というのは言いすぎだが、そんな風に想われているとまったく思っていなかった俺は、芸もひねりもないありふれた返し方しかできなかった。
「ふぅ、どうして。と聞いていいですか?」
表面上は何も変わらず、わかりきった答えを再確認するために口にしたという程度の同でもいい口調。
「聞かなくてもわかっているだろ」
答えなどわかりきっているのだと見切りがついている俺は、苦笑を浮かべて返す。
それ以上の会話など、今更どうでもいい内容だ。結果はもう示され、一度は終わってしまった話だ。もしここで、彼女の告白を受けていたらなんて仮定は無意味なんだから。
目が覚めたとき、自分がどこにいるのか一瞬わからなかった。カーテン越しの光は弱々しく、開け放つとはねずみ色にくすんだ空が、窓ガラスの向こうに広がっていた。
窓を叩く規則正しい雨音が、あの日の出来事を呼び覚ましたのか。
非論理的な発想だが、降りしきる雨はあの日の出来事を思いださせる。
こんな雨の日の放課後に俺は梨香に告白された。受け入れられなかったのは、梨香が嫌いだったからじゃない。不破よりも梨香と付き合う自分というほうがしっくりくる。
けれど、恋人としての梨香は想像できなかった。
それが断った理由。それ以外の理由なんて、たぶんとるに足りない。
黒のジーパンに黒のテイシャツとラフな服に着替えて、傘を片手に外に出る。
部活などに出るにしても中途半歩な時間と雨のためか、休日のバスは昨日ほど混み合っていない。まばらに席が埋まっている程度で、真ん中あたりの二人がけの席に座る。
どこに行こうとしているのか、自分でもわからないが部屋にこもってもすることはない。それゆえの行動だったのだが。
「……どうしてお前がここにいるんだ」
「バスは公共のものです。乗っていておかしいことはないですよ」
俺がいるのを見越した上で乗っていると考えるのは穿ちすぎだろうか。
打ち合わせをしたわけでもなく、部活に向かうにしては中途半端な時間。だというのに、昨日と同じように当たり前の顔をして隣に末永梨香が座った。
湿った空気にも負けない、ふんわりとした匂いが鼻腔をくすぐる。今日の格好は、黒のミニスカートに黒のニーソックス。赤いセーターは落ち着いた雰囲気の梨香とは違ってなんだか落ち着かない。
「今日は図書館に行きましょう」
「待て、どうして一緒にいくのが確定なんだ」
「行かないんですか?」
不思議そうな顔で首を傾げられても、一緒に行く予定なんてない。けれど、
「……そうだな、行くか」
同時に、行く場所も決まっていないのだから、図書館に行くのも悪いことではない。
朝見た夢が脳裏を掠めるが、それは考えないことにする。
風萌図書館は学校エリアの一角にある。学園都市の校舎にも及ぶ規模を誇り、日々増大する本の量にも対処できるのではないかと思わせるほど巨大な敷地面積を誇る。外観は西洋の宮殿を思わせ、威風堂々とした風格を持っている。
中もまた、外観に負けず劣らず広く天井が高い。
「それで、お目当ての本でもあるのか」
総合案内板の前に移動して、配置図を頭の中に叩きこんで行く。
「鈍感男に恋愛感情を教える本、雌狐から男を奪う方法……」
「あー待て、言いたい事があるなら聞くから物騒な本を探すのはやめてくれ」
意図的なチョイスだとしたら、あまりにも偏りすぎだ。何げに振ったことを根に持っているのか。
「冗談ですよ?」
いや、それならそうとにっこりと微笑むぐらいしてくれ。
未だに冗談なのか本気なのかはみわけがつかない。個人的心情としては限りなく 本音に近いと思っているのだが、正面から問いただしたいとも思わない。というよりも聞きたくない。
俺も適当に本を借りようと、小説のコーナーに向かった梨香と別れて本を物色する。民俗学の本のうち、境界にまつわるものを探していく。マイナーなジャンルなのか、地元ではほとんど手に入らなかったが、ここでは違う。呆れるほど多い蔵書量を誇っているため、専門的な分野の本もそれなりに置かれている。本当に専門書の類は、大学の図書館を利用しなければならないらしいが。まだそこまではいい。
時間にして二時間は経過しただろうか。何冊か見つけて、それと関係がありそうな本を捲って調べていると、いつのまにか梨香が近くに来ていた。
手に数冊の本を持っていて、どれも不穏なタイトルはなかったのに安堵するが表には出さない。タイトルを見る限り、それらは普通の恋愛ものだった。
「それはそれで珍しいな」
梨香がチョイスしたのにしては可愛らしい。あの頃は推理物や哲学書の類ばかりを見ていたのに。
「私、これでも女の子ですよ?」
「わかっているよ」
ぽんぽんと頭に手を乗せて撫でる。そう疑問そうに尋ねなくても、お前は立派に女の子だよ。
「髪、乱れるからやめてください」
「そうか」
適当にかき回した柔らかな髪を手で梳くと、沿うように流れていく。艶のある髪は触り心地もよく、乱れもほとんどない。簡単に手を通しただけでもある程度形が整えられる。
「相変わらず、考えなしに行動しますね」
「こうされるのは嫌いか?」
呆れたように、けれど嬉しそうに言うのに対意地悪ないいかたをしてしまう。
「それは別です」
澄まして答える彼女に笑みがこぼれる。
立ったままでするのもなんなので、近くにある読書用に備え付けられてあるソファーに座る。横に座られてもやりにくいなと思っていたのだが、彼女の行動は予想を超えていた。
「なぜに膝の上に乗る」
「いけませんか」
だから、さも当然のような顔をしないでくれ。俺が間違っているような気がしてくる。
考える事を放棄した俺は、シャンプーなのか梨香の匂いなのか、さらさらとしている髪の手触りを堪能する事に集中する。膝の上の生々しい感触は気にしない。
記憶にある梨香の髪型は、肩にかかる辺りで切りそろえられたショートヘアだったが、今はそれよりも少し伸びている。
あの頃と変わらない感覚と思っていただけに、その変化は確実に時が流れているのを感じさせた。
「髪伸ばし始めたのか?」
「髪の長い女性は嫌いですか?」
「いや、梨香なら長いのも似合うだろ。短い頃のも捨てがたいが」
「どっちですか」
「どっちも似合うということだよ」
他愛もない会話だと感じながらも、こうした会話すらしてなかったのだと思う。 半年前に告白されたあの日から、まともに話す時間が取れなかった。生徒会の任期がきれた秋を境にして、梨香との時間がかみ合わなくなった。元々接点が生徒会の仕事以外ないのだから、会わなくなっても不思議ではない。
振った手前、どんな顔をして会えばいいのかわからなかったというのもある。今もそうであるべきなのだろうが、突然の再会過ぎたのと、変わらない表情で、けれど積極的な行動に動揺していたというのが正しいのだろうな。
梨香の匂いに包まれて、思考がとりとめもなくなる。
民俗学のコーナーが奥まったところで、他に人が少ないのが幸いなのだが、皆無というわけにはいかない。投げやりに視線を向けていると、幾人かがそれぞれに感情がこもったまなざしを向けてきて嫌な気分になる。
梨香のほうは、俺に体重をかけるようにしたまま目を瞑っている。大方やったはいいが、気恥ずかしくてまともにみられないのだろう。
大胆でいて恥ずかしがりやというよくわからない二面性は、あの頃と同じだな。
ぼんやりとそんな事を思っていると、一人の少女の視線が気になった。
見たいけど見てはいけない。でも気になる。そんなまなざしに違和感を覚えてまじまじと見つめてしまう。
「夏涼さん?」
手がおろそかになっているのを感じたのか、いつのまにか眼を開けた梨香が口を開いた。どうやら見知った顔のようだ。
「あ、やっぱり末永さんなの」
ほっとしたように、夏涼と呼ばれた少女が歩み寄ってくる。
「えっと、そちらの方は」
少しばかり距離を開けて、彼女は立ち止まり俺の方を気にしている。
「この人は同じ中学にいた先輩。今は高等部に通っている」
「河内輝美だ」
梨花の言葉に続くように言う。
「あ、夏涼といいます」
降りようという気はないのか、膝の上に座ったまま動かない梨香に、眼のやり場に困ったように視線を泳がしている。
「梨香、そろそろ降りろ」
降りようともしない梨香に促すと、しぶしぶと言った感じで降りて立ち上がる。
「夏涼さんも本を借りに来たの」
「ええ、料理の本を借りようと思って。末永さんも本を借りに来たの」
アピールするように、両手に抱えた本を抱え上げる。
「あ、冬木さんのだ。いいよね、その人の本」
「そうなの? まだ読んだこと無かったけど、期待がもてそうね」
俺との会話よりも砕けた気がするのは同性と同い年だからか。意外と記憶の中では、同級生と話しているシーンはなかったため新鮮だ。
長話をするには場所が悪く、借りたい本も大体定まっていた事もあって、カウンターで手続きを済まして外にでた。
雨は間断なく振り続けていたようで、あちらこちらに水溜りが出来ていて、通行を妨げていた。下り坂を勢いよく水が流れて行き、排水溝へと流れ込んで行くものの、幾分溢れている。
「お二人さんこれからどうする?」
そう問いかけたのは気まぐれみたいなものだが、雨をずっと眺めている趣味もなく、時計の針は正午をさそうとしている。
このまま帰ってもいいが、また娯楽エリアの方にいくのも悪い話ではない。この辺りは他にも美術館や博物館なども併設されていて、晴れていれば屋台というのもありだったが、この雨では二の足を踏む。
「どこかで食事を取りましょう」
「あ、それだったら知っている店があるから、そこに行かない?」
初対面なのに積極的なのは、転校生と言う立場を考慮しているのだろう。今までという繋がりがない相手なのだから、気兼ねしていたら進めない。結ぶ気がなければそうする意味もないけれど。
「パスタはありますか」
「って、またかい」
相変わらずというかなんというか、今月はパスタを取り続けるつもりか? そんな益体もない考えがちらりと思考を掠める。
「確かあったと思うけど、パスタ好きなんだ」
「そうね。好きなのだと思う」
「いや、お前のは好きを通り越しているから」
「そうですか」
「そうだよ」
梨花の場合はパスタが好きと言うか、パスタを食べることが食生活の一部に入っている。日本人だと米を食べるのが当たり前のように、パスタを食べることが常態化している。
「貶されている気がしたのですが」
「気のせいだ。それより、その知っている店というのはどこにあるんだ」
「あ、はい、この近くにあります」
「そうか。じゃ、案内してくれ」
せっかくのお誘いなんだ。目的は梨香で俺は邪魔なんだろうが、一顧だにせずにいよう。どうせすることがないんだ。なにかしているほうがましだ。
雨の中を無色、黒、青、三色の傘が微妙な距離を空けて同じ方向に向かっている。博物館や美術館などの施設が集まっているこのエリアは、雨ということもあって人通りが少ない。普段の休日ならば、カップルや家族連れなどで賑わっているらしい。
ここに来て日の浅い俺と梨花のために、夏涼が案内がてらこのエリアの特徴を教えてくれている。雨音が激しいため、俺は半分以上聞き取れていなかったが、梨香が熱心に聴いているのでこのままでいいだろう。傘をさしている都合もあって、声が聞こえる範囲に近づきにくい。
「ここです」
夏涼がくるりと傘を半回転させて振り返る。
落ち着いた外観から、中もまたクラシックな感じがする内装で、客層もそれに見合ったものだと思っていた。ただの思い込みであったのだと気づくのに、一秒とてかからなかった。
白装束を来た少女が、テーブルを占領した巨大パフェに挑んでいた。
「あぅ」
奇妙なうめき声をあげて夏涼が膠着する。
「……胸焼けがする」
別に甘い物が嫌いなわけではないが、所狭しと取り取りのパフェがテーブルを覆い隠し、それが入った大きいカップとあいまって異様な空気を放っている。
おいしそうとか、甘そうとか、そういった要素を粉微塵にする破壊力を持ったパフェの一群を、少女が不気味な笑みを浮かべながら食べている。
「なかなかおいしそうなパフェですね」
「……あれをみてそう言えるお前の冷静さが頼もしいよ」
梨香の冷静な呟きに、呑まれかけていた意識が元に戻る。
あまりの異常さについ魅入ってしまっていたが、改めて店内を見回すと普通の喫茶店だった。
お客は思い思いの席に座って、まったりと時を過ごしている。時間の流れすら止まっていそうな、静けさに満ちている。白装束の少女も、やっている事はともかくおとなしく食べているため、喧騒とは無縁の世界だった。
「いらっしゃい」
落ち着いたころあいを見計らったかのように、顔面一杯にヒゲをこしらえた中年の店主らしき人物が声をかけてきた。
「あ、マスター」
動揺から立ち直った彼女が笑みを浮かべてお辞儀をする。
「夏涼ちゃんのお友達かね?」
「はい。といっても、昨日会ったばかりなんですけど」
「なるほど。まぁ、ゆっくりして行きなさい。……店の中だと彼女もちょっかいを出さないだろう」
「……だといいんだけど」
白装束の少女を見ながら小声でいいかわしていたようだが、すぐに奥まった席の方に案内される。
四人掛けのテーブルの一方に俺が、反対側に梨香と夏涼が座る。備え付けの手作り感溢れたメニュー表を中央に広げる。
メニューそのものは平凡といっていい。オードソックスな家庭料理、チャーハンやナポリタンと料理が並んでいる。
「……久しぶりにナポリタンというのもいいですね」
他にパスタ料理はないためか、言葉とは裏腹に難しい顔をしている。
「お前がそれを食べるのは珍しいな」
ナポリタンといえばパスタの定番なのだが、凝ったものやその店独自の物を選ぶ傾向にある梨香は、こういった家庭で気軽に作れる料理を好まない。
「先輩が作ってくれるのならやめますけど」
ページを繰ろうとした手が止まる。
「……もうその機会はないさ」
古くはないが、懐かしい話を持ち出してくる。
気を取り直してページをめくる。
平凡な料理が並んでいるはずなのに、ところどころ目立つように特盛と書かれた大食い専用のメニューにめまいを感じる。
「少し独特な店だな」
平均に比べたら小食気味な俺は見ているだけで胸がむかむかしてくる。
「マスターの趣味なんです」
困ったように言うには、一品で小食の人から大食いの人まで満足できる料理をというのがマスターのこだわりらしい。
「ということは、あの少女が食べているのもその一環か」
淡々としていながらも変わらないペースで食べ続けている巨大パフェ。減っているのかどうかは距離の問題でわからない。
「あ、あれはまた違うんですけど、概ねそんな感じです」
眼をあわせようともしないのに違和感を覚えるが、それを聞く前にマスターがやってきた。
「注文は決まったかい?」
梨香がナポリタンとレモネードを即座に注文して、俺はチャーハンを、遅れて夏涼が焼きそばを頼む。
マスターが立ち去ると同時に、梨香も立ち上がり席を外す。
どこへなどという野暮な質問はしない。夏涼も察したのか口にしない。
「えっと、少し立ち入った事を聞いていいですか?」
「構わない」
「二人は付き合っているんでしょうか?」
「いや、付き合っていない」
「えっ」
……よく固まる女の子だな。
想定外という事態に弱いのか、絶句という表情を浮かべて硬直している。
「で、でも、あんなに仲よさそうでしたのに」
「仲はいいと思う。実際、気兼ねする必要がないからな」
ただそれが恋愛関係の結果ではないだけ。恋愛かそうでないかの線引きは俺でもわかっている。桜場に対する想いと、梨香に対する思いは、似ているのかもしれないけれど明確に異なっている。
あのドキドキ、廊下ですれ違ったとき、つい目を追ってしまうあの感情。話かけるだけで胸が動悸する。それらすべてが違う。
「梨香は、なんというか不思議だろ。浮世場慣れしているというか、掴み所がないというか」
「どこか違うというのだけは、なんとなくわかります」
「ああ、そうか。まだ会ったばかりなんだったな」
初対面の相手なんだったな。梨香にしても、まだ一日の付き合い。話題にするには早すぎたか。
「じゃ、どういった仲なんです」
どんな仲……か。どういえばいいのだろうな。恋人は却下、友達と言うのもしっくり来ない。戦友……アホか、俺は。
回答を頭の中からはじき出そうとするよりも先に、梨香が戻ってきた。
「何の関係でもありません」
「きゃ」
「お、戻ってきたか」
少しばかり不機嫌そうなのは、自分がいない間に詮索されたからだろうか。
「強いて言えば同士というのがしっくりきますね」
「そうだな。それが妥当だ」
恋人ではなく、妹でもなく、友達なはずがなく、ある事柄を共有する同士。それが一番、俺たちの関係を表している。
「同士」
普段聞きなれた言葉でないだけに、戸惑っているようだが、それ以上は聞いてこなかった。
誰も言葉を発しなくなり、沈黙が場を覆う。
中途半端に途切れた間を取り繕うかのように、マスターがお盆を抱えてやってきた。
手際よく並べられていく料理は、素朴だがおいしそうであった。
気を取り直したように、取り止めのない会話をする。
梨香と夏涼が話すのに参加するわけでもなく、ただ聞き流す。女同士の会話に男がしゃしゃりでる、中学と高校では話題が違うのもあり黙っておく。
食後にダージリン、エスプレッソ、カフェオレをそれぞれ頼んだのが運ばれてくる。
「ほぅ」
料理そのものは平凡といってよかったが、飲み物の方は充分合格点レベル。
「美味しいわ」
「だな」
香り高く味わい深いのに、知らず満足の吐息が出る。梨香もこれには満足したようで、ナポリタンを食べていたころの不機嫌さが無くなっていた。
女子寮近くのバス停で、二人は降りていく。気のぬけた音をたててバスの戸が閉まって行く。バスの揺れに従って、黒と青の傘が遠くに消えていくのを眺めていると、不意におかしな顔と黒い束が眼に飛び込んだ。
視線を横に向けると、般若の面をかたどった髪留めをした、喫茶店で目撃した白装束の少女が座っていた。
「貴方は何なの? 何の目的で夏涼ちゃんに近づいたの」
挑むような強いまなざしでこちらをみる少女の意思は固そうで、口調は威圧的だ。
「……近づいた覚えはないのだが」
「嘘だ」
きっぱりと、ありえないのだと断言する少女の口調は淡々としている。
「貴方からは人間の匂いがしない。虚ろな存在は夏涼ちゃんを不安定にさせる」
「俺が虚ろ?」
何を言っているのだ?
近づくなというだけなら、過保護とでも思えばいいのだが、人間ではないといわれる筋合いはない。
「本当にただの偶然だと言うのなら、二度と近づかないで」
困惑する俺に構うことなく、一方的に言い捨てて、返事を聞かずに立ち去って行く。
声をかけて呼びとめ、詳しく聞こうにも、言われた内容そのものは分かりやすい。ただ単純に近づくなという警告。わからないのはその理由。
彼女が何の目的や理由があって、警告したのか理解できない。が、近づくもなにも偶然の出会い以外の何物でもない。後に続くものでも、発展させるものでもない、その場限りの付き合い。梨香はともかく、俺の認識はそんなものだ。
気にするだけ無駄。
そう割り切ろうとしたのだが、うつろな存在という言葉だけが何故か気にかかった。
窓ガラスの向こうも、どんよりとした雲が降らす雨によって薄く覆われ、細かくものをみる事が出来ないでいる。
湿気がたちこめたようにぼやけた景色は、それこそ虚ろのようであった。