16Chain.別れの時
娘のユナミールが成人して、しばらく経ったある日のことだった。
ウルフロア城で騎士団顧問としての地位を築き、今日も仕事を終えて帰ろうかと思ったところで、にわかに騒がしくなった城内に懐かしい顔が現れた。
ぽみえこと、ポリタンミカルンエミリン王女の、実に数年ぶりの帰国だった。
相変わらず若々しい外見のままの彼女は、その秘密をかつて話してくれたことがある。
いわく「異世界召喚術の時に、もう生身の、本来のわたしとは違うものになっちゃったからねー。普通の人みたいに歳を取らなくなって、だいたいこの外見のまま行くと思うよー」とのことらしい。しかし、けして永遠の命というわけではなく「魂のエネルギーが尽きたら、わたしも死ぬよー」というようなことを言っていた。厳密にどのような状態になり、どんな最後を迎えるのかは知らないが、彼女自身はそれを充分に理解しているらしかった。
そのポリタンミカルンエミリンが、オレに話があるという。
家に招待したのだが、どうやらオレだけにということらしく、彼女の部屋に招かれることとなった。
ぽみえの部屋は、ほとんどそのまま昔見た時から変わっておらず━━あまり使ってないから当然だが━━家具や、その配置も記憶の中にあったまま、その位置にまだ存在していた。
「いやー、タクマさん老けたねー、さすがに。完っ璧におじさま化しちゃってー、熟成させ過ぎた肉団子━━だと腐ってるか?」
「な、なにが言いたいのだキミは」
「ごめんごめーん。本題はちゃんとした真面目な話だからさ、ふざけないで言うよー。あのねー、タクマさん、もう忘れちゃっているかもしんないけどさー、魔王って、まだ生き残ってるわけよ。今やもう一匹も魔物がいなくなっちゃってるから、誰もそんなこと覚えてないんだけどね、魔王はまだ、生きているわけなのよ。違う次元に閉じこもったまま、もう何年も、二十年も出て来ないってだけで、ね」
「あ……そう言えば」そうだった。
忘れてた。
もうすっかり、魔王なんてものがいるってことを、忘れ去っていた。
平和過ぎて。
幸せ過ぎて。
まるで、この世界には初めから、そんなものは存在していなかったみたいに。オレだけじゃない。誰もみな、そう思い込んでいる。今はもう、平和な世界になったのだから。
「で、でも……このまま二度と出てこないということなのでは?」
かれこれ二十年も、出てこないのだ。それに、配下である魔物は、一匹たりとも生き残っていない。そんな世界に、のこのこと戻ってくるとは思えない。
「それは人間の勝手な希望に過ぎないよー、タクマさん。ぶっちゃけ、甘い考えだと断言するよー。悪く思わないで聞いてよね。事実、魔王はまだ生きている。死んでしまったわけではない。配下の魔物が消えたとしても、魔王自身はそれで消滅するわけでもないからねー。きっと今も、その時のため、力を蓄えているに違いないよー。これはわたしの想像というだけでもなくてねー、実際、かつて魔王が現れた時がそうだったからねー。彼は生まれ、そして増やした。魔物たちを。最初から大軍勢だったわけでも、圧倒的優位だったわけでもないんだよー。魔王は魔王で、こつこつがんばって、その影響力を強めていったの。時間とともに魔物を増やし、人間の世界を侵食していった。きっと、それにもエネルギーは必要だったんだよ。魔王とて、無尽蔵に魔物を生み出せるわけじゃない。だから、タクマさんみたいな最強スキルの人が現れない限りはオラオラなんだけど、現れてしまうと一気に仲間を減らされて、魔物の生産も追いつかなくなる。そして最終的に、今みたいな状態になるわけさー。開き直った玉砕覚悟じゃなくて、またいつか自分の世界を作るため、その力の回復を選択した。あるいは、それと同時に勝ち目のない相手━━そう、タクマさんが病気なり寿命なりで死んでくれるのを待っているのかも知れないねー……」
オレはごくりと、唾を飲み込む。ぽみえの語った内容が、まさにその通りだと思えたからだ。
あれだけの魔物たちを産み出した魔王なのだ。それが、このまま黙っているはずがない。そう思えてならない。
「どど、どうにかできないかな? ぽ、ぽみえの魔法と、オレの、スキルで……」
「できたらとっくにやってるよー。魔王が潜んでいる次元には、手出しができない。完全無欠にシャットアウトされちゃってて、一切の干渉ができないんだよねー。とにかくもう、待つしかない。その時をねー」
こちらからは挑むことができない。引きずり出す方法もなく、出てくるまで待たなくちゃいけない。
で、それはいつ?
あとどれくらい待てばいい?
「もう、わたしの言いたいことはわかってもらってると思うけど━━魔王がこの先、いつ、どの時点で力を取り戻し、この世界に戻ってくるかもわからない。何年先か、何十年か、もしかしたら何百年、待たなくちゃいけなくなる。魔王ってくらいだから、何千年も生きるのかもしれない。それとも、寿命なんてないのかも。実際に、現時点でだって百年以上は生きていることになるわけだからね。人間とは違うはずだよー。そして━━」
ぽみえはオレの目を真っ直ぐ見て、告げた。
「その時に━━魔王が戻ってきた時に、きっとわたしたちはいなくなっている。わたしや、今を生きているみんなが、いなくなってしまった世界で……わたしたちの子孫、後の時代の人たちが同じ目に会ってしまう。少なくとも、タクマさんのような存在がいなければね。でも━━」
まさか……。
「タクマさんがそこにいれば、話は違うよー。何百年、何千年先の未来で魔王が再び甦ったとしても、その時そこにタクマさんさえいてくれれば、世界を救える。魔王を、今度こそ倒せるかもしれないねー。いや、倒してもらわなくっちゃねー、その時こそ必ず。まあ、わたしが用意している物もあるし。それはともかく、タクマさんがなにを選択するのか、やって欲しい仕事をやってくれるのかってところだけなんだよねー、問題は」
ぽみえの言いたいことは、だいたいわかった。
いや、全部わかった。
つまりは、こういうことだ━━
メタルボディのスキルは━━ここ十年以上は、ほとんど使用していないが。たまに発動できるか心配になって、試してみるだけでね━━なんの制限も限界もなく、オレが意図的に解除しない限り永遠に発動しつづけることが可能だった。
そして、スキル発動中はオレの生命活動が事実上止まっている状態になる。仕組みはもちろんわからないが、心臓すらその鼓動を止めている。にも関わらず、思い通りに動くことができるというのが、オレの最強スキルなのだ。さらに、生命活動が止まっているにも関わらず生きているという状態のオレは、その間、つまりは時間が止まっている世界にいるようなものなのだ。
結婚して、子供が生まれたこともあり、そんな使い方はしなかったのだが━━もしもオレがメタルボディのまま暮らしていたら、オレはまったく歳を取らずに、かつての外見のままだったはずだ。
腹も減らず、病気にもならないので、スキルさえ解除しなければ、そう、オレは永遠の命を手にしたようなものなのだ。永遠に、いつまでも一人だけ、生き続けることができる。
懸念があるとすれば、本当に未来永劫スキルを維持した状態でいられるのか。なにかのひょうしに解除されたり、あるいはスキル自体が発動しなくなってしまうのではということだが━━そこは信じるしかないだろうな。オレが、今のオレであることの全てが、スキルありきの、メタルボディがあってこそのものだから。それがなくなれば、オレは本当に無力になるし、もう、誰も魔王を倒せる人間はいなくなる。
というだけの話なのだから。
「ぽみえがいなくなった時点で、スキルも消滅したりなんかは……」
「わかんないけど、多分大丈夫だと思うよー。確かに付与したのはわたしだけど、スキルがタクマさんのものになった時点で、わたしの手からは離れているからねー。なんの影響力もないし、わたしの生死は関係ないかもー」
なるほど。オレとしても、今さらスキルが使えなくなるとは思えない。おそらく、生きている限り使い続けることはできるだろう。
となれば、問題は一つだけだ。
オレがやるのかどうか。
やれるのかどうかだ。
オレももうだいぶ歳をとった。
生身での運動能力は確実に衰えている。元々肉団子出身なんで、若い頃もたいして動けたわけではないから、それが更に動けなくなったわけだ。そしてそれは、メタル化した際の動きにも少なからず影響する。なにより脳が老化することで、かつて魔王軍を根絶やしにした時のような戦闘は、できなくなっていくだろう。これは、時が経てば経つほど、確実に悪化するはずだ。
魔王がこの先、いつの時点で復活してくるかもわからない限りは、もう時間的な余裕はないと言ってもいい。
生身のままで、これ以上劣化するわけにはいかない。
常にメタルボディのまま生活しなくてはならなくなる。
が、そんな生活は嫌だ。オレもそうだが、嫁さんも娘も、絶対に嫌だろう。口には出さず、顔にも出ないかもしれないが、喜ばしいことであるはずはない。それどころか━━たとえば魔王が百年先まで出てこなかった場合……。
嫁も娘も死んでしまい、オレだけが生きている日が確実にやってくるだろう。嫁が亡くなり、娘もやがてオレの年齢を越えて婆さんになり、オレより先に死んでしまう。そして、メタルボディのままのオレだけが喋りもせずに動いている。涙さえ流さず、動き続けている。
想像しただけで地獄ではないか。
何百年、何千年と時を待つのであれば、オレはもうずっと、その時が訪れるまでメタルボディのままでいなくてはならない。そうなるともう、口元だけスキル解除とかも、やってはいられないだろう。とにかく歳をとってはいけないのだから。
食事もせず、会話もできないなら━━家族と一緒にいることはできない。
別れを告げる必要がある。
生きているのに、死ななくてはいけない。これは、そういう決断なのだ。
「やっぱダメかな? タクマさん、奥さんも娘さんもできちゃったしねー、嫌だよねー。でもタクマさんしかいないからさー、タクマさんにお願いするしかないんだよー。もちろん、ご家族にはわたしからも説明させてもらうし、ケアもちゃんとするつもりだからー」
ぽみえも気を使ってくれている。
だからと言うわけではないが、オレはもう決意を固めていた。
これは死ぬよりもツライ選択だった。
けれど、この世界で唯一の希望が自分だということも、オレはよく理解していた。そのために呼ばれ、それだけの力を与えられた。できる人間には、やる義務がある━━なんてことは思わないが、それでも不幸しかなかった前世とは真逆の、最高の幸せと喜びを与えてくれた嫁と娘と、二人が生まれて生きたこの世界のためにやるべきだと思えたのだ。
別れは辛くとも、いつか必ずくるものだ。それが今だったとして、オレたちは受け入れるよりないんだ。
今はまだ先のことだけど、きっといつか娘にも子供が生まれて、その子供もまた子供を作り、オレの家族が生きるかもしれない未来を守るためならば━━
この別れには意味がある。
「や、やるよ。この世界のために、未来の、子供たちのためにも」
それを聞いたぽみえが元々明るい表情をさらに輝かせて、オレを見た。
「さっすがタクマさん! やってくれると思っていたよー! そうと決まればさっそくメタルになってほしいところだけど、この先魔王が出てくるまでは解除しないほうがいいだろうから、その前にご家族ときっちり話し合わないとねー。わたしも一緒に行くしー。それと、次こそ魔王を逃がさないための秘密道具と、その説明もしなくちゃだから、やることはいっぱいあるよ。メタル化したまま時を過ごすためのアイデアも、一応あるんだけど。ってか、もうさっきちゃちゃっと作って用意してきちゃったんだけど━━これはまあ、タクマさん次第だねー。わたしだったら大丈夫だけど、ちょっと暇というか、精神的にどうかって問題があるからねー」
それは気になるところだが。
とりあえずオレは━━オレとぽみえは、このことを家族に話し、理解してもらわなければいけない。メリベルはメタルボディのままでもいいから暮らしを続けようと言ってくれるかもしれないが、そうもいかないだろう。なによりオレが、耐えられない気がする。だったらいっそ、きっちりと別れを告げるべきだろう。
できるかどうかはさておき。
やらなくちゃいけない━━