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第4話「転生しすぎた勇者は約束を交わす」

 穴が空きそうなくらいに鋭かった日差しもなくなった外は、夜風がささやかながら吹いていて心地良い。

 頭上を見上げれば、視界いっぱいに星が瞬いていて、それを見ているだけで落ち着くような気がする。

 坂道を軽やかなステップで先導する美奈は、鼻歌を口ずさんで上機嫌なのを隠しきれない様子。年相応の彼女の振る舞いが微笑ましい。


「助かったよ、正太郎くんがいてくれて」

「ちょうどいいって?」

「護衛としてだよ。いくらこの辺が田舎だからって、油断してたら……」


 がおっ、と猛獣のような動きをした。

 しかしその護衛である僕も、ついさっき彼女を押し倒した人間なんだけど。その辺りは美奈の中でどうなっているんだろう。


「まぁ、その肝心の護衛も油断ならないけどね」


 先を歩く美奈が首だけ振り向いて、からかうように口にした。やっぱり根に持たれているのかも。


「ウソウソ。冗談だって」


 何も言えずにいた僕を見て美奈はまた笑う。そして美奈はひらりと服の裾をはためかせて歩き出した。


「どこに向かっているの?」

「うーん、まだ内緒。晴れててよかった」


 どうやら天気に左右されるようなところみたいだ。その意味では今日ほど絶好の日もないと、雲一つ見えない夜空を見上げて思う。

 すぐにでも去りたいと思っている場所なのに、どうしてか微かに居心地の良さを感じていた。眼前で歩みを進める存在のせいもあるのかもしれない。

 それからはまたどちらとも口を開くことはなく、虫の声の中で規則的に二人の足音が刻む。


 こんな風に夜の道を歩くのは初めてだ。

 多少の危険性がはらんでいるとはいえ、それだってほとんど皆無に等しい。

 自分の命を脅かそうとする存在を気にせず、夜闇の中を歩く。

 そんなこと、今まであり得なかった。


「着いたよ」


 そんなことにぼんやりと思索をめぐらせていると、美奈は足を止めて振り返る。


「着いた?」

「うん。うしろ、見てみて」


 そう僕の背後を指差した先を追う。


「わぁ……っ」


 思わず声が漏れた。


 目の前に広がる、至る所に光が散らばる星の海。

 視界全てが星に覆われていた。

 それは空を見上げた結果、目に映った景色ではない。ただ前を向いているのに、眼前が一面の星で埋め尽くされていた。

 上半分は夜空で、下半分はそれを反射する海なのだろう。しかし不規則に並ぶ星々の群れのせいで対称性を感じず、大きな一枚の絵画のように見えるのだ。

 この辺りの人はもう就寝しているのか、近隣の民家の明かりもなく、その暗さがさらに空の弱い光を際立たせる。


 僕はただその光景に、正直なところ、ひどく見惚れた。

 悔しいくらいに。

 きっと今までにだってこれに匹敵するくらい、いやもっとそれ以上に美しい風景を見てきたはずだ。

 真っ赤な炎を纏った竜が飛び回る火口。

 白の積み重なった山々に溶けるように降る吹雪。

 そんな人間の想像を絶する世界を、僕は確かに目にしてきたはずだ。


 なのに、どうして、ただの星空がこんなにも、僕の心を揺れ動かしてくるのか。

 こんなに感情を揺り動かされるのは、一体いつ以来だったんだろう。


「綺麗でしょ?」


 隣で美奈がそう口にした。


「うん……」


 しかし僕は目が離せず、上の空のような受け答えになってしまう。目が釘付けになるとは、まさにこのことだ。


「よかった、気に入ってもらえたみたいで。ここね、明るいうちも綺麗なんだ」

「へぇ……」

「ずっと前から、暗くなって、もしも星が出てたら、すごく綺麗なんだろうなって思ってたの。でも、暗くなったら危ないからって、家から出してもらえないし。一人で歩くのも怖いし」

「うん」

「だから、あなたがいてくれて、本当によかった」


 ただ僕たちはそれを見つめ続けた。

 二人から漏れ出す音は呼吸だけで、他にある音は夏の虫の声と、遠くから微かに潮風に乗って流れてくる波の音だけ。

 魔法なんてものが一切関与していない幻想的風景の中で、僕はこの世界にはもしかして僕と美奈しかいないんじゃないかなんてことを思った。

 ふと、自分のすぐ左隣にいる少女のことが気になって首を横に向けると、こっちを見ていたようで目が合った。


「な、なに?」


 焦って声がうわずってしまう。しかし美奈はそれを意にも介さず微笑む。嬉しそうに、けれどやはりどこか可笑しそうに。


「ううん、なんでもなーい」


 そう首を横に振り目を逸らす。ぱっちりと開かれた二重瞼の奥の瞳が、星の瞬きを反射してキラキラと輝いている。

 彼女の中にもう一つ宇宙があるように思えた。

 そんな姿に、そしてこの風景に、僕の心は感化されつつあるのかもしれない。


「……しだけ」


 だからなのかもしれない。こんな言葉を口にしてしまったのは。


「えっ? 何て言ったの?」

「……ううん、何でもない」

「えー。そこで止められると気になるよ!」

「じゃあ、さっきのお返し」

「えー。大人げないなー」


 ふくれっ面になる美奈から視線を外し、再び空に向ける。


 もう少しだけ。

 もう少しだけなら、いてもいいかも。

 声に出してしまいそうになった言葉は、心の中だけに留めておいた。 


「……さっきの話だけど」


 ふいに美奈の口が開いた。


「さっき?」

「あなたを泊める代わりに何をしてもらうかって話」

「何をすれば良いの? 僕にできることなら何でもやるけど」


 もしも魔物退治の話とかだったら、まさにうってつけだけど生憎魔物は存在しなさそうだった。

 となると、力仕事とかだろうか。


「……今ってさ、夏休みでしょ?」

「そうだね」


 昼にもそんなことを言っていた。


「きっとね、楽しいことがいっぱいあると思うの」

「そうなの?」

「そうだよ! だって中学二年生の夏だよ? 一度しかない夏だよ?」

「わ、わかった、わかったから」


 信じられないと目が言っている。

 言われてみてふとここは、夏という季節に何かしらの希望を抱かずにはいられない子供が多い世界だったことを思い出す。

 理由はなくともただ夏だというだけで、気分が舞い上がる。長期休暇があることが理由の一端にあるのだろうが。かつて『東京』に転生したときも、そういうものに浮かれた若者がたくさんいた。


「だから……、その……っ!」


 暗くてよくわからないが、声音から美奈が緊張しているのが伝わってくる。そのせいか余計にこっちまで得体の知れない恐怖が伝染してくるように思えた。


「……私を」


 ごくりと唾を飲む。いったい自分は何をさせられるのだろう。


「私を、楽しませてくれる……?」

「……えっ?」


 思わず素っ頓狂な声が漏れてしまった。

 どんなに恐ろしい要求がされるのだろうと思っていたが、言われてみてもまるで意味がわからなかった。


「君を、楽しませる?」

「あ……っ! べ、別に変な意味じゃなくてね!? そ、その……」


 裏返る美奈の声。彼女が焦れば焦るほどに、不思議とこっちの緊張は解かれていく。どうやら子供らしいの範疇に収まった要求らしい。

 しかし余計にわからない。楽しませるってあまりにも抽象的すぎる。

 変な意味じゃないと恐らく顔を真っ赤にして必死に否定しているのは、何とも微笑ましい光景であるが。


「そうだ! 面白いこと! 何か面白いものを、ことを、たくさん見せて欲しいの!」

「面白いこと……」

「……だってここは、つまらないから」


 そう吐き捨てるように言うと、それっきり美奈は口を閉ざした。

 ついさっきまであんなにもキラキラと輝いていたはずの瞳から、その煌めきが嘘のように消え失せていることに気づいた。


「……わかった」


 ひとりでに口がそう動いた。


「えっ?」

「君をとびきり楽しませる。死ぬほど面白い目にあわせてあげる」


 山も海もある。この村に住んでいる人も少なくない。この場所で子供が遊ぼうと思えばいくらだってその術はある。

 足りないのは、その知識だけ。都会の世界しか知らないから無理もない話だけど。


「その見返りとして、夏休みの間は君の家に僕がいさせてもらう。そういうことだね?」

「ほ、本当にいいの?」

「うん」


 元よりここにい続けるのが最善であるのは言うまでもないし、何より――


『……だってここは、つまらないから』


 ――あんな顔をした女の子を放っておくことなんて、一人の人間としてできるわけがない。泣かせるなんてもっての外だ。

 もしも俺がさっきのまま死んでしまっていたとしたら、美奈は深く悲しんだに違いなかった。

 ああ、危なかったな。


「夏休みが終わるとき、最高の夏だったって言わせてみせる」

「ほんとに!?」


 その目に再び光が戻る。ああ、君はそんな顔をしている方がずっと良い。


「ああ」

「じゃあ、もしも楽しくなかったら、怒るよ?」

「楽しみにしてて」

「……わかった。楽しみにしてるね」

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