前編
「レイチェル=フォン=オーギュストは、ここにウォルター=アグストリアとの婚約を正式に破棄いたします! ウォルター! あなたでは私を支えるのに相応しくありません!!」
ただ婚約者を迎えに来ただけであったのだが、状況的にはそれで済まされないらしい。
「殿下。突然何をおっしゃっておられるのでしょうか?」
「あなたはこんな時にも名前を呼んでくれないのですね」
それは当然です。この場は、栄えある我が国で最も権威を誇る学園の卒業式典なのですから。
例え婚約者という身分であったとしても、自分より高い身分………王族という立場の方を敬称でお呼びするのが普通なのですから。
「レイチェル。だから言っただろ? こいつは君を愛していないと。こいつが欲しいのは君の身分だけだ」
「アレクシス………。あなたの言うとおりだったわ。彼は変わってしまったわ」
卒業式典が無事終わったのを見計らって、婚約者を迎えるために会場入りした直後に婚約破棄を宣言されて、質問を返しただけでこの言われよう………。私は何をしたのだろうか?
確かに私は変わったと思う。
正確には変わらざるを得ない状況だったからだ。
婚約破棄宣言となにやら見つめ合っている2人を含めて周りの様子と僅かな情報を頼りに、現状を整理してみる。
………………。
………………………………。
うん。婚約破棄されても良いかもしれない。
むしろ、受け入れて国外追放でもされよう。
あの地獄から逃れられるのであれば、私にとっても、とても良い提案だ。
「私は今は一介の臣下でしかございません。王女殿下の命という事であれば、逆らう事は出来ません」
「えっ!?」
「やはり、おまえはレイチェルを愛していなかったのだな! そんな奴の事など、もう見る事はない。私だけを見つめていろ!!」
私の発言に対して、王女様の傍にいる男が何か訳の分からない発言をしている。
そんな発言をした男と王女様が何故か見つめ合ってしまった。………この男は一体誰だろうか?
まあ、そんな事はどうでもよい。
正式な手続きが済んではいないとはいえ、このような人の多い場所で婚約破棄を宣言されては仕方がない。
扱いとしては元婚約者となる王女様の命令では仕方がない。
これだけの証人がいる場所であるならば、後々でうやむやにされる事はないだろうが………………正式な手続きは済ませておこう。
あっさりと決意を固めた私は、近くにいた傍使いの者から羊皮紙を受け取り、愛用のペンを取り出した。
カリカリカリカリカリッ!
「ウォルター!? 一体何を!?」
アレクシスと呼ばれた筋肉質な男と見つめ合っていた王女様が、私の突然の行動に気付いて、先ほどのような重い声色ではなく、素っ頓狂な声を上げる。
私は近くのテーブルで一心不乱に文字を書いているだけであるが、さすがに王女様のお声掛けを無視するわけにはいかない。
「はい。殿下。婚約破棄をされたいという事でございましたので、神殿へ提出される書類を作成しております」
それだけ王女様に向かって返答すると、書類の作成を続ける。
「そ、そう?」
私の行動を理解出来ないのか、不思議そうな声と疑問系で返答を王女様は受け取った。
カリカリカリカリカリッ!
会場中から視線を感じるが、今の私には気にならない。
なぜならば、ようやく地獄から抜けれるチャンスがやってきたのだ。多少の外聞など気にする必要はない。
カリカリカリカリカリッ! ピッ! ペタリッ!
王女様を含めて、私の行動を見守っていた者たちからも、私が書類を書き終えた事で、緊張が走った事が分かる。
いや、別に大した事をするわけではないのだ。
「レイチェル王女殿下。こちらが婚約を破棄する為に神殿へ提出して頂く書類になります。既に私のサインと印は入れております。内容をご確認の上、殿下もサインと印をこちらにお願い致します」
「え、………え?」
「ご安心ください。殿下。私はこの書類が正式に受理するまでは、国王陛下の代理として承認する権限がございますので、この書類は正式な物となります」
「あ、いえ、そうではなく………」
「書類の神殿への提出は、侍従がお持ちしても問題ございません」
「ウォルターは良いのですか?」
いまさらこの王女様は何を言っているのだろうか?
先ほど、私は王女様の命令には逆らえないと回答しただろうに。
「………殿下とは幼少の頃より婚約者として共に過ごして参りましたが、私ではお心に寄り添えなかったようで、申し訳ありませんでした」
とか言っておけば、それっぽいかな?
「ウォルターは本当に良いのですか?」
えぇ、良いに決まっております。あの地獄から開放されるなら願ったり敵ったりです。
「私がいる事で殿下の邪魔になってはいけません。私はこのまま国を出たいと思います」
そして、地獄ともおさらばです。
「ウォルター! 何もそこまでしなくても!!」
まったくこの王女様は何を言っているのだろうか?
どう考えても婚約破棄をした相手なんて邪魔でしかないはずなのに………。
「レイチェル。せっかく出て行くというのだから放っておけば良い。これで邪魔者はいなくなったんだ。正式に君に婚約を申し込む事が出来る」
この筋肉質な男が新たなお相手というわけか………。こんな相手に負けたのは悔しい限りだが、地獄の日々から抜ける為だ。致し方あるまい。
「アレクシス! 少し黙っていなさい!!」
ん? 何か様子がおかしい?
「ウォルター。あなたはどう考えているの?」
筋肉質の男と王女様は恋仲じゃないのか? そう考えていたから華麗に身を引いてみせたのだが………。
まあ、どっちにしても結果は変わらないんだよね。
「私は侯爵家の嫡男として家を継ぐ資格も失いました。私の居場所はこの国から無くなったのです。王家の者から婚約破棄を突きつけられるという事はそういう事でございます」
「いえ、私はそんなつもりは………」
そんなつもりも何も、婚約破棄されたらそういうものだから。
「くれぐれもお身体にお気をつけて。この国ではない場所から殿下のご健勝をお祈りいたしております」
もう面倒から、さっさと去ろう。そうしよう。
国外追放同然の身の上だ。退出の許可なんて取らなくて良いしね。
「あなたは国王の座を狙っていたのではないの!?」
ん? 誰が好き好んで国王になりたいって?
嫌だよ。あんな面倒な役職。
せっかく婚約破棄されて、その話も無くなるんだから。
王女様。これからは私に代わって私の苦労を味わって下さいね。
私は婚約者の学園卒業式典に、婚約者を迎えにいって婚約破棄をされて自由を得た。
私と王女様のやりとりは会場に居た人たちの顔色を変化させつつ、順調に混乱させたおかげで、すんなりと学園の外へと出て手早く国外追放の為の身支度を整える事が出来た。
そして、庶民の衣服と数ヶ月は旅を出来るお金を持って王都で最後の食事を取り、午後から出発の乗合馬車に乗って王都を旅立った。
目指すは永久中立を謳う芸術の国!
っというところで、出発して僅かな時間で旅を終える事になった。
「ウォルター=アグストリア様を探している! その馬車には乗っているのか確かめさせて貰うぞ!!」
乗合馬車が出発して、王都が見えなくなった頃だろうか。
突然乗合馬車の周りを重武装の兵が固めて、そう声を掛けられていた。
そんな状況になり、重武装の兵と私の顔を知っているお城で働いていた文官に確認されたら逃げられない。
あっという間に素性がバレて、とても厳重な馬車に乗せられて王都へと帰る羽目になった私は王宮の一室に軟禁されている。
「なんで私はまた書類仕事をしているのでしょうか?」
軟禁されている一室は、私の執務室であった場所だ。
婚約破棄をされたときに、ここにはもう帰らないという決意をして国を出て行ったのにも関わらず、この場所に帰る事になってしまった。
「陛下がウォルター様へ代行権限を与えているからですね。こちらの書類にもサインをお願い致します」
「いや、私はレイチェル殿下に婚約破棄をされた身だよ? 元々王配となるから与えられた権限だよね。それ」
そう、私は何といっても次期国王様の身だったのだ!
あれだけ厳重な状態で連れ戻されるのは当然だよね。あんな僅かな距離なのに騎兵が最終的に200人とか集まって王都へ帰ってきたからね。
「そう言いつつも、しっかりと仕事をして下さって助かります。ウォルター様のサインは今も有効ですよ」
あぁ………。条件反射だろうか………。勝手に身体が書類にサインをする。
この執務室の机と椅子が悪いんだ………。私の意志じゃない。
「私のサインが有効だという事は、婚約破棄の書類は神殿に提出されなかったの?」
「えぇ。ウォルター様が学園の式典会場を出た後にレイチェル殿下と反逆者が揉めまして、その間に城へ知らせが届き、婚約破棄の書類は陛下の手で処分されました。次の書類は私では判断が付きません。お願い致します」
説明を聞きながら、私は書類を受け取る。
「ふむふむ………。これは普段は陛下が処理している書類だな。なんでこっちに回されているんだ? それに反逆者って?」
「はい。レイチェル殿下がウォルター様へ婚約破棄を突きつけるように誑かした男でございます。会場でご覧になったとお聞きしていますが?」
あぁ。あの筋肉質の男か。
「話を聞かれた陛下が大変ご立腹になられまして、直ちに反逆者アレクシスを捕らえ、ウォルター様の捜索の号令をかけました」
なるほど、そんな早くから動かれていたんなら逃げれないな。
突発的な逃亡計画ではあそこまで逃げれたのなら上出来だろう。次はもっと上手くやる。こんな書類仕事から逃げれるチャンスは今度は逃さない。
「陛下の書類がこちらに回されているのは、他に関わった者たちを陛下ご自身の手でお調べになっているからだと思います」
「という事は今日の卒業記念パーティーは中止になるのか。せっかくの記念日が残念だ。………この書類は上手く隠しているが怪しいな。書いた者を調べるように手配しろ」
まあ、婚約破棄なんてやらかした時点で中止だろうし。
今年は王女様が主役という事もあって、料理に掛ける予算を奮発したのに勿体無いな。それだけが残念で仕方がない。
「畏まりました。手配致します。それと卒業記念パーティーは予定通り開催するとの事でございます」
「え?」
「なんでも陛下ご自身が、取り仕切るとの事です。ウォルター様も予定通り、この書類が片付いたら正装に着替えて頂く予定でございます」
婚約破棄宣言された私が出席するのって気まずいんだけど………。
「レイチェル殿下は先に陛下と共に会場入り致しますので、エスコートは不要との言伝を預かっております」
あぁ。良かった。
学園まで迎えに行った理由が、卒業記念パーティーへ参加する婚約者のエスコートの為だったのだ。
それがあのような事になって、何もなかったかのようにエスコートする自信はない。
でも、エスコートがなくなったとしても、嫌な予感しかしないパーティーになど参加したくない。
こんなにも嫌いな書類仕事が終わらなければ良いのにとさえ思っている私は、色々と末期なのだろう………。
いつもよりも念入りに入浴させられて着替えさせられた服装は、いつもより上質な服のように思えた。
だが、きっと気のせいだ。
あれだけの人の前で婚約破棄を受けたのだ。何事もなかったかのように、王女様と婚姻を結ぶ事はもうないはずだ。
そう思って、表向きは卒業記念パーティーとされている会場へ入室する。
エスコート相手は私の妹だ。妹も在校生として学園に通っていた為、卒業式典での騒ぎは耳にしており、エスコート相手を買って出てくれた。
普通は在校生は卒業記念パーティーに参加出来ないのだが、今回は例外を陛下に認めらたらしい。
私としても、1人で入って衆目の目に晒されるのは心細かったので助かっている。
会場入りした醜聞の噂好きの貴族たちからの視線に、かなりの苛立ちを覚えたが隣にいる妹のおかげで落ち着く事が出来た。確かに隣に寄り添って貰う事がこんなにも落ち着く事だとは思わなかった。そういう意味では王女様に申し訳ない事をしていたと反省するべきだろう。
「皆の者。学園の卒業めでたく思う」
私たちが最後の入場だったようで、入場が終わると、会場に流れていた演奏が止み、陛下のお言葉が始まった。
隣には私たちと同じように臣下の礼をとったまま立っている王女様の姿があった。
「そして、その皆にとっても大事な卒業という日を我が娘が台無しにしてしまった事を申し訳なく思っている」
この発言は陛下がまだ働き始めてもおらず、爵位を継承していない者たちにも対しての限界まで謝罪の意を示そうとしているのが分かる。
本来のこの卒業パーティーの主役である彼らもその事をしっかりと分かっているのか、さらに臣下の礼をとりながら深く頭を下げる。
「今より1ヵ月後に再度、皆が主役のパーティーを開催する。それに参加する経費や仕事の都合も王家が責任を持って調整し、皆が本当に楽しめるようなパーティーを開かせる事をここに誓おう」
陛下も今日のパーティーで皆が楽しめない事を理解しているおかげで、しっかりとした代案を誰かが提案してくれて、それを陛下が承認してくれたようだ。
私も直接の関係者の1人であったので、学生だった彼らには申し訳ない気持ちは持っていた。
彼らが1ヵ月後には、今日の出来事が笑いながら話せるようにしなくてはいけない。
あの時は書類仕事から逃げる事ばかり考えていた事を深く反省した。
「卒業式典で起こった件で気になる事もあると思うが、本日のパーティーの終わりに皆にも伝える。まずは皆の為に王宮の料理人たちが腕を振るった料理に舌鼓して貰いたい」
陛下のパーティー開始の合図と共に再度会場に音楽が流れ、陛下が会場を後にする。王女様もそれに続いて退席していった。
どうやら、私と王女様のお話よりも学園を卒業した学生達に陛下は気を使われたようだと分かる。
「お兄様。おそらく、私たちはこの後に陛下よりお呼びが掛かるものと思います」
妹も状況が分かっているようで、私と同じ考えを口にする。
「ウォルター様。陛下がお呼びでございます」
そっと飲み物を回収するように近づいてきた王宮侍女が、周りに気を配って声を掛けてくれる。
私と妹は、食事や飲み物を口にしている学生たちの邪魔にならないようにそっと会場を後にした。
王宮侍女の案内で別室へと移った私たちを待っていたのは、陛下と王女様。そして、私たちの両親であるアグストリア侯爵とアグストリア侯爵夫人だった。
書類仕事のせいで、ここ数ヶ月会う機会がなかったが、久しぶりの再会がこんな形になってしまったのは両親に申し訳なく思う。
「ウォルターよ。お前にも申し訳ない事をした」
入室後の最初の会話は陛下よりの謝罪であった。
「陛下。ウォルターに謝罪など不要でございます。あのような事態になった原因の一端がウォルターにもあるのですから」
「アグストリア侯爵。その原因を作ったのは我が王家だ。ウォルターに落ち度はない」
陛下の謝罪に対して、父が臣下としてとりなそうとしてくれたが、陛下の意思は固いようだ。
「陛下。私もあの場での行動が最善だとは思っておりません。今考え直してみれば、しっかりと向き合って話をしてみるべきでした」
「ウォルターよ。レイチェルがあのような事を仕出かした原因が分かっておるのか?」
あの時は書類仕事から逃げるチャンスと思って、その事しか考えていなかったが、それは間違いであった事は分かっているが、王女様の考えまでは分からない。
「いえ、申し訳ございません。分からないからこそ話し合うべきでした」
「よい。ワシでさえ、本人から聞いてようやく知った事だ。ワシ以上に忙しいお前にそれを知っておけというのは無理がある」
陛下の隣にいる王女様は、私と陛下のやりとりを俯いたまま聞いているだけであったが、陛下の物言いから既に話は済んでいるという事は分かった。
そして、父と母の様子を見る限り、この2人も知っているようだ。………そして、私の隣にいる妹もそんな感じがする。
「レイチェル。自分の口から申せ」
-後書き-
今回の作品に色々と思うことがある方がおられると思いますが、頑張って生きて頂ければと思います。
え? 意味が分からない?
後編を読んだら分かるよ(≧∇≦)