初恋のひと
試験勉強のBGMとしてある歌を流していたとき、気付いたら書き上がっていた短編です。
よろしくお願いします。
「わぁ、綺麗…」
鈴のような声に、顔を上げた。
満開の桜並木の下、風になびいた黒髪の艶やかさに僕は息を呑む。
黒いセーラー服を着た彼女は、僕に華奢な背を向けて、桜を見上げていた。
「あの…っ」
振り向いてほしくて、僕の声は勝手に飛び出していた。
彼女が振り返る。
人目を惹くくらいの、美人だ。
声をかけたものの、どうしていいか分からない。
そんな僕のほうを、大きな瞳がきょとんと見つめる。
そして、首を傾げた。
「今、誰かに呼ばれたような…」
彼女がこちらのほうに歩いてくる。
僕は避けずに、ジッとその場に立っていた。
彼女が、僕をすり抜ける。
「誰もいないのに、何でだろ…」
あぁ、と僕は悟った。
彼女に、僕は見えないらしい。
それと、もうひとつ。
「あっ、遅刻する!」
もう一度、僕をすり抜けて駆けていく彼女。
そんな彼女に、僕は恋をしてしまったようだ。
彼女は、朝と夕方の二回、決まった時間にこの桜並木の下を通る。
ぼんやりと桜を見上げながら歩く彼女。
彼女に、僕の姿が見えなくて良かったかもしれない。
だって、見えていたら、堂々と隣を歩くなんて出来ないから。
相変わらず、視線は交わらない。
それでも、傍に居られるだけで幸せだった。
ある日の夕方、彼女は泣いていた。
事情を聞いても、慰めても、この声は届かない。
彼女の涙を拭おうにも、僕の手は空を切るだけだ。
初めて、彼女に見えないことが歯がゆいと思った。
その内、雨が降り始めた。
空から雨が降っても、彼女の雨は降り止む気配がない。
そっと、傘を差した。
泣きじゃくる彼女は、頭上の傘の存在に気付かない。
彼女が、ポツリと零した。
「…寂しい…」
雨音に掻き消されそうなほど小さな声だった。
でも、大好きな彼女の声を聞き逃すはずがない。
僕がいるよ。君のことが大好きだよ。
だから、泣かないで。
彼女に届けたい言葉は、雨粒に溶かされて消えた。
一度望んでしまうと、もう戻れなかった。
彼女と目を合わせてみたい。
言葉を交わしてみたい。
笑い合ってみたい。
贅沢な願いを持った僕を戒めるかのように、ささやかな日々は足早に過ぎ、別れの日がやってきた。
季節は一周し、初めて彼女を見たときと同じく、桜が咲き誇っていた。
笑顔で桜を見上げる彼女に、僕は苦笑する。
やっぱり、視線は交わらない。
ずっと、隣に居たんだけどなぁ…。
せめて、ちゃんとけじめをつけよう。
息をひとつ吐いて、彼女に頭を下げる。
今日まで、傍に居させてくれてありがとう。
大好きです。
顔を上げると、彼女がこちらを向いていた。
目が合ったように感じて、ドキリと固まる。
彼女が、微笑んだ。
一瞬で桜が霞んでしまうほどの華やかな笑みで、口を開き―――
その時、風が吹いた。
花弁が視界を妨げ、思わず目を閉じた。
でも、聞こえた。
彼女の声が、はっきりと告げた。
「ありがとう」
大好きな彼女の声を。初めて僕にくれた言葉を。
僕が、聞き逃すはずがないんだ。
「新ー!」
後ろから呼ばれ、振り返る。
今日、一緒に卒業した友人だった。
彼女を振り返ったが、もう、彼女は居なかった。
きっと、どこにも居なくなった。
「どうかしたのか?」
「いや…何でもない」
「変なの。で?新の告白したい相手はいつ来るわけ?」
お前の勇姿、見届けに来てやったぞ!と楽しそうに笑う友人に、僕も笑って応えた。
「もう逝っちゃったよ」
「行っちゃったって…振られたのか」
振られた、とは少し違うけど。
「…あぁ、失恋した」
彼女が居なくなって、恋を失ったことに違いはない。
「ドンマイ」
肩を叩いてくれた友人に何か返事を返す前に、「よし!」という友人の声に阻まれた。
「パーッと遊んで忘れようぜ!新、引っ越しいつだっけ?」
「明後日」
「早くないか!?」
「大学の手続きもあるし、向こうにも早く慣れたいから」
「そっか。寂しくなるなー」
チラリ、と桜を見る。
彼女のよく見上げていた、桜を。
「また、休みには戻ってくるよ」
ここで彼女に会えることは、もう二度とないけれど。
「絶対だぞ!」
念を押しながら歩き出す友人に、はいはい、と適当に返して僕も後を追う。
さよなら、僕の初恋の幽霊。
心の中で、そう小さく告げて。
ありがとうございました。
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