ライナス16歳 ライラの偏執
「ライナス…今日は一体どこに隠れた…⁉」
「ライナス様……高等部になったら、ちっとも図書館に来て下さらないのですね…せっかくお話しようと、あの作者様の新作の本も手に入れたのに……やっぱり、私が会いに行くしかないのですね…」
「ミーシャの王子様はどこかにゃ~? あーあ。ミーシャが犬獣人にゃら、臭いで嗅ぎつけられるにょににゃー……でも仕方にゃいにゃ。王子様が諦めるまで、付き合ってあげるにゃ」
……正直、ちょっと今のセリエには会いに行きたい。新作の感想聞きたい。アドバイス欲しい。……今回は、(少々腹立たしいが、せっかくなので)獣人ものに挑戦してみたんだ。あれを、セリエがどう思ったか参考にしたいのは山々だ。
だが、ディアナとミーシャが傍にいる以上、俺が出て行くわけにはいかないのだ…!!
悲しいかな、学園は中高一貫。悲しいことに高等部に進んでも、同学年である三人に追いかけ回され執筆の邪魔をされる日常は変わらなかった。
……いや、全く変わらなかったといえば、嘘になるな。
なんせ、そのメンバーから、校舎が離れた中等部に取り残されたままのライラが減ったせいで、俺は家でも満足に執筆が出来ない事態に追いやられているのだから。
「……ようやく、帰ったのね。お兄様」
ふいに真後ろから掛けられた声に、思わず体が跳ねる。
こ、こっそり使用人用の裏口から気配を殺して帰って来た筈なのに、いつの間に……!!
「ら、ライラ……」
俺と同じ金髪碧眼のライラは、齢を重ねるごとに一層美しく女らしく成長していった。身内の贔屓目を差し引いてもあの三人に勝るとも劣らない美貌だと、断言できる。
しかし、ライラはその美しい顔をまるで般若のように歪ませて、俺を見つめていた。
「今日は、お兄様にどんな女が近づいたのかしら…どんな甘ったるいねこなで声で、愛を囁いたのかしら…どんな目でお兄様を見つめて、媚を売ったのかしら…ああ憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い‼お兄様に近づく、高等部の雌豚どもなんて、全て消えてしまえばいいのに!!」
「落ち着け、ライラ‼ 俺は、別に何もされていない!!」
「嘘よ、嘘……お兄様から、他の女の臭いがぷんぷんするもの……私のお兄様をマーキングするなんて許さない……呪い殺してやる……」
「お前の呪いは本当に効くから、やめてやれ。……誓っていうが、今日は一切中等部時代俺を追い掛け回していたあの三人には接触していない。……ただ俺の席の隣だっただけで、殺される女が可哀想だ」
ディアナや、セリエだけでなく、ミーシャも呪術を跳ね返すことができる特殊能力を持っていた。何でも猫獣人の長の家にだけ伝わる、特殊技能らしい。だから、あの三人に関してはあまり心配はしていない。
だけど、通常の女がライラの呪術を身に受けたら、間違いなく死ぬ。それくらいにライラの魔力は高く、呪術に関する能力は天才的だ。
どちらかといえば薄情な方な俺だが、流石に俺のせいで人が死ぬのは寝覚めが悪い。
「……何で。何で私だけ……私だけ、お兄様と一緒にいられないのかしら……なんで、中等部と高等部は校舎が違うの……私はずっと、ずっとお兄様の傍にいて、お兄様を守らなければならないのに……お兄様の傍にいたいのに」
「お前が俺の妹なのだから、仕方ないだろう」
「妹!!……ああ、その事実が呪わしいわ‼」
ライラは豊かな金髪を掻き毟って青い瞳に涙を溜めながら、悲痛に吼える。
「私は妹‼……お兄様と血の繋がった、実の妹‼……だからこそ、どんなにお兄様が大切でも、愛していても絶対に結婚できない‼……お兄様が他の誰かに盗られていく姿を、ただ傍で見ていることしかできないの!!……それが、それが苦しくて堪らないの…!!」
「ライラ……」
「愛しているのに!! 生まれた時からずっと、誰よりも、誰よりも強く愛し続けているのに……!!」
俺はいつものヒステリーを起こすライラに溜息を吐く。
偏執狂のフェルディア家の血筋。ライラの執着の先は、魔法でも剣でも、それ以外の事物でもなく、兄である俺だった。
元々ブラコンであったライラだが、俺への偏執は、あの誘拐事件を境に増々強くなって行った。
あの時、俺はルーフェリアの祝福がなければ、間違いなく死んでいた。自分を庇って俺が死んでいたかもしれないという事実が、ライラの中の何かを壊した。……まぁ、ようはヤンデレが開花してしまったわけだ。
以来、俺を家に縛り付け、俺に近づく女は排除しようとするようになってしまった。……実に面倒な話だ。
「ライラ……何度も言っているが、俺は女に……というか、他人に興味がないから、そうそう恋人なんか作らない。俺が興味があるのは執筆だからな。お前が心配することなんて何もないんだ」
「でも……でも、そんなの、分からないじゃない‼ お兄様を好きな女はたくさんいるわ!! 好きだと言われてれば、もしかしたらお兄様の気持ちだって」
「変わらない。……こう言ったら人でなしと思われるかもしれんが、俺は近づいて来る人間を創作の為のモチーフ程度にしか思えない。いくら愛の言葉を囁かれても、恋愛描写のレパートリーが増えて良かった以上に、俺の心が動くことはない」
……改めて自己分析してみると、俺って本当碌でもない人間だよな。
人間として何か大切なものが根本的なものが欠けているというか。サイコパスというか。
執筆の為なら、一番大切なものの為なら、平気で色んなものを捨てられる。
こんな俺だからこそ、ルーフェリアはきっと面白がって契約を持ちかけたのだろうから、それが一概に悪いこととも言えないのが、複雑だが。
基本的に、俺は何を失っても構わない。それが引き換えに、小説を書き続けることができるのならば。
……ああ、だけど。
「だけど。ライラ。――それでもお前だけは多分、俺の中では比較的特別で、大切な存在なんだ。……例え、それがお前が望む程の想いでなくても」
だけど、きっと俺は今世の人生のほとんどを共に過ごしたこの妹が、少なくとも他の人間達よりは、大切なのだ。
例えそこに契約があったとはいえ、必ず助かる保障もないままに、身を挺して庇ってしまうくらいに。
本来なら死に至る筈の激しい苦痛を味わってもなお、庇ったことそのものには後悔を抱かないくらいに。
きっと執筆の引き換えに捨てなければならない時がやって来たら、誰よりも思い悩んで苦しむくらいには、俺はお前が大事だよ。ライラ。
――それでも俺はきっと、最後には執筆を選ぶのだろうけど。
俺の言葉に、ライラは鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をして押し黙っていたが、暫くしておずおずと口を開いた。
「……比較的、って、誰と比較して……?」
「世界の全ての人間と比較して、だ」
「……エルフや、獣人は?」
「勿論、それも含めてだ。意志疎通ができる全ての生き物と比較して、だな」
「………それって、生き物の中では私が一番特別で、大切ってこと?」
「まぁ、そうなるな……お前は俺の、ただ一人の妹だからな」
ただ一人の兄弟というわけではないが……まぁ、上の二人は論外だ。
あんな弟を実験体にしか思わない奴ら、大切だなんて思って堪るか。
俺の言葉に、ライラは零れる涙を拭いながら、泣き笑いの表情を浮かべた。
「ずるいわ。お兄様……そんなことを言われたら、私は妹で良かったと思うしかないじゃないの」
そう言って、ライラは俺の胸に抱きついて、また啜り泣きだした。
俺は腕の中のライラの金色の髪を撫であげながら、再び溜息を吐いた。
……これは、もう暫く執筆に取り掛かれそうにないな。
「ほらほら、ライラ。……昨日出来上がったばかりの新作を、お前に真っ先に読ませてやるから、泣きやんでくれ。な?」
「うう……あと、ぎゅうしてほっぺにちゅうもしてくれないと嫌だわ……」
「仕方ないな……ほら」
「やったぁ!! ふふふ……お兄様、大好き」
……こうやってすぐ機嫌を直して笑うところは可愛いから、憎めないんだけどな。
俺の小説の一番の読者でもあるし、誤字や矛盾の訂正もしてくれるから、助かってもいる。
何だかんだで、やっぱり可愛い妹なんだよな。
「小説を書くことが何より大切なお兄様に、女なんて必要ないわ。お兄様は一生結婚しなくていい。……一生独身で、この家で二人で仲良く暮らしましょう?」
ようやく泣きやんだライラが俺を見上げて、笑う。
「おい、ライラ。俺のことはまぁいいとして、お前はちゃんと嫁に行けよ。跡取り云々は兄上たちがいるからいいとしても、お前が結婚しなければ父上と母上が泣くぞ」
「お兄様以上の男性がいればね!!……そんな人、絶対いないと思うけど」
果たして今後、ライラのヤンデレは治る日は来るのだろうか。
……振り回されて、家での執筆時間が減るから、お願いだからその感情は別の男に向けて欲しい。切実に。




