ライナス14歳 セリエとの接近②
図書館に着くと、セリエは一人椅子に座って本を読んでいた。
勿論手に持っている本は、俺の民話。扉を開けて入ってきた俺の気配にも気が付くことがなく、一心不乱に読み込んでいる姿はまさに作者冥利に尽きるとしか言いようがない。
幸いなことに、図書室の中にはセリエ以外の姿はなかった。
俺は大きく深呼吸をして、胸を落ち着かせると、静かにセリエの方へと近づいていった。
「……その本、面白いのか」
「っふぇ⁉」
後ろから本を覗きこむようにして、耳元で声を掛けると、セリエはすっとんきょんな声を上げて振り返った。
「あ、貴方は…【不死身のライナス】様⁉」
……どうやら、この不本意な渾名は既に一般生徒の知るところになっているらしい。
きっと武芸大会のせいだな。……くそ。ディアナさえいなければ、これほど噂も広まらなかっただろうに。
俺は苦笑いを滲ませながら、首を横に振った。
「すまない……俺が探していた本をお前が読んでいたから、ついつい声を掛けてしまったんだ」
「ラ、ライナス様がこの本を⁉ 一体どうして……」
「どうしてって……その本の作者のファンだから、としか言いようがないな。もうずっと前から、俺はその作者が描く話のファンなんだ」
嘘は言っていない。
俺は自分の書いた物語の、自分が作りした世界の一番のファンだ。誰よりも強く、自分の書いた小説を想っているんだ。
物書きってそういうもんだろう?
「ライナス様も……ライナス様も私と、同じ……」
ほうっと頬を染めて呟くセリエをに、俺は頷いた。
そうだ。俺もお前と同じだ……だからもっと、俺の本の良さを語ってくれて構わないんだぞ?
周りの評価を教えてくれてかまわないんだぞ?
ほら、お前だって、俺の本の良さを一緒に語り合える仲間を探していた筈だ。俺という同志を見つけて、本当は嬉しいのだろ。
さぁ。
さあ。
さあぁ!!
……しかしセリエは本心したような状態のまま、それ以上何も言って来なかった。
それほどまでに、俺の悪評は酷かったのだろうか。好きな本を語ることすら、躊躇われるほどに。
くそ‼ せっかく見つけた、俺の読者。そう簡単に諦めて堪るか……!!
俺は悲しげな表情で、俯いた。
「……セリエ。君は俺を怖い人物だと誤解しているかもしれない。俺のような男は、君のような大人しい娘には野蛮に思えるかもしれないからな」
敢えてこう口にすることで、罪悪感を抱かせる作戦だ。
騙すことに対する罪悪感? そんなものない。
小説を書き続ける為ならば、俺は悪魔に魂を売るような男だ。これくらいのこと、何とも思わん。
「そんな…野蛮だなんて……寧ろ、ずっと憧れていたとい言いますか……武芸大会の御雄姿に、心を奪われ……い、いえ、何でも、何でもありません!! ともかく、私はライナス様を悪いようになんて、思ってませんから」
案の定、セリエはあっさりと罠に掛かった。
……よし‼ 言質は取ったぞ‼
「ならば…またこうやって君に話掛けてもいいか? 俺はどうしても君と仲良くなりたいんだ。その本の作者の作品について、一緒に語り合いたいと思ってるんだ?……嫌か?」
「いえ、喜んでぇ‼」
「そうか!! 良かった。感謝する」
よっしゃあ、ファン一号との以後交流を持てる権利げっとぉおお‼
これで、別の作品についても感想が聞ける!!
次会う時は蔵書をまとめて持ってこなければ‼
「あ、あのライナス様…!! 手、手を……」
茹でダコのように真っ赤になったセリエの反応で、歓びのあまりついセリエの手を握り締めていたことに気が付き、慌てて手を離した。
「す、すまない。……初対面で、随分距離が近かったな……」
「い、いえ、良いんです!!……むしろ嬉しいといいますか……刺激が強すぎと言いますか……」
……さすがにちょっと引いている、よな。
初対面であまり接近し過ぎると、色々警戒されるかもしれないから、今日はこの辺で引いておこう。
なんせセリエは貴重な生身の読者だからな。これからも末永い付き合いにすべく、慎重に距離を縮めていかねば。
「……今日は、この辺で失礼しよう。……その……明日も、ここに来ればお前と会えるのか?」
「え、ええ!! 私は放課後はいつも、ここにいますから……」
「なら、明日もここに来よう。……またな。セリエ」
「っ⁉」
そのまま背を向けて、図書館を後にした俺には、さらに顔を赤くしたセリエの呟きは聞こえなかった。
「なんで……名乗ってないのに、私の名前……」
「――あ、ライナス様‼ また来て下さったんですね」
俺の方を振り返り、満面の笑みを浮かべるセリエに吊られるように、俺も笑みを返した。
「また来させてもらった。……ところで、昨日貸した本はどうだった?」
「とっても面白いです!! やっぱりこの作者さんは天才です」
「そ、そうか……」
最初の邂逅から二週間。
毎日のように図書館に通う俺に、最初はどこか戸惑っていたようだったセリエだったが、今ではもうすっかり俺のことを受け入れていた。
実に喜ばしいことだ。
「……でも強いていうなら、敵に捕らえられたヒロインの行動が少し理解できない所がありました。主人公のことを本当に好きならば、助けに来た場面でただ弱弱しく泣くのではなく、もっと自分から動くべきなんじゃないかと、私なんかは思ってしまいます」
「なるほど。……女性ならではの意見だな。興味深い見解だ」
セリエの感想や意見は、執筆を行うに当たって非常に参考になるので、最近の放課後は実に有意義だ。
特に俺に足りない女性ならではの意見は、しばしばライラの感想ともまた違っていて、俺が苦手な女性キャラを動かす為に役立っている。
例のSF本もセリエの意見を元に、エルフがよく利用する本屋を中心に本を売り込んだら、在庫が減ってきているようだ。黒字になるのも時間の問題だろう。まさにセリエ様様だ、
「……ところで、ライナス様。前から聞こうと思っていたのですけど」
「うん? なんだ?」
「初対面の時、ライナス様は名乗らないのに私の名前を知っていましたよね……どうしてですか?」
突然のセリエの問いかけに、ぎくりと体が跳ねた。
……名前なんて、呼んでたか。俺。
というか、今更なんでこんなことを……。
固まる俺に、セリエは真剣な表情を向けた。その頬は緊張のせいか少し赤く染まっている。
「それに……最初に出会った時、ライナス様はこの作者の民話を探しに来たと言っていました。けれども、次の日に同作者の著書を持って来られた際、その中に同じ本も混ざってました。……ライナス様。あの時、貴方は本当に本を探しに来たのですか?」
しまった……そう言えば単純に自著をまとめて持ってきて、あれ、抜くの忘れていた……。
……さて、なんて誤魔化すべきか。
しかし、何とかして誤魔化そうも、セリエの目は明らかに確信に満ちている。
「単刀直入に言います。ライナス様……あの時貴方は、私に会いに来る為に……」
「……ああ。そうだ」
……ならいっそ、認めてしまった方が楽だな。
俺はばつが悪そうにそっぽを向いて頭を掻いた。
「仕方ないだろ……嘘をついてでも、お前と仲良くなりたかったんだ。どうしても」
……俺の新作の感想を聞く為に。
「………‼‼‼‼」
「……っお、おい‼ 大丈夫か⁉」
次の瞬間、セリエはその場に崩れ落ちた。
慌てて駆け寄るも、セリエは全く起き上がる気配を見せずに、両手で顔を覆って床の上で転がり出した。
「……っそれ、それ反則です!! そんな言い方って…ずるいです…!!」
「な、何がだ? 何の話だ?」
「ああ、もう……だい…きぃ……」
訳が分からない言葉を口にしながら、床でごろごろ転がって悶えるセリアを、俺は唖然と見下ろすことしかできなかった。
……一体何なんだ? 俺が何をしたというんだ?
誰か教えてくれ。