自称女神な悪魔との契約
空が――青い。
良い、天気だ。まるで、今日と言う俺の人生最良の日を祝福してくれているような、そんな。
――ああ、だけど俺は、どうして今空なんかを見上げているのだろう。
指一本動かすことさえもできない、そんな状態で。
今日は、小説家になるという長年の俺の夢が叶い、俺の初めての本が本屋に並ぶ筈の日だった。
俺は自転車に乗って、鼻歌交じりで近所の本屋に向かっていたんだ。
赤信号を止まって待っていたら、後ろから誰かの悲鳴と大きなブレーキ音が聞こえてきて。
……ああ、そうだ。俺は空を飛んだんだ。
突然突っ込んできたトラックに弾き飛ばされて、まるでサッカーのボールみたいに、ポーンと、さ。きっと綺麗な放物線を描いていたんだろうな。ははっ……想像したら、少し笑える。
……おい、そこのお前ら。さっきから、なんて表情で俺のことを見てるんだよ。そんな、死体でも見ているかのような目すんなよ。俺は生きてるんだからさ。ただ、ちょっと自力で立ち上がれないだけで、お前らが手を貸してくれたら、立ち上がれる気がすんだよ。だから、な。お願いだから、手を貸してくれよ。
なんか口ぱくぱくさせてるみてぇだけど、なに言ってるか分からねぇよ。聞こえない。というか、さっきから音が何一つ、聞こえない。嫌になるくらい、うるさくないていた筈の蝉の声ですら。
……ありえないよな。なぁ、だれか、ありえないって言ってくれよ。
俺が今、死にかけているだなんて、ありえないって、お願いだから、誰か言ってくれっ…‼!
夢が、叶うんだよ。ようやく、永年の夢が。今日この日の為にいろんなものを捨てて、必死で小説を書き続けてきたんだよ…っ‼ なのに、ようやくチャンスを掴んだこの日に、俺の小説家人生が始まったこの日に、事故に遭って死ぬとか、ふざけんなよ!!
俺は、まだ、本屋に並んだ俺の本を見ていない。俺の本を読んだ人達の反応を見ていない。本の売り上げだって、分かっちゃいない。
全部全部、これから始まる筈だったのに…!!
(……違う……それだけじゃない)
出版された本のその後も気になる。見届けたかった。
だけど俺は、それ以上に。それ以上に、もっと。
(それ以上に、俺はもっと、小説を書きたかった)
もっともっと、物語を考えたかった。思いついたアイディアを、語彙をフル活用して、文字として綴りたかった。構成して、修正して、校正して。
俺じゃなければ作れない物語という世界を、もっともっと俺の手で産みだしたかった…!!
頭の中で次から次へと溢れ出てとまらない言葉の数々を、もっともっと文字として書き綴り続けたかった…!!
まだまだ書きたい物語の案だって、いくらでもあったのに!!
(いやだいやだいやだいやだいやだ死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない)
心から満足するまで、小説を書けていない、今の状況では、まだ‼
いつか小説を書くことに飽きる日が来るまで、俺はまだ死にたくない、死にたくないんだ…!!
俺は、生きたい。生きたくて仕方がない。
――たとえ、その為に、なにを代償に捧げたとしても。
「ならば、わらわが主を生かしてやろうか?」
不意に何もなかった筈の頭上から、声が聞こえた。
動かせない視線の先で、銀色の髪をした10歳くらいの少女が、くすくすと笑っている。
なにも聞こえなかった筈の俺の世界に、その少女の声だけがいやに鮮明に響いた。
「わらわが望むものを主がくれるというなら、わらわが主の願いを叶えてやろう。飽いるまで小説を書き続けたいという、その願いを」
(代、償……)
「なぁに、大したものじゃない」
出せる筈がなかった俺の心の声を正確に聞き取ったかのように、少女はにんまりと口端を吊り上げた。
「主が望みを叶えた後の、主の魂じゃ」
それはまさに悪魔の誘惑だった。
(あんたは、悪魔か……)
無礼とも言える俺の心の呟きに、少女は喉を鳴らして笑った。
「そう呼ぶものも、おる。……だが、わらわは寧ろ、別の呼称の方こそ気に入っているので、そちらで呼んで貰いたいものじゃな」
そう言って少女は芝居がかった仕草で両手を広げた。血のように赤い少女の目が、妖しく光った。
「わらわは異界の女神、ルーフェリア。主の住む世界と、別の世界を創造し、統べるもの。そして、そうじゃの……こちらの世界の言葉で言うなら、別の世界で住まう魂の『これくたぁ』じゃ」
(コレクター……)
「わらわは、自分以外の神が作った魂にどうしようもなく、惹きつけられるのじゃ」
そう言ってルーフェリアは真っ直ぐに俺を見据えた。
「わらわは、知りたい。わらわ以外の神が作った魂を、わらわの世界に招いた時の世界の変容を。そしてその世界の変容が、わらわの作った魂たちに、そして招いた魂に、どのような変化をもたらせるのかが知りたいのじゃ。そして変化したその魂を、思う存分気がすむまで調べ尽くしたいと思っている」
そう言ってルーフェリアは恍惚とした表情で、頬を染めた。
「人間の魂というものは、実に面白い……いくら観察しても、研究しても、新たな発見が尽きることはない。それがわらわじゃない神が作ったものなら、猶更じゃ。これまで幾千もの魂を調べ続けてきたが、まだまだ飽きそうにない……もっともっと、知りたい。知り尽くしたいのじゃ」
その言葉を聞いた瞬間、俺は目の前の胡散臭い自称女神を信じることに決めた。
ルーフェリアが魂に対して抱いているその感情は、俺が小説に抱くそれに似ている。
一つの物に対する狂気じみた追及心と、執着。
きっとこいつは、自身の魂に対する要求が満たされる為ならば、何でもする。
俺の願いを叶えることなぞ、些細なことなのだろう。
無意味に与えられた、「善意」という名の施しなんかよりも、ずっと信用ができる。
(つまり俺は、ここで頷けば、あんたの世界へ行くことになるのか……)
「ご名答、じゃ。主が頷けば、わらわの作った魂に紛れさせて、主は記憶を持ったままわらわの世界で生まれ変わることになる。主はそこで、思う存分小説とやらを書き続ければいい。その際、わらわは主の望みが叶うように、全力でさぽぅとしてやるぞ。世界を創造した女神の加護じゃ……必ず最後には主を満足させてやると約束しよう」
(……もし断ってこのままここで死ねば、俺はどうなる?)
「知らぬ。わらわはわらわの世界のことしか知らぬ。ここの世界の神は鷹揚で、世界に生きるものに対して不干渉主義なようじゃ。わらわがかように好き勝手動いていても、文句一つ言って来ぬ。そんな神が、死んだ人間の魂をどうするかなんて、わらわでもわかる筈がなかろう」
(……つまり断った場合、また生まれ変われる保証は、どこにもないということか……)
ここで断れば、その後はどうなるか分からない。
ここで応じれば、次の生では100%小説を書き続けることができるが、その次の生に至ることができずに魂を、この自称女神に取られることになる。
ならば、答えは決まっている。
(女神ルーフェリア……お前の取引に、応じよう)
それで小説を書き続けることが、できるならば。
飽きるまで小説を書き続けさせてくれるなら、その後の魂なんてくれてやる。煮るなり焼くなり好きにするがいい。
「そうか。よう、言った」
ルーフェリアが、嗤う。悪魔のように、禍々しく、天使のように、美しく。
「すぐに返事を決めたご褒美じゃ。わらわの世界に転生するにあたって、予め三つの特典を与えてやろう」
(三つの特典?)
「この世界の定番物語に、あやかってやろうと思ってな。願い事は三つが相場なのじゃろう? 今風に言えばちぃと能力とでも言えば分かりやすいかの。主がわらわの世界で生きるのを、より快適にする願いを叶えてやる」
ルーフェリアが身を乗りだして、上から俺の顔を覗きこんだ。
「何でもいいぞ? 好きな願いを言ってみろ……そうじゃ、誰もを魅了する文筆の才能なんてどうじゃ? その能力があれば、主の書いた小説は、たちまちべすとせらぁじゃ」
(……そんな能力はいらない)
俺は俺の書いた小説を、自分の力で評価されたいのだ。与えられた魅了の力で評価されても嬉しくも何ともない。
小説を書くことは全部俺の力でやり遂げたい。だから、それに関しては余計な手出しをしないで欲しい。
(……そうだな。せっかく小説が書けても、また今みたいに事故かなんかで死んだら意味がないから、今度はちょっとやそっとじゃ死なない体が欲しい)
「ふむ。強靭な体、とな」
(あと生活の為に働き続ける必要があって、小説を書けなくなるのはごめんだ。小説を書いていても、問題がないくらい裕福な家庭に生まれたい)
「ふむ……小説を書く余裕があるくらい恵まれた家庭、と」
(あとは……何かあるか……そうだな。もし俺が小説家として成功した時、原稿を狙う賊なんかが現れたら厄介だな。万が一誰かに襲われても撃退できるくらいの力は欲しい)
「なるほど。どんな賊でも倒せるような力じゃな。……確かに承ったぞ」
ルーフェリアがにぃと口端を吊り上げなら、俺に向かって手を翳す。
……その笑みに、一瞬嫌な予感を感じたが、それを口にする時間は無かった。
ルーフェリアの手から溢れ出した眩い光が一瞬にして俺を包み込む。
「さぁ、異世界の神が造った魂よ。わらわが造った世界の転生の輪の中へ来るがいい。わらわの世界で新しい生を持って生まれ変わるのじゃ!!……次に目を醒ました時には、主はもう、わらわの世界の人間じゃ‼」




