第11話 若き天才
ミストが訪れた朱鷺宮高校の教授室で向かい合う人物は、若干十代にして教授の称号を持つ天才学者であり、密かに西村研究所との繋がりを持つ謎の女性『要 亮子』であった。
要は西村研究所から依頼された極秘任務であったその内容を話すミストがウェストリア家の末裔である事が分かっていた為それ程の動揺はなかったが、それでもウェストリア家や西村研究所でも一部の人間しか知らない極秘任務を知るミストの要求に多少の戸惑いを残し答える。
「サンプルはとりあえず出来たよ。・・・だが、これを完成させる為に必要な『ε細胞』が未完成だから、正直期待通りの成果を出せるのかは未知数だ」
「いえ、『ε細胞』は時期に完成します」
「・・・まるで、未来を知るような話し方だな」
「基盤となる『δ細胞』と『γ細胞』が完成した今だから言える事ですし、時期なんて言葉は未来予知の内に入りませんよ。あの2つの発明は、『微生物シリーズ』のこれからの進展速度に大きく貢献する事は間違いないのですから」
「その2つの細胞がこの朱鷺宮高校の、しかも在学生によって発見された細胞だから褒めるのも頷けるけど、その2つの細胞があったからって『η(エータ)細胞』を生成させるのは、そう簡単なことじゃないと思うけどね・・・」
「・・・それに関しては、朱鷺宮の天才教授殿にお任せすれば大丈夫でしょう」
「あたしゃ、そんな大層な人間じゃないよ。以前ならともかく、今のあたしは新嶋さんよりも格下の研究者だよ」
朱鷺宮高校は毎年必ず天才と言われる神的な生徒が存在し、昨年度で言えばそれは新嶋 美幸であり、新嶋の卒業により今年度は時崎 景子がその名を引き継いでいる。
だが、当時の5年生を差し置いて4年生で研究発表会を優勝した新嶋でさえ4年時にその称号を得られかった理由は、研究発表会直前まで朱鷺宮の絶対的な神として君臨していた要の存在であり、当時の彼女の存在は新嶋を超えるものとなっていた。
研究発表会連覇と言う偉業を達成するまでに成長した新嶋は今となっては自身を超える存在と要は話すが、当時彗星の如く現れた転校生の要はIQ270以上の能力で当時の研究発表会で圧倒的な成績で最年少優勝を達成し、朱鷺宮高校の神として君臨した。
要の桁外れの才能に、学校は高校の過程を終了する翌年の3年の発表会前に特例の卒業免除を発行しそのまま朱鷺宮高校の教授へ就いたが、そうでなければ4年時の新嶋の優勝はなかったと言われている程に当時の彼女の存在は大きかった。
教授となってからの要は表立った活動は一切せず学校の教授として通常の毎日を送っていたが、裏では内密で依頼された西村研究所からの研究依頼をこの研究所で黙々と進めていて、ウェストリア家も共有していたその研究サンプルの事を未来で既に知っていたミストは、他の者より先回りして『η細胞』を手に入れると同時に、新嶋亡き今、最も天才に近い人間を利用する事を企んでいる。
ミストが先回りをしてまで『η細胞』を欲しがる理由は、自身を殺した『全知全能の神』の特性がその細胞と似ているからで、その細胞が『全知全能の神』の覚醒を止められる可能性を秘める細胞だとミストは考えている。
だが、覚醒を止める為に必要なワクチンを作るには『η細胞』以外にもう一つ細胞を掛け合わせる必要があり、それはミストが知る未来ではかなり遅れて発表される『ι(イオタ)細胞』で、『微生物シリーズ』の最後を飾る細胞であるそれは、今の研究速度を考慮しても自身の予想ではあと数年は発見されない細胞であったが、ミストは要を利用してワクチンを完成させる事を目論んでいる。
「ほら、まだ完ぺきじゃないけど、それが『η細胞』のサンプルだよ。・・・しかし、あんた達も危ない事を考えるよね。幾ら未知の細菌の抗体を作るからって、殺人細菌の抗体を作らなくてもね」
「『微生物シリーズ』は人体の万能薬を作る為には欠かせない研究ですが、逆にそれを悪用すれば世界を破滅に導く事も可能です。自分は、『微生物シリーズ』完成前にそう言った菌に対し抗体を作るべきだと思っています」
「そりゃ立派な答えだね。・・・ただし、それを悪用しなければ、だけどね」
「・・・まさか、自分はそんなマッドサイエンストではありませんので。それでは先生、貴方が今回の研究した『η(エータ)細胞』の件、詳細を一度お聞かせ頂いてもよろしいですか?」
「年上にそんな敬語使われるのも、なんだか気味が悪いね」
「新嶋さん亡き今、微生物研究界切っての才女は貴方で間違い無いですからね。年齢では無く同じ研究者としての敬意ですよ」
サンプル段階である『η細胞』を渡そうとする要は、まるで霧のように正体が見えないミストの言葉に背中が汗ばむ感覚を覚えながら答えると、研究室内にあるパイプ椅子に腰を掛け彼女の『η細胞』の進捗具合を聞きながら、自身が予想する以上に進んでいるその研究から頭の中でスケジュールを立て直し、次の手筈を進める為に要の研究所を後にする。
生徒が既に帰宅している時間の薄暗い廊下を進むミストの前に、艶のある黒い髪をした女性が立っている。
「ミスト・・・」
「・・・ケイコ」
ミストの目の前に居るのは時崎で、その表情から時崎が大よその事実を掴んでいる事を理解したミストは、真剣な表情の時崎の足元を見て口を開く。
「新嶋さんの事は真に残念だったね・・・。キミも生物研究部の活動や『γ細胞』の研究で大変だったとは思うけど、研究はどうだい?」
「・・・あなたは、私達の作った細胞の生成方法を既に知っていたのでは無いですか?」
「どうしたんだい突然・・・。そんな事知っていれば、自分が世界へ発表している所さ。あれは、間違い無く君が作ったものです」
「・・・なら、発表出来ない立場だったらどうですか」
時崎の言葉をかわす様に話していたミストへ告げた時崎の一言は、それまで冷静だったミストの表情を一瞬にして強張った表情へと変え、そのミストの様子を気にせず時崎は話を続ける。
「私は・・・、新嶋先輩と会った最後の日に、まだ具現化されていない筈の『δ細胞』を見ました」
「ほう・・・。ですが、『δ細胞』は新嶋さんとアヤが発見した細胞。そうであれば、他の研究室での培養は少なくても数カ月の月日が必要だ。新嶋さんが亡くなったであろう日に、『δ細胞』がこの世に存在する筈はないよ」
「私も、ミストさんと同じように考えます。・・・ですが、発見した当人は、それを持っているのでは無いのでしょうか」
「発見した人間、ねぇ・・・」
時崎が悩み抜いた末に見えた答えは、まだ存在する筈の無い『δ細胞』がこの世に存在した理由は、篠目が話していたように『亜種』を悪意で作っている人間の可能性と、それを発見した二通りの人間のどちらかが『δ細胞』を持ちキメラを合成したと時崎は結論する。
だが、ソマスチタンが現れた場所は表立った研究所であり、もし悪意ある人間がそのキメラを作り出したのであれば、特定人物のみが入出する研究所では足が付く可能性が極めて高く、現在の研究施設には監視カメラ等のセキュリティは完ぺきに近いその場に異物を混入する隙を探すのは困難を極める。
なら、『δ細胞』を発見した人間が混入させる事は可能だと考えた時崎は、その事を表に出す事が出来ない事情があったからで、その結論から絞られた『δ細胞』を持つ人間は新嶋と篠目のみであるが、その中で篠目と共同で開発したミストが番素性の知れない人物だと時崎は感じている。
「ミストさん、あなたはその部屋へ何をしに行っていたのですか」
「自分は、ただ教授に話を聞こうと思ってね」
「・・・その先に居るのは、新嶋先輩をも凌ぐ才能を持つと言われた才女、要教授の部屋ですよね。あなたは、先の発表会で綾ちゃんに目を付け『δ細胞』を発見させ、『微生物シリーズ』の進歩を飛躍的に向上させた。権威ある研究者ではなく、若くして閃く才能を持つ人材が『微生物シリーズ』の発見者です。そう言った若い閃きのある人間が一番集約しやすい、この朱鷺宮高校を・・・私や綾ちゃんを利用したのですか!?」
「・・・随分と自分を買い被っているようだが、確かに『α細胞』や『β細胞』は、若い研究者の一瞬の閃きによって生み出された研究ですが、君やアヤはその歴代の猛者と同様以上の類稀なる才能と閃きを自分に見せてくれました。だから、君達であれば新種の細胞を発見出来る、そう思いアドバイスを送った。・・・それだけですよ」
「そのアドバイスの的確さは、恐ろしい程的を射ていました。・・・それは、今考えれば未来を知っているかのような程です。・・・そして、そのアドバイスは私の親友の綾ちゃんを巻き込んだ。彼女が発明した細胞によって他人の命を奪ったと思い、自分を見失いかけています!」
「・・・未来、ねぇ・・・」
「同じ年齢に見えない、その冷静さと行動力・・・。あなたは一体何者なのですか!?」
時崎の言葉に一言漏らした後に黙り込んだミストは、顔を合せなかった時崎へこの時初めて視線を合わせると、これまでと変わらない表情のまま口を開く。
「自分は未来なんて信じていない。・・・己の想像する見たくない未来を変える為、未来は己の手で変えるもの、そう思っているだけです。・・・それは、これからも変わらない。アヤはその未来を切り開いた人物だ。だが、そのような人物の末路はいつもハッピーエンドでは無い、違いますか?」
表情は今までに見たミストであったが、時崎に話すその口調はまるで己の存在を消すかのような無色透明な感覚を与え、硬直したままの時崎をよそにミストは霧のように時崎の横をすり抜け姿を消す。
我に返った時崎は即座に要の研究室へ走り出し、扉を開けた先に居た要は、今日はやけに来客が多い程度の感じで時崎を見つめる。
「・・・ん、何か用かい?」
「要教授!ミストと何を話していたのですか!?」
「・・・良く見れば、あんた『γ細胞』を見つけた時崎さんじゃないか。年上の人間にこうも敬語で呼ばれるのも、何だが難しい気分だな」
「ミストは!・・・いえ、何もありません・・・」
自身が結論付けた『表には出せない理由』が本当にあれば、要へ叫んだ事で頭が冷え我に返った時崎は、繋がっている可能性の高い要も当然ここで真実を話す事は無いと考え強引に会話を終わらせ俯く時崎へ、要は声を掛ける。
「『微生物シリーズ』の研究は、あんた達のお陰でこれから飛躍的に進むと思うよ。・・・特に新嶋 美幸、彼女は間違いなく天才だったよ。・・・だけど、『好奇心は猫をも殺す』ってことわざじゃないけど、世に中には安易に踏み入れてはいけない領域ってのもあるんだよ。彼女は踏み込んではいけない領域へ足を踏み入れてしまった、その結果だよ」
「先輩は・・・新嶋先輩は、そんな人ではありません!『微生物シリーズ』を悪用する人物を排除する為に戦って来ました!」
「まぁ・・・言っている事は良く分からないけど。あんたと唯一意見が一致するのは、新嶋 美幸は間違いなく自殺では無く殺された。『微生物シリーズ』の闇を知り過ぎた、己の心の中の好奇心にね・・・」
「そんな・・・」
「『微生物シリーズ』は世界的に進んでいる研究であり、その中でも国内で禁句にされている研究もある。・・・だけど、目の前に見える成果を黙って見過ごせる研究者は居ないって訳だ。それが、例え日本で禁句と言われる研究だったとしてもね」
時崎と篠目、そして新嶋しか知らない『微生物シリーズ』の裏の顔の事を話されても理解できる訳無い、そう考えた時崎は要の話しに一度はムキになったが、要が語る内容に返す言葉が見つからずにいる。
確かに新嶋は『δ細胞』の存在を知りたい為に命を落としたと思われても反論出来ず、例え要が『亜種』の存在を知っていたとしても同様の答えを返すだろうと感じ暫く沈黙を続けた時崎は、一例をし要の研究室から退出した。
研究者は成果を求める者。
最後に話した要の言葉が、時崎の頭の中で反射するように響き渡っていた。
翌日、時崎の元へ届いた新嶋と戦ったキメラから採取された『δ細胞』の鑑識結果は予想通り篠目が発見した『δ細胞』で、当時この世に存在する細胞としてはサンプル自体を持っているのは、開発した新嶋と篠目と共同開発した西村研究所・・・そして、篠目と共に『δ細胞』を見つけたミストだけだった。
だが、その結果が届いた時には既に時遅く、西村研究所は『δ細胞』から生まれた『亜種』ソマスタチンの手により壊滅的なダメージを受けた事で全ての情報とサンプルを失い、その事を公に出来なかった西村研究所は討伐部隊へ連絡を取らなかった責任を研究所長の西村 俊二と篠目の両親を差し出す事で集結させた。
それは、ウェストリア家と西村研究所が未発表時の『δ細胞』を知る人物である人間を切る事で、その先にある闇を知られる前に事態を収拾する事が狙いで、その事実を知った篠目はその真意を両親から聞く事も出来ず、彼女の家族は引き裂かれた。
「なぜ・・・、なぜ、わたしの両親がこんな目に合わないくちゃいけないの!?結局、これも『亜種』を悪用しようとする人間の仕業なの!?それとも、両親が関わっていたの!?」
「綾ちゃん・・・」
「私は・・・自分が作った『δ細胞』のせいで全てを失ったのよ・・・。あんたも何時か分かるよ、歴史に残る人物が全て幸せな結末で無い事を・・・」
「・・・」
事件の翌日、学校を欠席した篠目を気に掛けた時崎は篠目と会い話をするが、今まで見た事の無い絶望と暗闇を背負う死に掛けた目で時崎へ話した篠目は、その絶望した表情のまま力無く去って行く。
その姿に掛ける言葉が見つからなかった時崎は、去りゆく姿をただ見つめる事しか出来ず、西村研究所へソマスタチンを放った人物がミストである可能性も、今回の一件で要と西村研究所の繋がりを知った事で可能性がある人物が圧倒的に増えた為、ミストを犯人として特定出来る証拠が見つからずにいる。
だが、それがミストの狙いで、西村研究所とウェストリア家、そして要との接触を時崎へ意識させる事で『δ細胞』を使いキメラを作った人物の可能性を自身以外に分散する事で、その狙い通りに時崎は篠目を陥れた人物を特定出来ずにいた。
未来を知るミストは誰よりも先に動き『微生物シリーズ』の秘密を知る西村研究所を解体する事で、自身を今回の一見の容疑者リストから存在を霧へ包み隠す事に成功した。