小さな神様
小さな神様、小さな神様。
いるのならば教えてください。いるのならば答えてください。
人はどうして争うのでしょうか。人はどうして厭うのでしょうか。
人はどうして、何もかもを壊してしまおうとするのでしょうか。
泣き声は聞こえませんか?
痛いと、苦しいと、辛いと、悲しいと、悲痛に嘆き、悲哀を叫ぶ泣き声が。
笑い声が聞こえませんか?
嬉しいと、面白いと、喜ばしいと、愉しいと、愉快に寿ぎ、痛快を歌う笑い声が。
愚かだとは思いませんか?
醜く、浅ましく、汚らしく、悍ましく、傲慢に過ぎるその行いを穢らわしいと。
小さな神様、小さな神様。
道行くそこかしこに無数に転がる石礫、その中に宿る八百万の神々よ。
坐すならば御教示ください。坐すならば思し召しください。
何故、快楽の為に悪戯に命を摘み取る蛮行成すものに権威を与えたか。
何故、喜悦の為に無垢な心を穢し侵す愚行成すものに財宝を与えたか。
我らでは及ばぬ思慮思考にて未来を見通しておられるのであらば、
その神意を理解出来ぬ愚かな我らにお示しください。
天候に恵まれず努力の末に実った冬を越すための実りを焼き尽くされ、
数少ない若き働き手を戦であると強制し徴集し尽くし屍すらも返さず、
未来を繋ぐうら若き乙女たちを攫い一時の悦楽の為にその花を散らせ、
やがて朽ちると知っていながら老いた者たちを試しと称し切り刻んだ、
愚劣極まる醜悪な肉塊に踏み躙られなければならぬほどの大罪を我らは犯しましたか?
小さな神様、小さな神様。
どうか教えてください。どうか答えてください。
どうして我らは、生きる未来を絶たれなければならなかったのでしょうか?
「あにさま、あにさま」
呼びかける幼い声に呼ばれた青年が何かを記していた手を止めた。
「何用か、姫」
姫と呼ばれた幼子は兄と呼んだ青年の下へと駆け寄り傍らに座した。
「ひとがなげいておりまする。なにゆえかとのろいのごとく、こたえよこたえよとうったえるのです」
幼い姫が手にした小さな硝子玉、その中で炎の如く燃え盛り激しく立ち昇る黒い靄に青年は眉根を寄せた。
「何処から持って参った」
幼い姫の小さな手に収まる小さな硝子玉を指先で摘み上げる青年の手元を追いながら、問われた幼い姫は明朗に答えを返す。
「るりのまのひがしにありました。あまたありますぎょくのなか、まくろにゆれておりましたのでひぃがおもちいたしました」
「…妙な自尊心を盾に内に籠る地か」
呆れの息を吐き、硝子玉から興味を失ったらしい青年は幼い姫へと視線を戻した。
「何故極東の玉を姫が我が元へと持って参った。我が名でも呼ばわったか?」
いいえ、と幼い姫は否定を返し言の葉を続けた。
「ちいさなかみさまといくたびもよばうのです。ぎょくなかがよばうちいさなかみとはまっせきにおりまするひぃのことでございましょうか、とおうかがいいたしたくまいったのです」
幼い姫の言の葉に青年は興味を失くした硝子玉を再び見遣る。片方の柳眉を上げて。
「ひぃもまっせきとはいえかみのざにつくみにございますれば。されどいまだおさなきみゆえひぃにできうることはごくわずか。なればひぃよりすぐれたたいしんであられるあにさまにいかがなさるかとうかがうがよきとおもい、ぎょくをおもちいたしました」
そこまでを告げて幼い姫は麗しい機嫌とは言い難い青年の様子に眉を曇らせる。
「あにさま、ひぃはなにごとかまちがいもうしましたか?」
不安に瞳を揺らす幼い姫の頭に手を乗せて、青年は上げた柳眉を下げゆるりと笑む。
「否。己が手に余ると我が元へ指示を仰ぐは正しきこと。されど」
頭を優しく撫ぜられ憂い顔を晴らした幼い姫に向けた柔らかなものとは相反する視線を硝子玉へと青年は向ける。
「斯様に容易く場より持ち出すは少々浅はかと言えような。己が力及ばぬと理解しておる玉が我が元へ参る前に異状を来たし、姫に大事あれば何とする。兄を始めとした力ある神々が小さき玉に過剰な報復を成そうぞ」
「ひぃはほんじつもすこやかにございますあにさま。だいじなどございませぬゆえかようにおそろしきことをもうされますな」
鋭い視線を硝子玉へと向ける青年の言に含まれる鋭さに小さな肩を震わせた幼い姫に気付き、青年は再び眉を曇らせてしまった幼い姫の頭を撫ぜ、真っ直ぐな髪を梳く。
「苦言は大事が起こっておらぬ故申すことが出来、耳に入れることが出来得る。姫は幼く先を見通す力もまだ弱い。此度は何事もなかろうと、後に何が起こらぬとも限らぬ。用心せよと皆が申すは姫を案ずる故と理解しておろう。姫が大神と呼ばう兄とて危うき事は間々ある事よ」
「あにさまにもあやうきことなれば、ひぃにはあらがえぬこととなりましょう。あい、わかりもうしましたあにさま。こたびはひぃがおろかでありもうしました。いごなきようつとめまするゆえ、かわらずごきょうじくださりませ」
幼い面に笑みを浮かべ、深く頭を下げて礼を取る幼い姫の素直さに青年は頬を緩める。
「学に励むは良き事なれど、先になさねばならぬことがあり様ぞ。母神等が姫をお探しだ」
驚きに顔を上げ、周囲を窺う幼い姫は不服そうに頬を膨らませ青年を仰ぐ。
「ひぃにはまだきこえませぬ」
「然様であろうな。兄も幼き時分には難義したものよ」
「あにさまがでございますか?」
不思議そうに想像もつかぬと顔に書き見つめる幼い姫の様子に青年は目を細め、愛しげに幼い姫を見つめ返す。
「兄とて幼き時はある。さあさ、早うせねば母神等が姫を探して泣き出されよう。玉は兄が処理致す故姫は疾く参られよ」
摘んだ硝子玉を手の内に落とした青年を見て幼い姫は首肯を返したが、礼を取ろうとした姿勢を戻した。
「あにさま、ひとつおきかせくださいませ」
退室を遅らせた幼い姫の真っ直ぐな目を青年は見つめ返し、言葉を促す。
「かみとはすくいをもとむるものをたすくものなのでございましょうか」
嘆き、呪いの如く答えよと訴えると告げられた手の内の硝子玉を意識し、青年はゆるりと瞬いた。
「姫、神は人を救わぬ」
「ではかみとはなにをなすのでございましょうか」
僅かに間を空けたが驚くことはなく問いを重ねた幼い姫に青年は説く。
「苦難を越える導になれど苦難を救う手にはならぬ。人だけにあらず、神は何ものをも救いはせぬ」
「しるべにございますか。なればさきをみとおせぬひぃのてにはあまりまする」
こくりと納得してか首肯をすると、幼い姫は今度こそ退室の礼を取る。
「おいそがしきあにさまのおてをわずらわせますことをおわびいたしますとともにおんれいもうしあげまする。ではおいとまもうしあげまするあにさま」
満面の笑みを浮かべ部屋を辞した幼い姫の背を見送り、青年は息を吐く。
「全てに等しくあれと教示は致すが、等しくなどありはせぬ」
誰に聞かせるでもなく、青年は言の葉を紡ぐ。
「我らが愛しき末の姫、我らは極東に答えぬ」
手の内に落とした硝子玉を指先で摘み直した青年の耳に、頭に、音が響く。
小さな神様、小さな神様。
いるのならば教えてください。いるのならば答えてください。
我らは何処へ向かえばよいのでしょうか。
我らはどうすれば生き長らえますでしょうか。
どうか教えてください。どうか答えてください。
多くの供物を捧げましょう。多くの贄を捧げましょう。
米を、酒を、幼子を、乙女を。
まだ教えてくださいませんか。まだ答えてくださいませんか。
供物が、贄が、足りませぬか。
もっと捧げましょう。もっともっと捧げましょう。
我らは生きねばならぬのです。このような場で果てる訳にはいかぬのです。
教えてくださいませ。答えてくださいませ。
死にたくない、死にたくないのです小さな神様。
御助けくださいませ。御救いくださいませ。
我らを哀れに思いますならば、憐れみくださいますならば、
どうかどうかその御手にて御救いくださいませ。
死にたくない、死にたくないのです小さな神様。
いつまでも若くありたいと、誰よりも贅沢でいたいと、
何よりも強くありたいと、いつまでも誰よりも何よりも偉くありたいと。
愚劣極まる人型の汚物を打ち滅ぼし、我らを生かしてくださいませ。
何故教えてくださいませぬのか。何故答えてくださいませぬのか。
隣村から食料を奪い捧げましたのに。隣村から女子供攫い捧げましたのに。
まだ足りませぬか。まだ足りませぬか。
一つの村では足りませぬならばもう二つ、三つ滅ぼし奪いましょうか。
いっそ近隣の村全ての者を贄として捧げてましょうか小さな神様。
さあお教えくださいませ。さあお答えくださいませ。
我らを生かし、老いぬ体を、朽ちぬ体を、決して死なぬ体を我らにお与えくださいませ。
愚劣極まる人型の汚物を討ち果たした暁に我らが浄土を築きましょうぞ。
この世の全てを我らが手に致しましょう。財も、人も、食料も。
我らは何も求めませぬ。ただ死にたくないだけなのです。
愚劣極まる人型の汚物の如く争いも奪いも穢しも致しませぬ。
何も求めぬ我らこそが、全てを手中に収めるべきなのです。
争わせぬ為に、奪わせぬ為に、穢されぬ為に。
清く、美しく、崇高な善たる我らこそが、世を統べるべきなのです。
小さな神様、小さな神様。
何故お教えくださいませぬのか。何故お答えくださいませぬのか。
我らを御救いくださいませ。我らこそが生き長らえるべきなのです。
我らこそを御救いになられるべきなのです!
何故ですか小さな神様、何故なのですか小さな神様!
御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください御救いください。
忌々しそうに青年は秀麗な面を歪めた。
「我らが何時無垢なる魂を、清らかな乙女を差し出せと申した」
その声音は静かに、されど激しく空気を震わせる。
「幾年経とうと変わらずくだらぬ諍い起こし、自ら進んで土地を穢し狂わせる例えもないほどの愚かしさが招いた故の末路を嘆き、恥もなく厚顔不遜に我らに救えと訴えるならば、贄とした幼子等を何故救わぬ」
黒い靄を燃え上がらせていた硝子玉は漆黒に染まり、最早中を見通すことは出来ない。
「挙句哀れな贄とし捧げられた末に神の座に召し上げられた末の姫を導に縋ろうとは、人とは何処まで強欲なのか。我らを祀る祭壇に幼子等を贄と差し出された母神等の悲憤は凄まじいものぞ、鉄槌下りて滅びぬ事こそ最大の恩情と知れ極東の民よ」
冷淡に冷徹に刃の如く告げられる言の葉の重みに硝子玉が軋む。
「神々は生きとし生ける全てのものに等しく平等、公平たれ。例え祀るものがおらずとも己が神域を守り続くことこそ我らが矜持。されど我ら神とて目をかける者はおり、愛でる者もある。それらを害されれば如何に神とて憤りもする。我らが愛しき末の姫はその最たる者ぞ」
軋む漆黒の硝子玉を映した青年の目に幼い姫へと向けた温もりは存在しない。
「子は七つまで神のうち。愚か極まりない人が目に余る地にて的を射た者もおったものよ。無垢なる魂とは我らが眷属、眷属を害され憤らぬ神などおらぬ。己が種蒔き芽吹かせた非業の罪科を払うが良い、欲に塗れた愚かな者ども」
硝子玉を摘む指先に青年は力を籠め、軋む硝子玉には亀裂が走る。
「我らが愛しき末の姫を贄とし捧げた愚劣の行い、我らは決して忘れはせぬ、許しもせぬ。即刻滅ぼさぬ事こそ最大の恩情であったが、それすら理解せぬ愚鈍な者どもに恩情など意味を成さぬ」
漆黒が揺れ抵抗を見せるが、青年はそれを許さない。
「小さき神と我らが愛しき末の姫を侮り誹り、遂には呪詛まで述べようとは。滅びに向かう緩やかな時もいらぬと心得た。いまここで、滅びろ」
抵抗虚しくぱきんと音を立てて砕けた硝子玉。
闇を纏ったその欠片は青年が吹きかけた息吹に散らされて塵にもならず消え果てる。
その時、瑠璃の間その極東の地の一角で、神々の恩寵賜る見通す目の玉を失くした名も知らぬ土地が、
音もなく消滅した。
小さな神様、小さな神様。
何故我らを御救いくださらぬのか。
供物を、贄を捧げましても、教えも答えも救いもくださらぬか。
我らに滅びろと申されるのですね小さな神様。
愚劣極まる人型の汚物に蹂躙の限りを尽くされ、醜く、浅ましく、汚らしく、悍ましく、
傲慢に過ぎるその行いに穢され果てろと申されるのですね。
小さな神様、小さな神様。
もう教えろとは申しませぬ。もう答えよとは申しませぬ。
もう救えとも申しませぬ。
ただただ、我らの今わの際の言の葉をお聞きくださいませ。
小さな神様、小さな神様。
呪われろ。




