Lesson4:不信と予感
結論から言おう。
はっきり言って俺は今、とても困惑している。
それというのもすべてはこの赤い箱のせいだ。
よりによって今日という日に、あからさまな存在感を放つこの禍々しきパンドラの箱を俺の下駄箱にぶち込みやがった奴がいる。
ようするにこの箱が何を意味するかは俺にだってわかる。
あれだろ?
世の女どもがチョコレートという実に醜悪、もとい茶色の甘味をその甘美にして桃色であり熱くほとばしる思いのたけとともに好きな男にぶっちゃけるというむちゃくちゃ破廉恥なイベントデー。
バレンタインデー!
ふ、実にくだらないね。
「………。」
ガン、ガツンッ、ゴガッ
さっきから後ろの席に座る須王のヤロウが執拗に俺のイスを蹴ってくるのだが鬱陶しいので全て無視している。
男のジェラシーほどみっともないものはないというが、こいつの場合は嫉妬心が見え見えすぎてむしろ清々しさすら感じてしまう俺は精神的に病んでいるのだろうか??ともあれ…
『誰だ…?一体誰が俺にこれを…』
朝の状況からいって、絢であるとは考えにくい。
何しろ一緒に登校したのだ、もし絢が犯人であるとしたなら…昨日から仕込んでいたことになる。想像するとなんか怖いぞ。
だが絢に限ってそれはないだろう。
そもそもあの男勝りがバレンタインにチョコって…そんなベタなマネするわけがない。
『…氷堂はどうだ?』
ちらりと、俺は右斜め前方に人形のように着席している氷堂ひさぎを見た。
本当に微動だにしない女だな。
艶のある後ろ髪は呼吸の振動や身じろぎの一切を感じさせないほどに静止している。
〔またね〕
奴は俺にそう言った。
あれがどういう意味だったのかは全く分からないが、とにかく今朝の氷堂の行動はあきらかに不信だった。
『氷堂が…俺に…これを…』
いや。
ないだろ。
普通に考えて。
大体、俺と氷堂には何の接点もない。
まあそれを言ったら絢を除く女子のほとんどと俺は接点を持たないことになるのだが。なにせ俺は女という生き物が苦手なのだ。極力関わらないように努力しているほどだ。
断っておくが俺は別にモテないわけではない。
いや、強がりとかじゃなくて。
これでも何回か告白とかされているのだ。
…全部断ってしまったがな。
ガンッ、ガッ、
またお前か。
ガン、ゴキ!
ん?
今なんか変な音がしたような??
「ッにぎゃー!!」
奇声とともに須王がイスから転げ落ちる音がした。
おおかた、調子に乗って俺のイスを蹴っているうちに誤って足の指をおかしな角度で打ちつけたんだろう。やれやれ。
「須王、静かにしろ。そしてはやく席につけ。」
あきれたように担任の武藤『筋肉バカ』がため息をついた。
クラスメイトが失笑している。
まあ須王のバカは今に始まったことではないので当然の反応かもしれないな。
よせばいいのについつい、俺は後ろの哀れな男を振り返ってしまった。
目と目が合う。
倒れたイスを直しながら、須王が邪気のこもった視線で俺を貫く。
「…おのれナオ、またしても…!」
コノウラミ、ハラサデオクベキカ。
俺にはそう聞こえた。
ちょっと待て、俺のせいかよ。
どんだけ逆恨みすれば気が済むんだこいつは?
「須王…あのな、」
筋肉バカを警戒し、俺は小声で須王に話しかける。
「うるさい、裏切り者。さっさと前を向きやがれってんだ!」
「………。」
駄目だ、これは。
完全に赤い箱事件を引きずってやがる。
俺は別にこんなもんもらっても迷惑なだけなんだが。
ホワイトデーにお返しをしなきゃいけないとか、なんかいろいろメンドクサイし、甘味は嫌いだし。
『他に、誰かいるか?』
ふと、視線を前方に向ける。
男女共学の我が校。
クラスの男女比はほぼ半々といったところだ。
女子にちらほらと目を配る。
心当たりは…、
「?」
左前方、一人の生徒と目が合った。
そいつは俺と目が合ったのを察すると、露骨に目を逸らした。
さっと、動物が外敵から身を守るように素早く。
『何だ?』
式 舞子。
いわゆるクラスのアイドル的存在の女だ。
運動神経は皆無。
特技は何もないところでつまづいて転ぶこと。
勉強の方も古典と日本史以外は目も当てられない成績という彼女はしかし、その愛くるしい容姿で男子生徒の心を鷲掴み…にしているらしい。
やわらかそうなミルクティー色の髪はゆるくウェーブしている。
それにしても、今のはなんだ?
おもっくそ目を逸らされたせいでなんか気まずいんですけど。
何で俺がこんな気持ちに…とか思いながら式の背中を眺めていると、再び振り返った彼女と目が合った。
「ッ!!」
かなり離れたこの席でも彼女の息を呑む音が聞こえた、ような気がした。
式は俺と目が合うなり顔を真っ赤にしてまたまた勢い良く目を逸らした。
「………。」
なんか段々腹が立ってきた。
俺がなんかしたか?
もしかして怖がらせたか?目つきが悪いのは自覚しているからな。
『…まさか。』
はたと、俺はあらたな仮説を思いついた。
式が俺にこれをくれたのか?
机の中の赤い箱を見下ろす。
…ありえねぇ。
クラス、いや、学校のアイドルといっても過言ではないほどの人気をほこる式が俺にチョコレートを渡すわけがない。絶対に!
大体、式だったらこんな血みたいに不吉な色の箱になど入れないだろう。
もっとこう、可愛らしい感じの箱をチョイスするに違いない。
『ん?』
ばちっと、前方の生徒と視線が合う。
だがしかし、今度のそれは男のものだった。
合うなり、そいつはにっこりと俺に向かって微笑みを作って見せた。
「!!」
ぞわり、背筋が寒くなった。
無理もないだろ、そいつは男なんだから。
白戸 柳。
こちらも女子から絶大な支持を得ているイケメン君だ。
王子様キャラで売るつもりなのか、いけ好かないスマイルを欠かさない男だ。
当然俺とは接点などない。
お近づきにはなりたくないからな。
だが奴は笑った。
俺に向かって、意味深に。
ま、さ、か、…
いやいやいやいや、いや!
ない!
っていうかあるな、気色悪い!
俺の頭はパンク寸前。
須王ではないが、思わず絶叫したい気分だ。
さっそく占いが当たっているのか?
…早退しようかな。
今の俺には筋肉バカの話など毛ほども聞こえていなかった。