Lesson3: ひさぎ
「ぐっも〜に〜んッ、アヤちゃん!!…ついでにおはよう、ナオ。いやあ、今日も可愛いっすねぇ〜アヤちゃんは!!」
え、てゆーか何してんの?こんなとこで?
という実にバカっぽいセリフとともに唐突な登場を果たしたのは、クラスメイトの須王正親だった。
バカっぽい、というのは少々語弊があったかもしれないな。
なぜなら須王は正真正銘の単細胞だからだ。根はいい奴なので心苦しい思いも無きにしも非ずだが、それ以外にこいつの人格を的確に表現できそうな言語を、残念ながら俺は持ち合わせていない。
しかし、俺はこいつのバカに賭けてみたくなった。
「おい、須王。」
「あ?」
「何だと思う、これ」
にやけたツラを向けていた須王が、はたと目を見張った。すっぽりと俺の掌におさまっている赤い箱に。
「・・・・・・・・・・・・。」
しばし沈黙。のち、
「チョコレートじゃねえかあああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ」
絶叫が響き渡った。
俺は初めて『実写版ムンクの叫び』を目の当たりにした。うん。実に心が痛いね。
須王の単純な思考回路と、俺という一般的な思考回路が導き出した答えは同じだった。おそらく、隣で硬直している絢のヤツも同じことを思っているに違いない。
「やはりお前もそう思うか、須王。」
「・・・最悪だ。」
「ああ。最悪だな。」
須王は、呪い殺さんとばかりに憎しみのこもった視線を俺に叩きつける。
いや、知らん。
というか、こんなものもらってもいい迷惑だ。俺が甘味と女を天敵としていることはお前とて知っているはずだろうが。
「・・・・そんな。」
ぽつり、絢がつぶやいた。
?
こいつはこいつで朝から様子がおかしい気がするんだが。気のせいか?
「あ、あたし、先、教室行ってるね!」
妙に上ずった声でそれだけ言うと、絢はぱたぱたと靴音を響かせ階段を駆け上がっていった。
???
やっぱり変だぞ、あいつ。
遠ざかる後姿をぼんやりと目で追っていた俺の背後に、人の立つ気配がした。
「おはよう。」
小さく、透明感のある声。
いまだ崩れ落ちたままの須王の横を素通りしたらしいある女子生徒が、どうやら俺にあいさつをしているようだ。しかし、そいつはすこぶる意外なヤツだった。
氷堂ひさぎ。
クラスメイトでありながら一度も話をした記憶がない。というよりは、こいつが他の生徒と会話している姿をまともに見たおぼえがない。
別に影が薄いというわけではない、存在感はある、おつりがくるくらいにな。だから、しいていうなら近寄りがたいのだろう。
近くで見ると端整な顔立ちがより一層際立つ。
緊張感というよりむしろ圧迫感というべきかね。女嫌いな俺の目から見てもこいつは美人だ。そのくせまるでマネキンみたいに無表情で無感情な氷堂に「昨日のドラマ見た?」などという軽口が叩ける生徒はまずいない。
無視される確率200%だからな。
「急いだほうがいい。HRが始まるから。」
「え。」
言葉を返すことも忘れて氷堂のメガネの奥の漆黒の瞳を凝視していた俺は、予鈴が鳴っていることにようやく気付いた。しまった。もうこんな時間だったのか。
「・・・またね。」
氷堂はそれだけを告げるともはや役目は果たしたとばかりの潔さをもって教室へと歩き出した。薄い肩にかかった黒髪がはらりと風に靡いてゆれる。
『またね』
どういう意味だ?
「・・・・・・・・・・。」
うむ。さっぱり分からん。
とりあえず、赤い箱と美形メガネっこに関しては保留だな。
俺は絶望に打ちひしがれたままの須王を引きずって足早に下駄箱を後にした。