その後悔。
「それではミサキ様。ごゆっくりお休み下さい」
「ありがとう、レーラ。おやすみなさい」
付かず離れず、ミサキの身の回りの一切合切を親身になって世話してくれる侍女レーラ・フェルディアスが去っていく。
それを手を振り見送ったミサキは、ドアが完全に閉まったことを見て、溜息を一つ零した。
気鬱、だわ。
ミサキは声には出す事なく、そう呟いた。
レーラの目があるから、と張っていた気が緩む。途端に襲ってくるのは、ガンガンと金槌で叩かれているかのような頭痛。先程、帰っていく前にレーラから教えられた明日の予定についてや、他にも色々な事について考えなくてはいけないのに、頭が晴れない。それどころか、溜息が止まることがなく、椅子に座っているのも辛い。
それもこれも、自分がついてしまっている偽りを思えば。
出会った時から笑顔で、ミサキに不便が無いように、懸命に仕えてくれているレーラ。
いや、それだけではない。
慣れない生活に戸惑い、時には情緒が不安定になるミサキに親身になって接してくれるのは、レーラだけではなく、以前までのミサキだったなら近づくことも出来ない身分の人々までも。ミサキの事を愛していると臆面もなく言ってのけるのだ。私が護る、だから安心して。そんな風に蕩けるような笑顔を向けられて、抱き締められたりもした。
今日も、ミサキに任された役目を果たしている最中に、多くの人達が声をかけてくれた。
皇太子に国王陛下、王妃様達。騎士団長に宰相。数え切れないほどの、見目麗しい、そして物腰の一つ一つが優雅で目を惹いていく人達が、ミサキに優しい言葉をかけていった。
それが、ミサキには心苦しかった。
だって、それは全て、ミサキが『聖女』だからだ。
そうでなければ、平々凡々な一般庶民の生まれでしかなく、教養もなにもない、そんな女に高貴な身の上の方々が目を向けることさえするわけがない。
全ては、異世界から神の力を借りて召喚された、世界を救う力を持っている『聖女』だからこそ。
可愛らしい御姿。
幼いのにしっかりとしていらっしゃる。
大怪我を負って死に掛けた農民を、治癒の力でお助けになった、御優しい方。
森を覆っていた瘴気を一瞬にして浄化し、騎士団が決死の覚悟で対峙していた魔物を退けた。
『聖女』としての役目を果たす為に外に出る度、そんな小さな声がミサキの耳には入ってきた。
お世辞も多分に含まれているのは分かっている。それでも、それがこの国の人々が望む『聖女』の姿なのだと思えば、そうあろうとミサキは努力したし、心を引き締めた。
目の前のテーブルに置かれた、籠の中が目に入る。
細長く棒状の焼き菓子にチョコレートがコーティングされているもの。
ジャガイモを細長く切って揚げたもの。
ハートの形をした薄いパイ。
細かい粉がまぶしてあるクッキー。
ジャガイモを薄切りにして揚げたもの。
これは全て、ミサキが侍女や皇女達に話してみせた、異世界のお菓子達。
ミサキから聞いたそれらの美味しさなどに目を輝かせた彼女達は、それの再現を調理人へと命じたのだ。そして、それはほぼ完璧な形で今日、ミサキの前へと差し出された。
-召喚してしまった私達が言うことでも、していいことでも無いかも知れないが、少しでも慰めになれば、と。
そんな言葉と共に差し出されたこれらを口にした時、ミサキは込み上げるものを覚えた。
勿論、皆の手前、ミサキは笑顔で「美味しい」「懐かしい」と言って喜んで見せた。
でも、違うのだ。
ミサキはこれらを口にしても、懐かしいなんて思いはしない。
そもそも作り方だって知らなかった。
込み上げてくるものを必死にこらえることの出来た自分を褒め称えたい、そうミサキは思っていたのだ。
これらを食べたいと思ったのは、ミサキじゃない。
こういったものを、こうすれば作れる、と教えたのもミサキじゃない。
彼等が望む『聖女』は、ミサキじゃない。
でも、そんな事をいう事も出来ず、ミサキはずっと演じ続けている。
どうしよう。
未来の展望など、一つも出来てはいない。
何時まで偽りを続ければいいのか。
そもそも『聖女』とは何なのか。
ミサキには何も分からない。
分からないまま、自身を偽り、彼等が望む『聖女』を演じている。
五つのお菓子は、ちゃんと自宅で出来る有名どころとなっています。