部屋の中の彼女
静まり返った家の中、正確に言えば二階の一か所だけ温かい空気に包まれた部屋のすぐ前に、少年が一人立っていた。足元に小さな子犬を一匹引き連れ、やけに緊張した面持ちで冷たい廊下に熱を奪われながら、しかし動く様子はなかった。
突っ立ったままの主に業を煮やしたのかきゃんきゃんと甲高い叫びが響き、それを合図にするように扉が開く。もちろん自動的に開いたわけでも少年が開けたわけでもなく、部屋の中からドアノブをひねった小さな手が現れ女の子が顔を覗かせた。
「……どうしたの、おにいちゃん」
頬を赤く染めた少女は動かない少年へと手を伸ばし高い位置にある相手の顔を見上げる。心配しているのが目に見えて分かる。
それでも少年はしばらく固まり続け、もう一度子犬の鳴き声がすると視線だけ少女に向けた。すると一変して表情を怒りに染め口を大きく開く。
「お、ま……っ小春! 寝てないと駄目だろう!」
少しの間とはいえ冷たい空気に触れた彼女の手はすでに冷えており、顔も心なしか赤みが取れたように見える。
少年は暖を与えるように手を包みこんだまま彼女とともに部屋に入り廊下と空気を遮断した。この寒い季節から隔離されたように暖かな部屋に入ってもなお満足しなかったのか、少女を早急に布団へと放り込む。
「体を冷やすなよ、寒くないか、湯たんぽ持ってこようか、うどんでも食べるか、おかゆがいいか、そうだ「おにいちゃんおにいちゃん、だいじょうぶだから」……そうか、無理はするなよ」
掛け布団をしっかりと肩までかぶり、次々に飛び出す少年の過保護とも思える気づかいにストップをかけると少女は嬉しそうに笑いかけた。
「ふふ、おにいちゃんはしんぱいしょうだね」
10代前半ほどに見える少女は、舌足らずな口調で体に見合った音量の声を出す。からかうような言葉だが少年は気にした風もなく、さらさら流れる細い髪を撫でる。
「寂しい思いさせてごめんな。母さんたち、今日も仕事なんだ」
「しかたないよ。ひっこして、このいえにもおかねいるし。かぞくのために、はたらいてるんだから」
「そうだ、明日兄ちゃんの友達連れて来ようか。前の家より学校が近くなったから、帰りに寄ってもらって……」
「わたしはおにいちゃんがいてくれるだけでうれしいよ」
その言葉はやけに強く聞こえた。まるで、そうまるで――兄以外はいらないと拒絶するように。
少年は言葉に詰まる。喜んでくれるものだとばかり思い込んでいたから、遠慮ではなく拒否している彼女に目を見張るばかりだった。
「だから、あしたははやくかえってきてほしいな」
付け加えられた台詞は、前のそれを冗談めかすように軽いものだった。
「あ、ああ。早く帰るよ」
彼自身の口から出たはずのそれは、震えもなく自然なものだったのにむりやり言わされたような違和感があった。
置いていかれ廊下でうろうろと徘徊していた子犬と入れ替えに彼は部屋を後にした。
「大輔ー! 今日なんか急いでんのか?」
次の日の放課後、言われた通りそして自分が宣言した通り帰宅を急いでいると友人の隼人が少年に声をかけてきた。
「小春に早く帰ってきてって頼まれたんだよ」
「あー小春ちゃん! お前ほんと小春ちゃん好きなー」
「なに? 小春ちゃんがどうかしたの?」
彼の隣の席に座る笹岡も話に入ってくる。
「昨日家引っ越したんだろ? 大丈夫か?」
「ああ、すぐに慣れたみたいで昨日一日寝てたよ」
刻々と過ぎる時間にそわそわしている少年に思いついたとばかりにこんな事を言ってきた。
「俺さー、小春ちゃんにあってみたいなー」
「あ! 私も!」
昨日の会話が脳裏によぎる。しかし彼自身もそうした方がいいのではないかという思いがあったせいか拒むことができず、二人を家に連れ帰ることにした。
まだ彼の家であるという実感がわかない大きな家まで学校から歩いて20分ほど。二階の一室にだけ電気がついている。窓のカーテンは開いているが、外から少女の姿は見えない。
「おーでっけー!」
能天気な隼人の声が、彼の肩に入っていた力を抜く。やはり連れてくるべきではなかったという考えが消えないが、この友人ならという気持ちも確かに存在していた。
「二階にいるから」
寒々しい家の中に二人を案内し、階段を上がっていく。冷たい床の上を歩き、ノックをしてから部屋に入った。
「どうして?」
一番先に少年の瞳に映ったのは、少女の恨めしそうな悲しそうな表情だった。昨日の言葉を無視する形になったのは事実だったので言い訳がましく口を開く。
「俺はただ、お前が寂しいんじゃないかって、思ったから……」
「何言ってんの大輔」
少年がもごもごと言っている間に二人は部屋に入っていた。言い訳する少年を胡乱げにみて、それから視線を少女の方に移した。
「こっちおいでー小春ちゃん」
「かわいー! だっこさせて!」
少年は顔を強張らせ二人を睨みつける。少女の顔が見えていないのかと怒鳴りつけたくなったがそれは押しとどめ、なんとか機嫌を直してもらおうと少女の方を向く。
少女の足もとに伏せていた子犬がこちらに寄ってきていた。
「かわいいなあ、小春ちゃん。ぎゅー」
笹岡が、子犬を抱き上げてそう言った。
活動報告にgdgdな解説があります。