つまらないものですが
思いつきで書いたもので、短いのですが、よければどうぞ。
随分と達筆な字で書かれた差出人の名に、覚えは無かった。しかし受取人は間違いなく男の名前であるし、住所も一字一句違わず彼の住むこのマンションである。流石にまだボケるような歳ではない、と自分に言い聞かせて頭を回転させるも、幼いころ両親から聞いたようなという曖昧だけで、明解には至らない。
もしかすると結婚、或いは離婚をして姓が変わったのかもしれない。少し気味は悪いが、受取人も住所も間違いないなら自分に送られたものだろう。
そう思い男は封筒を開けた。中には綺麗に折りたたまれた一枚の紙が入っていた。その紙にはこれまた達筆な字で一言、つまらないものですが、と書かれていた。
全くその通りだと苦笑し、男はその手紙と封筒をゴミ箱に捨てる。誰か分からないが、なんとも低俗な悪戯だ。
それでも不思議と怒りは込み上げてこなかった。
それは記憶の残滓にすらならない些細で、だから彼がしばらくして再びその差出人の名が書かれた封筒を郵便受けから見出した時、思い出すまでにかなりの時間がかかった。
だが今度の封筒の中身は、どうやら手紙だけではないようだった。それを持って歩くたびに、硬度をもった薄っぺらい何かが男の手に当たるのだ。
封を切る。中から出てきたのは、またしても丁寧に折りたたまれた一枚の紙と、五百円玉だった。
その五百円玉を見て彼は、つい最近自動販売機で珈琲を購入しようとした時五百円玉を落してしまったことを思い出した。これは偶然なのだろうか、と首を捻るも当然答えは出てこない。
そしてやはり紙の上で躍るのは、つまらないものですが、の十文字。
流石にこんな薄気味悪い五百円玉を受け取るわけにはいかない。溜息をつきながら彼は、対比すると悲しく思える乱雑な字で手紙をしたため、五百円玉と一緒に封筒に入れて送り返した。
その差出人から封筒が送られてきたのは、その気味の悪い出来事を同僚と笑って話せるようになってからのことだった。
しかし、送り返した手紙の返事にしてはあまりに遅すぎる。しかもやはり封筒には何かが入っている。それもそれなりに大きく、封筒が膨れ、その形状が分かるほどだ。
さっさと捨ててしまえばよかったのだが男は律儀だった。もしかすると随分前に送った手紙の返事かもしれない。そう考え、封筒を破る。
封筒の中で所狭しと入っていたのは老眼鏡だった。
背筋を走る悪寒が彼の体を震わせる。近頃めっきり視力が悪くなり、彼は老眼鏡を掛ける様になった。しかしつい一週間ほど前に愛用していた老眼鏡を壊してしまったのだ。
送られてきた老眼鏡は、その壊してしまったものと全く一緒だった。唯一の違いは壊れているか、そうでないか。
つまらないものですが。
彼はそう書かれた手紙を破り、老眼鏡をゴミ箱に放り込んだ。
それから彼は長年の夢であった一軒家を建ててそこに移り住んだ。社会の荒波から解放された彼は、朝にはジョギングを、昼には一人将棋を、夜にはブランデーに水を垂らして明日を迎える気ままな生活を送っていた。
そんなある日。チャイムを押され、慌てて扉を開けた彼の前に、スーツを着こなし爽やかに笑む青年が現れた。どこかで見たことのある相貌だが、とんと思い出せない。ボケたものだと苦笑する彼に、青年は届けたいものがあると、地面に置かれていた大きな段ボールを指差した。
見ず知らずの人間にこんな大仰なものは受け取れない。そう断る男だが、青年はあなたには大恩がありますとの一点張りで帰ろうとしない。青年に好感を覚えていた男は、仕方なくその段ボールを受け取り、後日お礼をすると付け加えた。
青年は一言、いえ、つまらないものですので、と答えて帰って行った。
青年が帰った後、男はその段ボールに何故か張られていた差出人の名前と住所を見て腰を抜かした。
差出人の名前は自分であり、住所も正確にこの場所を示していた。
段ボールの封をしていたガムテープが破られる。男は触れてすらいない。なのに。
静と動。繰り返す段ボールは、男にとって永劫とも思える静止の後、ついに開かれた。
段ボールの中から出てきたのは紛うこと無き自分自身だった。その自分自身はにやりと笑って言葉にする。
「お前が捨ててきた、つまらないものですが」
段ボールの中に引き摺り込まれる。抵抗も、懺悔も、悔恨も、全く意味を成さない。段ボールの中に収められた男はその中で何度も見てきた白い手紙を見つけるのだった。
つまらないものですが。