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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。

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夏陰に沈む

掲載日:2026/09/07

 おもえば、遠くまで来たね。

 そう「君」は笑った。


「なにをいまさら」

 風が吹く。海風。潮の混じったベタベタした風。

「君」はぼくを見て、ニコっと笑う。

「それでも、遠くまで来たよ。……あそこから、どれくらい歩いたんだろうね。わたしたち」


 きっかけは、息苦しかったから。それだけ。

 コンクリートジャングルで、起きて、学校行って、勉強して、マンションに帰って、食事をして、寝て。それを繰り返すだけの生活が、なんとなくいやになった。ただ、それだけ。

「楽しかったね、京都」

「うん。大阪は……うるさくてやだったけど」

「あとあと、岡山にはねこさんの電車がいた」

「広島の路面電車はぼろぼろだったね」

 西へ向かって、何日も、何日も、歩いて。

「うみ、きれいだね」

 彼女は笑う。

 ぼくらはいま、海を前にしていた。


 あの日、さそったのは「君」だった。

「ねえ。……人を動かす電波って、信じる?」

 意味のわからない触れ込みに、ぼくは首を傾げた。あの日の教室。

「君」はぼくとはあまり関わりがなかった。そのとき彼女について覚えていたのは、名前と顔、そして何を考えているか読めない濁りきった目だけだった。だから。

「……なに?」

 一人きりでスマホをいじっていたぼくは、彼女に鋭い目を向けた。

 けど「君」はそれを意にも介さないように、あるいは意味を解さないかのように、そっとぼくの背中にもたれ掛かる。

「……ほんとに、なに?」

 少し腹を立てた声に、彼女はマイペースに呟く。

「隣同士に置いてある振り子はね、バラバラに動いていても、いつの間にかリズムが合って一緒に動くようになるの」

 物理かなにかで習った内容だった。

「……それが、なに?」

 本当に言わんとしていることがわからなくて混乱するぼくに、彼女は目を細めて告げた。

「その理由って、知ってる?」

「振動数がうんぬん、だっけ」

「表向きは、そうなってる」

「……表向きは?」

 疑問符を浮かべたぼくに、「君」は。

「わたしはね、電波がそうさせてるんだと思うんだ」

 そう笑った。

「お互いに電波を出し合って、それに突き動かされるように徐々に行動が一緒になっていくの」

「意味、わかんないんだけど」

「ひとだって、そうだよ。……ほら、いまも」

 そう言って、「君」はぼくの肩に手を回し。

「とくん、とくんって。……心臓の音が、同期してる」

 言われて気づいた。背中から伝わる心音は、ぼくのそれと重なっていた。

「……それが、なに?」

「君」の言いたいことが、わからなかった。しかし「君」は目を細めたままで告げた。


「逃げようよ。この電波から」


 なんで、とは聞かなかった。聞けなかったし、聞く気もなかった。

「ここは、いやな電波まみれ。……この電波には、動かされたくないんだ」

 それはまるで告白のようだった。文字通り、電波な告白だ。けど——ぼくはすでに、彼女の電波と同期していた。

 ぼくは軽く息を吐いて、尋ねた。

「いいの? ……君も、ぼくの電波にあてられちゃうかも」

「いいよ。きみの電波になら」


 その日、ぼくらは脱走した。学園生活から、脱走した。脱獄した。脱落した。


「もう、疲れたね」

「君」は笑って、後ろ向きに倒れるように寝転んだ。

 昼間だ。何日も着替えてない制服と水浴びだけで過ごした身体は、酸っぱい異臭を放っている。お互いに。

「これから、どうしようか」

 岸壁のようになった、関門海峡の縁。遊歩道。

 ぼくが尋ねると、彼女は「うーん」と悩んだふりをして。

「ここらへんで、潮時かな」

 なんて言った。


「きみと、同期、したみたい。……死のうなんて」


 幸せそうに呟いた「君」に、ぼくは「そう……だね」と呟き返し、彼女の隣に寝転んだ。

 空は恨めしいほどに眩しい青色をしていた。

「充電器、持ってる?」

 ぼくの問いかけに。

「ひとつだけ。どうして?」

 彼女は答えて。

「最期に、一曲聞きたくてさ」

 ぼくは返した。


 スマホを起動した。

 つけた途端にバイブが鳴る。

 大量の未読メッセージ。半分は企業の公式で、もう半分は母親。既読はつけてやらずに、さっさとモバイル回線を切った。

 音楽プレーヤーのアプリを開く。そして、一つの曲を探して、再生した。

「この曲、なに?」

「スガシカオの夏陰。いい曲でしょ」

「ゆっくりした曲だね」

「まあ、そうだね」

 空は相変わらず眩しくて、ぼくは目を細めたままで。

 ふと、口ずさむように呟いた。


「ねえ。もし叶うなら、どんな願いを一つ選ぶと思う?」


 何の気もない一言だった。言ったことにさえ一瞬経ってから気づいたほどに。

「……ごめん、なんでもな」

 取り消そうとした言葉に反応するかのように、彼女はそっとぼくの手を握った。

「わたしは願わないよ。……叶うわけないのは、わかってるから」

「君」の顔を見た。「君」はその濁った目を細めていた。

「目、濁ってるね」

「君」が口にしたので、ぼくは呟き返した。

「お互いさまだ」


 眩しい青色が、次第に赤を帯びてきた。

 ぼくらは黙ったまま、ただ呼吸だけしていた。

 往来は何も言わずに、音楽はいつの間にか鳴り止んでいた。


「……もし、叶うなら」

 おもむろに、「君」は口にした。

「わたしは、自由になりたかった」

「…………」

「誰からも縛られずに、自由に空を飛んで、好きな電波を傍受して……好きな人と、生きたかった」

「…………」

 ぼくは何も言わなかった。「君」はすすり声だった。

 何も言えない代わりに、そっと「君」を抱き寄せた。

 ぼくの腕の中で、彼女は涙を流していた。

 何の慰めにもならないことは、わかっていた。


 足元まで夜が来ていた。


「そろそろ、行こうか」

 上体を起こしたぼくの腕を「まって」彼女はそっとひいた。

「……聞かせて。きみの答え」

 もうわかってるくせに。

「好きな人と、死にたい。……身勝手だけど」

「そう、だよね。——知ってた」

 遠くからパトカーの音が聞こえた。近づいてくるような気がした。

 ぼくらは長く一緒にいすぎた。ぼくと「君」は、既に電波が同期していた。一心同体だった。

 彼女は濁りきった目をぼくに向けて、一筋の涙を流しながら、微笑んだ。

「……さいごに、ひとつだけ聞かせて」

 ぼくは囁くように尋ねた。


「なんで、僕を誘ったの」

「『いっしょだ』って、電波が囁いたから」

「……従って、よかった?」

 きっと、不安だったんだろうと思う。最後の最後で、自分のエゴに付き合わせたことに。

 けれど、彼女は——。


「当然。……きみの電波に乗せられて、よかった」

「……ぼくもだよ」


 その岸壁に、柵はなかった。

 周囲には、誰もいなかった。

 ぼくらは緩慢に抱き合った。


 抱き合って、水面に倒れた。


 苦しさは感じた。けど、気持ち悪くはなかった。

 温かさが徐々に失われていった。それでも、彼女の感覚だけは、さいごまで感じていた。


 最期の瞬間だけは。

 幸福だと、感じた。


Fin.


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