夏陰に沈む
おもえば、遠くまで来たね。
そう「君」は笑った。
「なにをいまさら」
風が吹く。海風。潮の混じったベタベタした風。
「君」はぼくを見て、ニコっと笑う。
「それでも、遠くまで来たよ。……あそこから、どれくらい歩いたんだろうね。わたしたち」
きっかけは、息苦しかったから。それだけ。
コンクリートジャングルで、起きて、学校行って、勉強して、マンションに帰って、食事をして、寝て。それを繰り返すだけの生活が、なんとなくいやになった。ただ、それだけ。
「楽しかったね、京都」
「うん。大阪は……うるさくてやだったけど」
「あとあと、岡山にはねこさんの電車がいた」
「広島の路面電車はぼろぼろだったね」
西へ向かって、何日も、何日も、歩いて。
「うみ、きれいだね」
彼女は笑う。
ぼくらはいま、海を前にしていた。
あの日、さそったのは「君」だった。
「ねえ。……人を動かす電波って、信じる?」
意味のわからない触れ込みに、ぼくは首を傾げた。あの日の教室。
「君」はぼくとはあまり関わりがなかった。そのとき彼女について覚えていたのは、名前と顔、そして何を考えているか読めない濁りきった目だけだった。だから。
「……なに?」
一人きりでスマホをいじっていたぼくは、彼女に鋭い目を向けた。
けど「君」はそれを意にも介さないように、あるいは意味を解さないかのように、そっとぼくの背中にもたれ掛かる。
「……ほんとに、なに?」
少し腹を立てた声に、彼女はマイペースに呟く。
「隣同士に置いてある振り子はね、バラバラに動いていても、いつの間にかリズムが合って一緒に動くようになるの」
物理かなにかで習った内容だった。
「……それが、なに?」
本当に言わんとしていることがわからなくて混乱するぼくに、彼女は目を細めて告げた。
「その理由って、知ってる?」
「振動数がうんぬん、だっけ」
「表向きは、そうなってる」
「……表向きは?」
疑問符を浮かべたぼくに、「君」は。
「わたしはね、電波がそうさせてるんだと思うんだ」
そう笑った。
「お互いに電波を出し合って、それに突き動かされるように徐々に行動が一緒になっていくの」
「意味、わかんないんだけど」
「ひとだって、そうだよ。……ほら、いまも」
そう言って、「君」はぼくの肩に手を回し。
「とくん、とくんって。……心臓の音が、同期してる」
言われて気づいた。背中から伝わる心音は、ぼくのそれと重なっていた。
「……それが、なに?」
「君」の言いたいことが、わからなかった。しかし「君」は目を細めたままで告げた。
「逃げようよ。この電波から」
なんで、とは聞かなかった。聞けなかったし、聞く気もなかった。
「ここは、いやな電波まみれ。……この電波には、動かされたくないんだ」
それはまるで告白のようだった。文字通り、電波な告白だ。けど——ぼくはすでに、彼女の電波と同期していた。
ぼくは軽く息を吐いて、尋ねた。
「いいの? ……君も、ぼくの電波にあてられちゃうかも」
「いいよ。きみの電波になら」
その日、ぼくらは脱走した。学園生活から、脱走した。脱獄した。脱落した。
「もう、疲れたね」
「君」は笑って、後ろ向きに倒れるように寝転んだ。
昼間だ。何日も着替えてない制服と水浴びだけで過ごした身体は、酸っぱい異臭を放っている。お互いに。
「これから、どうしようか」
岸壁のようになった、関門海峡の縁。遊歩道。
ぼくが尋ねると、彼女は「うーん」と悩んだふりをして。
「ここらへんで、潮時かな」
なんて言った。
「きみと、同期、したみたい。……死のうなんて」
幸せそうに呟いた「君」に、ぼくは「そう……だね」と呟き返し、彼女の隣に寝転んだ。
空は恨めしいほどに眩しい青色をしていた。
「充電器、持ってる?」
ぼくの問いかけに。
「ひとつだけ。どうして?」
彼女は答えて。
「最期に、一曲聞きたくてさ」
ぼくは返した。
スマホを起動した。
つけた途端にバイブが鳴る。
大量の未読メッセージ。半分は企業の公式で、もう半分は母親。既読はつけてやらずに、さっさとモバイル回線を切った。
音楽プレーヤーのアプリを開く。そして、一つの曲を探して、再生した。
「この曲、なに?」
「スガシカオの夏陰。いい曲でしょ」
「ゆっくりした曲だね」
「まあ、そうだね」
空は相変わらず眩しくて、ぼくは目を細めたままで。
ふと、口ずさむように呟いた。
「ねえ。もし叶うなら、どんな願いを一つ選ぶと思う?」
何の気もない一言だった。言ったことにさえ一瞬経ってから気づいたほどに。
「……ごめん、なんでもな」
取り消そうとした言葉に反応するかのように、彼女はそっとぼくの手を握った。
「わたしは願わないよ。……叶うわけないのは、わかってるから」
「君」の顔を見た。「君」はその濁った目を細めていた。
「目、濁ってるね」
「君」が口にしたので、ぼくは呟き返した。
「お互いさまだ」
眩しい青色が、次第に赤を帯びてきた。
ぼくらは黙ったまま、ただ呼吸だけしていた。
往来は何も言わずに、音楽はいつの間にか鳴り止んでいた。
「……もし、叶うなら」
おもむろに、「君」は口にした。
「わたしは、自由になりたかった」
「…………」
「誰からも縛られずに、自由に空を飛んで、好きな電波を傍受して……好きな人と、生きたかった」
「…………」
ぼくは何も言わなかった。「君」はすすり声だった。
何も言えない代わりに、そっと「君」を抱き寄せた。
ぼくの腕の中で、彼女は涙を流していた。
何の慰めにもならないことは、わかっていた。
足元まで夜が来ていた。
「そろそろ、行こうか」
上体を起こしたぼくの腕を「まって」彼女はそっとひいた。
「……聞かせて。きみの答え」
もうわかってるくせに。
「好きな人と、死にたい。……身勝手だけど」
「そう、だよね。——知ってた」
遠くからパトカーの音が聞こえた。近づいてくるような気がした。
ぼくらは長く一緒にいすぎた。ぼくと「君」は、既に電波が同期していた。一心同体だった。
彼女は濁りきった目をぼくに向けて、一筋の涙を流しながら、微笑んだ。
「……さいごに、ひとつだけ聞かせて」
ぼくは囁くように尋ねた。
「なんで、僕を誘ったの」
「『いっしょだ』って、電波が囁いたから」
「……従って、よかった?」
きっと、不安だったんだろうと思う。最後の最後で、自分のエゴに付き合わせたことに。
けれど、彼女は——。
「当然。……きみの電波に乗せられて、よかった」
「……ぼくもだよ」
その岸壁に、柵はなかった。
周囲には、誰もいなかった。
ぼくらは緩慢に抱き合った。
抱き合って、水面に倒れた。
苦しさは感じた。けど、気持ち悪くはなかった。
温かさが徐々に失われていった。それでも、彼女の感覚だけは、さいごまで感じていた。
最期の瞬間だけは。
幸福だと、感じた。
Fin.
面白かったら、ぜひ下の星マークやハートマークをクリックしてくださると作者が喜びます。ブックマークや感想もお待ちしております。




