表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

あさきゆめみし

作者: 雨咲 しゆみ
掲載日:2026/04/20

 ***


 朝が来た。


 うす暗い部屋でもそれがわかったのは、

 “君”が帰ってきたってわかったから。


 マットの中心に沈み込むようにして寝返りを打った。


 遠慮がちに、少しだけ開かれた扉。

 隙間から漏れた細い光が、君の輪郭を淡く縁取る。


「……起こしちゃった? ごめん。まだ、眠ってていいのに」


 耳の奥をそっと撫でるような、優しい音。

 今日も誰かに汚されたであろう君は、そんなこと全く感じさせない風で囁く。


 シャツだけを手に、細い光に振り向いた背中。

 ほんの一瞬だけ、鼻をついた煙草の香り。


「シャワー、先に浴びさせてもらうね」

 

 そう言って部屋を出ていく。

 下品な煙草の匂いの中に、昨日部屋を出たときの君の甘い香りが、まだにじんでた。


 ***


「今日はさ……外で食べよっか。朝ごはん」


 私を見つめてそう言った。

 朝の君は、きらびやかな夜の世界のお姫様じゃない。

 どこにでもいる。笑顔が素敵な女の子。


「え、うん。でも、もうリンゴ切っちゃったよ?」


 耳つきのリンゴが四切れ、小さなお皿に行儀よく並んでる。

 まるで餌を待ってるみたいに。

 端っこから少しだけ、はみ出たお尻が可愛いらしい。


 君は、それを一つ摘んで口に運ぶ。

 瑞々しい音が、しゃくり。


「うん。美味しい」


 微笑んだ君は、やっぱり素敵。

 つんと尖った高い鼻も、リップだけで潤うハリのある唇も、全部ぜんぶすっごくキマってる。


 私は思わず手を止めて、じっと見つめちゃう。


「ん? どうかした?」


 首を傾ければ、緩くウェーブしたダークブラウンの髪が揺れる。

 湖面に浮かぶ満月みたいな、まん丸な瞳が誰かを映してる。


 髪ゴムで適当にまとめただけの黒髪。大きなタレ目が眼鏡の奥で、熱に浮かされたように惚けてた。

 私だ。


 はっとして、目を背ける。


 同じ部屋で、同じシャンプーを使って、同じベッドで眠るのに。私と君はこんなにも違う。


 君は、私にないものをぜんぶ持ってる。

 それでも──


「ねえ、行こう。ほら、律子(リッコ)が喜ぶと思って、お店探したんだから」


 君が笑う。私に優しくしてくれる。

 こんな私の、いったい何をそんなに気に入ってくれているのか。


「ええっと……でも、私」


「なあに? ()だった? 私と朝ごはん」


 笑顔のままで、冗談っぽく。

 だけど問いかけたその瞳は、ふるりと揺れていた。


 そんなわけない。でもいいの?


 そんな不安を押し除けるように、私は答えた。


「嬉しい。千尋(チィ)が選ぶお店は、いつも美味しいから」


 私は本当に、いつまでも君の隣にいていいの?


 ***


「うまくいかなかったか……」


 上司は私を前に、心底くたびれたように息を吐いた。

 私はなぜか前髪を直してる。

 目を合わせることができなくて、視線はじっと、上司の膝から下。


「もういいぞ。今日はお疲れさま」


 そう言って、上司がデスクに振り向く。

 メールBOXを開けば、出てきたのは私がミスをした取引先のチーム長の名前。


「あ……あの」


 その背中に向かって声を、出そうとした。

 でも、何て言ったらいいかわからない。


 謝罪は、さっきした。

 もう一度チャンスを……本来なら、そう言うべきだったのかも。

 けど、私よりも先に上司が助け船を出した。


「気にするな。お前の力量を測れなかった、俺の責任もある……よく頑張ったな」


 カタカタと、キーボードを叩く音。落ち着いた声。

 上司の顔は見えない。きっと、うんざりした目をしているんだろう。


「ご、ごめ……」


「いいから」


 上司がもう一度振り返って、私を見る。

 やっと目が合った。いや、合ってしまった。


 優しい顔。でも、疲れた顔。


「すみませんでした」


 頭を下げて、静かに部屋を出る。

 泣いてはいない。ただ、彼にそんな顔をさせるほど、私は自分を好きじゃない。


 ***


 夜の街。

 すっかり陽が沈んでも、この街は眠らない。

 定時はとうに過ぎているはずなのに、ビルの照明はまだ落ちない。


 向かいのビル。その明るい窓の向こうで、紙コップを持ったスーツ姿の男女が、楽しそうに会話している。

 キラキラして、自信に溢れた顔で。

 

 同じ街で働いているのに、なぜこうも違うの?


 自分がひどく、惨めになる。

 私は思わず一本、通りを変えた。

 

 暗い路地に、遠く響いてくる笑い声。

 自販機の明かり。ゴォと唸る、排気ファンの音。


 道の向こうは、輝く夜の街。


 ここは境目だ──。

 昼と夜の。


 排気ファンの生ぬるい風が、私の髪を撫でる。

 胡椒と油の香り。

 

 気持ち悪くて、走り抜けた。

 ぬるりとした地面に、いくつも転がる煙草の吸い殻。

 道脇に置かれた空き缶。捨てられた自転車。


 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い──


 走る。走る。走る。


 反転──真っ暗だった視界が、ふいに明るく染まる。


 目の前には、どこにいたのかと思うくらい。大勢の人波。

 赤ら顔の中年。愛想を振り撒く店員に、大声で歌うように肩を組んで歩く若者たち。

 

 背中を向けば、あの暗い路地がポッカリとただ口を開けている。

 私の働くオフィスのビルは、もう見えなかった。


 ここから駅まで、そう遠くない。

 私はゆっくり歩き出す。


 知ってる道。知らない街。

 暗い空。明るい夜。


 この街は本当に、私の知っているあの街なんだろうか。


 彷徨わせた視界の中、昼の手がかりを必死に探す。

 そのとき──


「……あ」


 思わず声を上げたのは、そこに君がいたからだった。


 上品な黒のトップスに、白黒ツイードのミニ丈フレアスカート。

 スラリと伸びた華奢な足先には、ストラップ付きのパンプス。


 綺麗だと思った。

 部屋で見る君とは違う、戦場へ向かう君。

 凛と伸びた背筋が、強くて優しくて、どうしようもなく素敵だった。


 私もそっちへ行けば、君みたいになれるのかな。


 この明るい夜の世界でだったら、君と一つになれるのかな。


 そんな考えが、ふと頭をよぎる。


「あ……」


 そのとき、君が私を見つける。

 驚いた顔で、私を見つめる。


 疲れきった私と──あまりに美しい君。

 何もかもが正反対に見えて、思わず言いかけた言葉。

 だけど、私は飲み込んでしまった。


 君の肩に、私の知らない誰かの手が伸びたから。

 振り返って、笑う君。


 でも、その顔……違う。

 私の知ってる、君の笑顔じゃない。


 二人が談笑しながら横を通り過ぎる。何を話してるかは、私にはわからない。


 けど──


「見ないよ。だから、あなたも私を見ないで」


 小さく、でも確かに君はそう言った。


「え……」


 振り返った背中。

 でも、君は振り向かない。


 その言葉で、私は知った。

 君もまた、ここでしか生きられないから、この場所に立ってるんだってことを。


 ***


 また朝が来る。

 君は少し疲れた顔で、それでも笑って言う。


「おはよ。起こしちゃった?」


「ううん」


 私は君になれない。君も私にはなれない。

 だからこそ、私たちは惹かれあった。


 もう他人じゃなくなった君が、私に擦り寄ってくる。

 布越しに感じる体温。同じ香り。


 衣擦れの音。昨晩見た夢のあとが、白いシーツに影を作った。


「律子。今日休みだよね」


「うん、千尋も」


 じっと隣を見る。


「朝ごはん。作ってよ。あのリンゴ」


「もう。千尋ったら、そればっかり」


 二人して笑った。


 同じ朝は二度とない。

 同じ夜も。


 一つになれないからこそ、二つのままでいい。

 欠けた未完成のままで、ずっと君を好きでいたい。


 ***

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ