生の逆再生
思いつきで描きました。
ただの日記みたいな感じです。
◾️生きることや死ぬこと
物やお金に本質的な価値があるとは思えない。持っていても持っていなくても結局何も変わらない。一時的に10億円振り込まれて喜んでも、それは幸せを感じ続ける決め手にはならない。死んでも生まれても同じことの繰り返し。あなたがどの時代に生まれてどの時代に死んでも同じこと。王様でも、貧乏な臣民であっても、何も変わらない。死が等しくゴールであり、生きることは面白いほど無意味だ。
◾️生の一過性
美味しい物を食べると幸せな気分になることは多くの人が感じることだろう。朝アラームで飛び起きた時に、土曜の朝だった時の幸せ感は計り知れない。好きな人に話しかけられた時は嬉しいだろう、またあの顔見れたと。何かを極めて凄いと言われたり自分で納得したりするのも嬉しいかもしれない。でも全て一瞬に過ぎない。続かない間が辛く感じる。
この辛さの正体は知識過多の病気『虚無感』だと思う。
美味しい物を食べてどうなる?だからどうした。好きな人に会えてどうなる?結ばれてどうなる?朝起きて土曜日だろうが月曜日だろうが、来週には同じくまたやってくる。
◾️無の苦痛
全てのパターンが見えてくる。それが正しいか正しくないかは別としても、おおかたそのような人生だろうと、長く生きてくると嫌でも残りの人生の過程を想像して思ってしまう。まるで自動計算機のように。死にたくはないし生きたくもないけど時間は過ぎていく。何もなし得えなくても何をなし得ても最後は死ぬ。そして完全に誰からも忘れられる。教科書に記載された偉人や有名人は人の心や記憶には残るが、当の本人は何を言われても何を思われても何も届かない。それが自分だと考えたらいかに虚無であるか。
◾️生の逆再生思考
そこで考えたのが『生の逆再生』つまり生まれる前に進むという発想だ。これはエスカレーターを後ろ向きに進むという行為に似てる。
いずれ2階に辿りつくし死ぬ。でも一生懸命に登ってもゴールが見えてくるとやる気をなくすし意味なく感じる。立ち止まっても歩いても走っても這っても同じ様に2階についてしまう。そしていつ頃着くのかも予想がついてしまう。だから今いる立ち位置で何もやる気が起きない。
ゴールの先にも果てしないフロアが広がる光景があるはずだけどそれもあえて見ない。それも見ずに1階を見つめながらゆっくりと下へ進む。するとゆっくり2階に向かうけどいつ着くかは分からないし、1階の光景もゆっくり遠ざかって見えるが、自分はちゃんと進む行為をしてる。2階の光景は誰も知らないのに想像の限りを尽くされてる。知識が増えると想像をしやすくなることが虚無の原因だ。誰も1階のフロアを見ることはできないし知らないことが逆に安心に繋がる。
「進めるんだ生まれる前に」と思うと虚無から開放される。
生でも死でもない行為をしている。
生まれる前に戻るというのは知らなくなっていくという事ではなく、知っていることの解体に近い感覚だ。レゴブロックの取説を後ろから読んで完成品を分解する感じ。
これならどうなるか想像がつきにくいしわからない。
その過程も楽しめるという一石二鳥だ。
以上です。




