第74話「揺れるハサミの行方」[18]
「そっか、だから……この店に隆太さんが来て、ずっとここにいたのもそのためだったんですね!」
納得したようにうなずきながらも、胸の奥にわずかな痛みが広がるのを感じた。
でも、不思議と胸に広がるのは嫉妬や悲しみではなく、彼の幸せそうな姿を見られる喜びだった。
「(隆太さんが幸せなら、それでいいんだ。それが、きっと私にとっても一番の幸せなんだから)」
「驚かせちゃったかしら?」
佳代はくすくすと笑いながら頷く。
「でも、清宮さんと佳代さん、お似合いなご夫婦ですね」
葵は微笑みながら、その言葉に心からの思いを込めた。
佳代が微笑みながら隆太の肩に触れ、「そろそろ時間ね」と呟いた。
その瞬間、店の入り口が開き、小さな足音が軽快に響いた。
「パパ!」
店内に駆け込んできたのは、隆太の息子、隆一だった。
「隆一!」
隆太は驚きながらも微笑み、隆一を抱き上げた。
「えっ……お子さんも……」
葵の驚きは最高潮に達していたが、佳代は微笑みながら頷いた。
「そうなの。この子が、私たちの大切な家族よ」
「(やっぱり……そうだったんだ。隆太さんには、すでにこんなに素敵な家族がいたんだな)」
心の奥にしまい込んでいた想いが、不意に溶けていくような感覚だった。
それは、切なさと安堵が入り混じる不思議な感情だった。
「(私が抱えてきた想いは、きっと隆太さんに伝わることはない。それでも、これで良かったんだ)」
複雑な気持ちが胸を満たす中、葵は無理に笑顔を作るのではなく、静かに微笑みを浮かべた。
「(隆太さんには、こんなに素敵な家族がいる。これが隆太さんの幸せなんだって、私は知っている)」
胸の中にぽっかりと空いた穴のような感覚を覚えながらも、その隙間を埋めるように彼の幸せそうな姿が広がっていく。
「(それでいい。それが、私にとっても幸せなんだから)」
胸の奥にじわりと冷たいものが広がるのを感じた。
それは彼女が知らず知らずのうちに抱えていた小さな希望――隆太がまだ自分の手の届く場所にいるかもしれないという、儚い夢が消えていく感覚だった。
「(ずっと心のどこかで、隆太さんは私にとって特別な人だって思ってた。でも……)」
葵は心の奥底で、その想いを抱き続けてきた自分に気づいた。
胸が締めつけられるような痛みと同時に、不思議なほどの安堵感が彼女を包む。
「(幸せそうな隆太さんの姿を見られる。それだけでいい。これが、私が求めていた答えなんだ)」
彼女は静かに息を吐き出し、胸の奥に広がる切なさをそっと飲み込んだ。
葵はそっと目を伏せ、心の中にしまい込んだ想いを静かに見送るような気持ちで言葉を紡いだ。
「素敵ですね……本当に幸せそうで、見ているだけで嬉しくなります」
「パパ、今日の髪すっごくかっこいいね!」
「本当か?」隆太が笑いながら頭を撫でると、隆一は「うん!前よりもっとパパらしいよ!」と嬉しそうに声を弾ませた。
隆一の純粋な言葉に、隆太は少し照れながらも笑顔を見せた。
「葵ちゃん、本当にありがとう。隆太くんをこうして元の姿に戻してくれて……家族として、心から感謝しているわ」
佳代の言葉に、葵は微笑みながら頷いた。
「素敵ですね……本当に幸せそうで、見ているだけで嬉しくなります」
葵の言葉に、佳代も穏やかな笑顔を返した。
店内の温かい空気の中、優里が一歩後ろからその光景を見つめていた。
隆太と佳代、そして無邪気な隆一の姿に向けられる葵の微笑み。
それは一見穏やかで、心からの祝福を感じさせるものだったが、優里はふと葵の瞳に宿るかすかな揺らぎを見逃さなかった。
「(葵さん……無理して笑ってないですか?)」
優里は心の中でそう呟きながら、葵の表情の奥に潜む切なさに気づいていた。
「でも……葵さん、本当に清宮さんの幸せを喜んでるんですね」
優里は、自分とは違う葵の強さに、心の底から感嘆していた。
「すごいです。こんな状況でも相手を祝福できるなんて……」
その思いが自然と彼女の胸に広がり、優里は静かに息を吐いた。
「葵さん、告白しなくて本当によかったですね……」
優里の心の中の声は、微笑みを通り越してツッコミに変わりつつも、葵への尊敬の念が深く込められていた。
耳元のイヤリングがそっと揺れ、葵と清宮隆太を繋ぐ不思議な絆を象徴しているように、月明かりの中で静かに輝いていた。
葵は心から隆太と佳代、そして隆一の幸せを願い、優里とともに「HAIRSALON-LIFE-」を後にしたのだった。
きっとまた、隆太が人に勇気と自信を与える美容師になることを願って―――。
―――新しい髪型、新しい物語。葵が紡ぐ、幸せのカットはまだまだ続く。




