第65話「揺れるハサミの行方」[9]
「あのとき渡したイヤリングが……こうして誰かの自信の象徴になるなんて……」
そう思うと同時に、隆太は自分の中に眠るかすかな希望に気づいた。
「俺がやったことにも、もしかしたら意味があったのかもしれない……」
ほんの一瞬だけ隆太は考え込んだ。
「そのイヤリング俺が昔、葵ちゃんに渡したものだよね……。俺が“自信を持て”って言いながら渡したイヤリングが、こうして次の誰かに繋がっているなんて……」
彼の言葉は途中で途切れる。
「いや、俺があのとき葵ちゃんに何かを与えられたなら……それは、ただの偶然だったんだろうな。こんな俺に、そんな力があるはずがない」
呟く声には、期待と否定が入り混じっていた。
「隆太さん!」
優里の言葉で我に返った葵も勇気を出して前に出る。そして力強く言葉を紡いだ。
「隆太さんがいなければ、私は美容師になれませんでした!」
葵は涙を浮かべながら、声を震わせる。
「私が高校生だったとき、ただの臆病な女の子でした。自分のことが嫌いで、未来に何の希望も持てなかった。だけど、隆太さんがカットをしてくれて、『自信を持って』と言ってくれたあの日、初めて『私も何かを変えられるかもしれない』って思えたんです!」
葵は手を握りしめ、力を込めて言葉を続けた。
「だから、今度は私が隆太さんにその言葉を返します!『自信を持って』――隆太さんなら、きっともう一度ハサミを握れるはずです!」
その言葉に、隆太は小さく息を吐いた。
「……本当にそう思うのか?俺なんかの言葉が……施術が本当に役に立ったのか……」
「思います!」
葵は力を込めて答えた。
隆太は葵の言葉を受けて、静かに息を吐いた。
「俺の言葉が……か」
少し俯いて、自分の中でその言葉を何度も繰り返すように呟く。
「でも、俺は……」
自分の言葉を信じることができない。いや、信じたくても信じられない自分がいる。
「俺が誰かの役に立ったと言われるのは嬉しい。でも、それを受け入れるだけの自信が、今の俺にはないんだ……」
弱気な隆太の発言を目の前にしながらも葵は更に続ける。
「隆太さんが『誰かの人生を変える力がある』と教えてくれたから、私は美容師になれました。そして今、私も誰かの人生を変えるお手伝いができるようになったんです!」
葵の目には涙が浮かんでいた。
「山田さんから隆太さんがスランプに陥った原因を伺いました。手根管症候群やお客様のカット失敗のこと、とても辛かったと思います」
葵は一瞬言葉を詰まらせ、深く息を吸った。
「でも、それで終わりにしないでほしいんです。私は、隆太さんに救われました。だから、今度は私が隆太さんを救いたいんです!」
彼女の瞳は涙で潤んでいたが、その奥には確固たる意志が宿っていた。
「美容師としての隆太さんを憧れているだけじゃなく、心から尊敬しています。だから、隆太さんがどれだけ辛くても、一緒に乗り越えたいんです!」
浮かんでいた涙が溢れ出す。
「それでも……それでも……私は諦めたくありません!」
葵は涙を拭い、真っ直ぐに隆太を見つめた。
「隆太さんが、自分を信じられないなら、私が信じます。隆太さんがどんなに迷っても、私は絶対に隆太さんの背中を押し続けます!」
彼女の言葉には揺るぎない決意が込められていた。
「隆太さんが私を救ってくれたように、今度は私が隆太さんの力になりたいんです!」
その言葉を聞いた優里も涙が溢れていた。
「私にとって隆太さんは、今でも憧れで心から尊敬に値する美容師です!」
葵は涙をこらえながら、ハサミを握る仕草をしてみせた。
「この手にハサミを持てたのは隆太さんのおかげなんです。今の私があるのも、優里さんがこんなに自信を持てたのも、隆太さんのおかげなんです。だから、私は信じています。隆太さんもきっとまた、誰かを幸せにするためにハサミを握れる日が来るって!」
彼女の瞳には、迷いも恐れもなく、ただ隆太を救いたいという強い想いが宿っていた。




