第58話「揺れるハサミの行方」[2]
葵の決意を固めたその表情に、彩花も小さく頷く。
「私の地元にある清宮さんが働いていた美容室に行けば何か手がかりがあるかも知れません……」
静かな空気の中で、彩花の言葉が確かに響く。
葵は深く息を吸い込み、一瞬だけ瞼を閉じた。
再び目を開けたとき、その瞳には強い決意が宿っていた。
「彩花さん、小さい頃に行ったというそのヘアサロンの場所を教えて頂けますか?」
彩花はバッグから小さなメモ帳を取り出すと、丁寧に文字を書き始める。
ペンが紙を走る音が静かな店内に響く中、葵はじっと彩花の手元を見つめていた。
「清宮さんがいなくなった後も、その美容室のことはずっと覚えていました」と彩花は呟くように言った。
「場所はここです。今でもこのヘアサロンは残っているので……行けばきっと何か手がかりがあるかもしれません」
メモ帳から切り離された一枚の紙が彩花の手から葵に渡された。
葵はその紙を両手で大事に受け取り、視線を落とす。
そこには丁寧な文字で住所と美容室の名前が書かれていた。
「ありがとうございます……」
葵は少し震える声で答えた。
彩花はふと目を伏せ、少しだけ言い淀んだ後、顔を上げた。
そして、まっすぐに葵を見つめながらこう言った。
「私も清宮さんには一度しかお会いしていないんです。それに、会うことが葵さんにとって本当に良い結果になるかどうかは分かりません。でも、葵さんがいつも誰かを幸せにしてきた姿を私は見てきました。葵さんが清宮さんに会いたいというなら私も全力で応援します!」
彩花の言葉が、葵の胸にじんわりと広がる。
彼女がこのように応援してくれるのは、葵自身が誰かの人生に影響を与えてきたからなのだろう。
それを自覚した瞬間、葵の心はさらに強くなる。
「私、そんな大したことしてないですよ」
そう言いながらも、葵の心の中には静かな温かさが広がっていた。
メモを受け取った葵は、その紙をじっと見つめた。
住所の文字が彼女の視界に鮮やかに浮かび上がる。
清宮隆太に会うということ。それは単なる再会ではない。
葵にとってそれは、自分が美容師として歩んできた道を振り返り、あの時、助けてもらえたことが今の自分に繋がっていることを証明するための決意でもあった。
「(もう一度、隆太さんに会いたい。そして私を変えてくれた人に、“ありがとう”を伝えたい)」
それはただの感謝だけではない。
葵の心の中で、その思いはますます熱を帯びていく。
彼女にとってそれは、ただの感謝では済まされないものだった。
あの人の教えを胸に、今の自分がどれほど成長したかを見せることが、私にできる最高の恩返しだと信じている。
葵はそっとそのメモを胸の前に持っていき、大事そうに抱えた。
そして静かに目を閉じる。
「(隆太さん、あなたは今どこにいますか?あなたに会いたいです)」
鏡の前に立つ私が、どれほど変わったかを見せたい。
あの日、自信を失っていた少女が、今では美容師として誰かを幸せにできるまでになった。
葵は祈りを終えると、そっと目を開けた。
強い決意が浮かんだ表情のまま、彩花に向かって一言、「ありがとうございます」と深く頭を下げる。
葵はその場に立ち上がり、胸に刻んだ問いを心の中で繰り返した。
――今の私を見て、あなたはどう思いますか?
店内の片隅――ハピネスカットを見守り続けてきたテディベア。
かつて清宮隆太のサロンで、訪れるお客様を見守り続けていた存在。
あの日、ゴミ捨て場で見つけた時、私はこの子を手放してはいけないと思った。
それは、隆太さんの思いを忘れないため。そして、自分の中で彼の教えを受け継ぐためだった。
今、そのテディベアの目が、まるで「頑張れ」と囁くように優しく輝いているように見えた。
私はこの子を見つめるたび、彼の言葉を思い出す。
――「美容師は、髪を切るだけじゃなく、その人の人生を変える力があるんだよ」
その言葉が私を美容師の道へ導き、この場所に立たせてくれた。
もしも隆太さんが私のことを忘れていたら――そんな不安がないわけじゃない。
それでも、もう一度会わずにはいられない。
私の人生を変えてくれたあの人に、今の私を見せるために―――。




