第50話「変わること、変わらないこと」[7]
梓がハピネスカットを出る頃、空は淡い茜色に染まっていた。
夕日に染まる路地を見下ろしながら、葵は扉の前で見送る。
「今日は来てくれてありがとうございました、梓さん」
葵が穏やかな声で言うと、梓は少し照れくさそうに振り返った。
「……私、また来てもいいですか?」
葵は驚いた表情を浮かべたが、すぐに優しい微笑みに変わる。
「もちろんです。いつでもお待ちしています」
梓は小さくうなずき、振り返らずにそのまま歩き出した。
その背中はどこか迷いが晴れたように軽やかだった。
店内に戻った葵は、席に座る優里に声をかける。
「さて、優里さんも仕上げ終わっていますのでお会計が終わり次第、帰宅して大丈夫ですよ」
そう言った葵に対して優里の表情はいささか神妙だ。
「葵さん、少しだけお話できますか?」
「もちろん。何かありましたか?」
優里は少し緊張した表情を浮かべながら、話した。
「葵さん、私……将来、美容師になりたいんです」
その言葉に、葵の目が少し見開かれる。
「美容師……?」
「葵さんに髪を切ってもらったとき、ただ見た目が変わるだけじゃないって分かったんです。」
優里はそっと自分の髪に触れた。
「自分でも気づかなかった気持ちを、髪型を通して引き出してもらえた気がしました。勇気が出たんです。私も誰かにそんな勇気と幸せを届けられる存在になりたい」
その言葉には、かつて自分が変わることに怯えていた弱さを越えた、確かな決意が込められていた。
「私は髪を切って変わることができました。でも、それは葵さんが私の気持ちを聞いて、背中を押してくれたからなんです」
優里はそっと自分の髪に触れながら続けた。
「私も、誰かの背中を押せる存在になりたい。ハピネスカットで、それを学ばせてもらえませんか?」
優里は真っ直ぐな目で葵を見つめる。
「葵さんは、ただ髪を切るだけじゃなくて、お客さんの心に寄り添ってくれる。それがすごく温かくて……私もそんな美容師になりたいんです。」
彼女の声は震えていたが、その瞳には揺るぎない光が宿っていた。
「ハピネスカットでなら、本当に人を幸せにする方法を学べる気がして……お願いです、ここで働かせてください!」
優里の言葉は、まるで魂を込めた叫びのようだった。
葵は優里の瞳をじっと見つめていたが、ふと視線を落とし、少しだけ遠い記憶に思いを馳せた。
「そう……私も、昔はあなたみたいに思っていました」
葵の脳裏に浮かんだのは、かつての自分と清宮隆太の姿だった。




