第32話「ハゲ・コンプレックス!!」[9]
カットが終わり、鏡を見た瞬間――俺は目を疑った。
「これが……俺?」
サイドはスッキリと刈り上げられ、トップには絶妙なボリュームが残されたスタイル。
薄毛だった頭が、オシャレで堂々とした印象に変わっている。
「すごい……」
俺は自然と声を漏らした。
鏡の中の自分に目を凝らす。
薄毛を気にして俯きがちだった俺が、こんなに堂々としたスタイルになれるなんて――。
「会社の飲み会で冗談交じりに『お前、ハゲすぎておっさんくさいな』と笑われたあの頃。
鏡に映る自分を見てがっかりした日々。
育毛剤を買っては塗りたくっていた日々。
ウィッグを購入してハゲを隠していた日々。
でも、今の俺は――少しだけ自信が持てる気がする。」
「とてもお似合いですよ。」
葵さんが柔らかく微笑む。
その笑顔は、鏡越しでも眩しいほどだ。
「これなら、自信を持って外を歩けますね。」
その一言が胸に響く。
自分の姿を誇れるなんて、今まで一度も考えたことがなかったからだ。
頭が軽くなり、気持ちも高揚した俺は、勢いに任せて言葉を紡いだ。
「あ、あの!葵さん、俺、実は――!」
その時、ふと視界の隅に何かが入った。
それは、棚に飾られた写真だった。
「……あれ?」
写真には高校生くらいの葵さんと、短髪の男性が写っている。
その男性は葵さんの肩を抱き、二人は笑顔を浮かべている。
「あ、その写真ですか?」
葵さんが気づき、懐かしそうに微笑む。
「あの人は、清宮隆太さん。私が高校生の頃、憧れていた美容師さんなんです。」
「憧れ……?」
「はい、彼が私をショートヘアに変身させてくれたんです。
初めて髪型で自信を持てるようになった瞬間でした。」
葵さんの声にはどこか温かさが混じっていた。
「憧れの人……か」
写真の中の美容師・隆太さんは、俺の想像以上に完璧だった。
髪型、笑顔、佇まい――すべてが「お洒落」を体現しているようだった。
その人を憧れだと言う葵さんの笑顔は、俺が知っているどの笑顔よりも幸せそうだった。
きっと葵さんはその"清宮隆太"に惚れているのだ。
憧れのイケメン美容師と薄毛の俺―――勝ち目がないことは明白だった。
(でも、それでも俺は―――)
俺が固まっているのを見て、美樹がニヤニヤしながら近づいてきた。
「ねえ、おっさん。もしかして葵さんのこと本気で好きなんでしょ?」
「なっ!?」
驚いて声を裏返した俺を、美樹は冷静に見つめる。
「わかりやすいんだよ。さっきから目が葵さんに釘付けだし、今だって告白しようとしてたでしょ。」
図星すぎて反論する言葉が見つからない。
そんな俺を見た美樹が悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「まあ、応援してあげてもいいけど。その代わり、失敗したら面白そうだし!」
「(お前な……!)」
心の中で叫んだが、言葉が出る前に美樹は行動を起こしていた。
その顔に、何か企んでいるのが見え見えだった。
「葵さん!」
美樹が突然大声で呼びかけた。
「このおじさん、葵さんに言いたいことがあるんだって!」
「は!?お前何言って――!」
言葉を遮られる形で、葵さんの目が俺に向けられる。
「輝太郎さん、何か話が?」
微笑む葵さんの目に見つめられ、俺は逃げ場を失った。
「(おい美樹!余計なことするなよ!)」
心の中で叫びながらも、口を開くしかなかった。
美樹はニヤニヤしながらも、すれ違いざまに小さな声で呟いた。
「ガンバレ!おっさん!」
その声に、ほんの少しだけ優しさを感じた気がした。
「あ、あの……実は……その……!」
―――ええい、ままよ!!!
「俺、実は――!」
棚に飾られた写真――清宮隆太という存在が俺の胸を刺す。
完璧すぎる美容師と、ただの薄毛サラリーマンの俺。
勝ち目なんてあるはずがない。
でも、それでも――俺は、葵さんに伝えたい。
「(俺の言葉が届くのか、それとも――)」
次の瞬間、俺は大きく息を吸い込み、口を開いた――!




