第1話「幸せカットをあなたへ」[1]
太陽が街を包み込む、穏やかな午後。
街の裏道にひっそりと佇む小さな隠れ家のような美容室「ハピネスカット」。
店内はこじんまりとしているが、白を基調としたシンプルなデザインに小粋な窓ガラス。
"Happiness Cut"と表記されたオシャレな看板。
店内にちょこんと座るテディベアのぬいぐるみが窓から差し込む陽の光を浴びながら今日もお客様を待っている。
テディベアの隣には2枚の写真が写真立てに並び、上品な花瓶にヒヤシンスが挿さる店内。
白を基調とした小綺麗な店内は初めてのお客様でも戸惑いなく誘うことができるだろう。
そして、そこには小柄でおとなしそうに見える一人の人間。
彼女こそが、この美容室―――"ハピネスカット"を取り仕切るオーナー兼美容師。
黒いTシャツにジーンズ姿。耳にはワンポイントとなるピアスに首には上品なネックレス。
スタイリッシュなショートヘアをしている女性美容師―――藤井葵(ふじい あおい)は今日もお客様のためにハサミを使いこなしていた。
彼女は、この街では隠れた評判を持つカット―――特にショートスタイルが得意な美容師だった。
彼女の手にかかれば、どんな髪の長さも魔法のように変身し、お客様の顔に笑顔を引き出すことができた。
そして彼女が経営する美容室「ハピネスカット」ではそんな彼女に髪をカットしてもらいたいお客様が訪れる。
春の静寂。時はゆっくり流れ、やがてお客様の足音が聞こえてくる。
美容室の扉が開く音が響き、入ってきたのはスカートスタイルのスーツに身を包んだ若い女性。
髪はセミロングで、少しパーマをかけた黒髪が軽やかに揺れていた。
葵は一瞥して、彼女が初めてのお客様だと分かった。
美容室の中は、明るい陽光が差し込む窓から、穏やかな雰囲気がただよっていた。
周囲を見渡した時、まっさきに目につく可愛らしいテディベアのぬいぐるみが、まるでこの「ハピネスカット」の守り神のように店内を見守っているようにも見えた。
「いらっしゃいませ、ハピネスカットへようこそ!」
葵は笑顔で女性に声をかけた。
「初めてのご来店ですね!まずはこちらにお客様の情報をお願いします」
葵は来店したお客様に、自身の名前や髪の状態などを書かせるカルテ書類を渡した。
そそくさと自身のカルテを書き終え、カルテを葵に手渡す。葵はそれをサッと読み終える。
「鈴木真由美さんですね。初めまして、私は藤井葵と申します。どのようなスタイルに変身したいですか?」
真由美は緊張しながら美容師の葵に向かって言った。
「最近、髪の毛が扱いにくくなってきて、何か変えたいんですけど…」
葵は真由美の髪を観察しながら、慎重に言葉を選んだ。
「確かに、髪の毛が少し傷んでいるようですね。それに、長い髪はお手入れが大変ですし、ストレスがたまりやすいですよね。」
真由美はうなずいた。
「そうなんです。仕事が忙しくて、自分に手が回らなくて…」
―――そう、仕事。
真由美の心の奥に、ここ数ヶ月抱えてきた重い気持ちがずしりと響いた。
最近は失敗ばかりだった。
営業職として多くの会社を回り、提案を重ねてきたはずが、結果がついてこない。
提案は通らず、顧客からは冷たい態度を取られる日々。上司から叱責を受けるたびに、胸の奥に自信を失う音が響くようだった。
「鈴木さん、疲れてる?」「無理せず休んだら?」こんなことばかり言われ続ける。
「こんなはずじゃなかったのに」そう何度も自分に言い聞かせてみても、空回りする思いだけが増えていく。
いつしか、心のエネルギーが尽きていることに気づいていた。
"慣れてきた"と言える仕事すら、最近は重荷に感じる。スランプ。停滞。自分を変えたいという気持ちだけが、もがき続けていた。
そんなことが続き、落ち込んで、きっと私の顔にも疲れが出ていたのであろう。
悪循環はかくなきも続き、パーマのかかった髪も表面上はセットしていても、ツヤがなくなり枝毛が増えている状態だった。
思えばそんな失敗続きで私は元気をなくしていたのかもしれない。
葵は真由美の沈黙を察して、そっと微笑む。
「髪型って、自分を映し出す鏡みたいなものです。気分が落ち込むと、お手入れも後回しになっちゃいますよね。でも、思い切って変えればきっと気持ちも変わります。」
真由美は驚いたように葵を見上げた。
まるで、自分の心を見透かされているかのようだった。
「私、変われるでしょうか…?」
気づけば、その言葉が口をついて出ていた。
葵は穏やかに頷きながら、真由美の目をまっすぐに見つめた。
「もちろんです。髪型を変えるのは、自分を変える第一歩ですから。一緒に新しい真由美さんを見つけましょう。」
その言葉は、まるで小さな光が差し込むように、真由美の心に希望を灯した。
気が付いたら自分の気持ちを吐露していた。
どこまで話していたのか、もはや覚えてもいないが不思議とこのスタイリストにはなんでも話してしまう、話しやすい、そんな雰囲気があった。
目の前にいる葵というスタイリストはただただ私の話を聞いて頷いてた。
やがてーーー、葵は真由美の悩みに共感し、彼女に提案した。
「それなら、ショートカットにしてみてはいかがでしょうか?手入れが楽になるだけでなく、印象も変わりますし、新しい自分に出会えるかもしれません。」
真由美は驚いた表情で葵を見つめた。
「ショートカットですか?私、そんなに短くしたことないんですけど…」
葵は真由美を励ました。
「大丈夫ですよ。私はショートカットのスペシャリストですから、あなたに似合うショートボブを提案します。タイトなショートボブにすることで、首筋がすっきり見えるし、お顔まわりも引き締まって見えますよ。」
葵の言葉に、真由美の顔に少しずつ笑顔が浮かんできた。そんな彼女を見つめながら、葵は、新しい髪型で目の前のの人生が変わることを期待していた。
「はい……、それなら、思い切ってやってみようかな」
葵の言葉に心を打たれた真由美は、ショートカットにすることを決意した。
「それじゃあ、始めますね。リラックスしてお任せください。」
葵は優しく微笑んで、ハサミを手に取った。
まず、葵は真由美の髪を濡らし、適度な湿り具合に整えた。
そして、髪をセクションに分けて、クリップで止める。
彼女の手際は素早く、しかし丁寧だった。
最初の一切り、真由美の長く伸びた後髪の首元にハサミが入り長い髪を切り落としていく。
カットを始めた葵の瞳に一点の迷いも曇りも感じることなく切り進めては床に長い髪を落としていく。
「今日はどんな一日でしたか?」
葵はカットしながら、真由美との会話を楽しんだ。
真由美は少し緊張しながらも、仕事の話やプライベートのことを打ち明けた。
葵は彼女の話に耳を傾け、共感や励ましの言葉をかけながら、ハサミを動かし続けた。
カットが進むにつれ、真由美の髪は次第に短くなっていった。
葵は真由美の顔の形や骨格を考慮しながら、前髪やサイド、後ろの髪を丁寧に整えていった。
カットが終わると、葵は真由美の髪を乾かし、仕上げのスタイリングを施した。
「あなたの魅力、引き出しました!」
次の瞬間、真由美は変身した自分の姿に驚いていた―――