第八話 茶々の覚悟と、恒興の最期
「老いたわねぇ……勝家も。利家が離反する前に、動くべきだったわ。盛政の破竹の如き勢いに乗って、暴略に任せて軍を進めていれば、武運拙く敗れたのは秀吉だったはずよ」
賤ヶ岳で柴田軍が総崩れとなった話を茶々から聞き、帰蝶は涙ぐむ少女を抱きしめた。茶々の母お市は清須の会合の後、柴田勝家に嫁いでいた。勝家がかつて信長に反旗を翻したのは、お市に懸想していたためと揶揄されたが、あながち間違いではないのかもしれない。
「それにしても、同じ男に二度も城と夫を奪われる事になるなんて、不憫な義妹⋯⋯」
抱きしめている娘も、それは同じだ。帰蝶が三人の娘と面会したのには理由がある。お市からの遺言で、秀吉に慰み者にされる.前に、帰蝶に会うように伝えられたのだと言う。ねね達以上に、帰蝶とお市は仲が良かった。政略結婚は当たり前の世の中で、敵地に等しい織田家に単身嫁いで来た帰蝶の事を、お市が尊敬の念で見ていたからだった。
茶々は母から信長や帰蝶の話を、随分と脚色して聞かされ育っていた。その茶々や妹たちがいったん秀吉の妻のねねに預けられた。偶然ねねのもとを訪れた茶々は、物語で聞いた帰蝶の姿を見て、飛びついたのだ。
「気丈な娘が帰蝶様の前だと、娘らしくなるんだね」
しっかり育てられていた証でもある。茶々は主筋の娘であり、ねねは家臣の妻。それも敵対し、滅ぼした側の。それが戦乱の世の日常だとしても、冷たい態度を取ってしまうのが人の感情だった。
帰蝶は母から見ると兄嫁であり、茶々と同じく自分の生家を滅ぼされている。これから自分に降りかかるであろう、悍ましい気持ちを一番わかるのは同じ立場の帰蝶なのは当然だった。それがわかるから帰蝶はねねの為にも連絡役にしたのだ。
「奪われるという意味では、ねねとあなたは同じよ」
優しく抱きしめながら、帰蝶は残酷な事実をあどけなさの残る少女に叩きつけた。茶々の考えではなくても、茶々自身が秀吉に寵愛される事になるのは目に見えていた。それはねねから夫を奪うのと同じだ。
「……ごめんなさい、ねねさま」
信長と同じ血が流れているようで、茶々は自分の過ちに気づくとすぐに詫びた。女には女の戦いがあるというが、彼女たちの戦場は城の中で起きていた。
「ねねは、秀吉に疎まれ殺されかけたわ。だからあなたの助けになってくれるはずよ」
秀吉に怨みを持つもの同士が密かに手を組み、表向きは敵対しているかのように見せることになる。しばらくは秀吉を使って天下をまとめるために動く事になるが、天下静謐となった後に、綻びが必ず生じ始める。茶々はここに来て初めて笑った。築きあげたものが簡単に奪われるさまを、秀吉に見せつけてやれるのだと思うとゾクゾクするようだった。
◇
「二度も落城を目にすれば、幼き魂にも怒りが刻まれるんだね」
帰蝶が三条西家に戻ると、公国が他人事のように呟いた。長宗我部家のもとから戻って来た光秀と一緒に出迎える。公国は相変わらず皮肉めいた口調で帰蝶の労を労ってくれた。
「それで……茶々は会ってみてどうなのだ、姫」
疲れた表情の光秀が、お市の娘達について興味深そうに尋ねる。今後の事に関わるので知りたいようだ。光秀がくたびれているのは、長宗我部家でかなり揉めたせいだろう。死んだはずの男が現れたのだから無理もない。
「良くも悪くも戦国の娘ね。稲葉山城と、本能寺と、二度の滅びもわたしと同じと泣いてくれたわ」
少し事情が違うのだけれど‥‥そう言って帰蝶は苦笑いをする。帰蝶は信長と結ばれ、思いを交わし合っての滅びなだけ茶々よりは辛くない。
「あの娘の支援は当面はねねと公国さまに任せますね。気丈で強い反面、脆いと思うから」
仇に身を任せ生きていく辛さなど、想像するだけで苦しくなる。まして相手は秀吉。信長という枷のなくなった男が、天下を得て、どこまで傲慢になるのか帰蝶にもわからなかった。
「天下の仕置きと改革は、秀吉にさせるとして、徳川に勝たせる算段はついたのか」
「えぇ。どのみち次に狙われるのは信雄だから、口火を切らせて秀吉の優位に進めさせる」
「難儀な役割だな信雄も」
「あなたの方が大変よ、公国」
「信雄が保護する者達はどうなるのだ」
「賦秀に攻めさせ、役割を引き継いでもらうわ。光秀は家康殿の手助けを頼むわね」
秀吉の動きを手に取るように理解し、帰蝶は手を打つ。光秀と公国は呆れつつも協力して動く。秀吉の狙いは力を残す織田家側の人間の一掃だ。柴田勝家、織田信孝が滅んだいま、残すは織田信雄と徳川家康だった。そこに池田や森などが含まれている事を、帰蝶は看破していた。織田信長の乳兄弟など目障りで仕方ない。領土を失った娘婿のために恒興が意見して来るのを理由に、死地へと送り込むつもりなのだ。
明智や柴田との戦いで共闘したにも関わらず、秀吉は織田家の遺児、織田信雄に厳しくあたりだす。あからさまな挑発行為で戦の口実にして滅ぼしたいためだ。
うつけの信雄は簡単に挑発に乗った。手を組んでいた蒲生と争い、助力を申し出て同盟を組んだ徳川を巻き込んでの大戦となる。秀吉がほくそ笑む姿が見えるようだ。
◇
総兵力十万を超える羽柴勢に対して、織田・徳川連合は三万。柴田軍を破り、勢いは羽柴勢にある。
天正十二年三月、徳川勢が清須へ到着した頃、池田恒興、森長可らが犬山城を襲撃、占拠した。
「光秀殿の言われた通りになりましたな」
家康は本多忠勝、本多正信を傍らに置き、光秀と対面していた。清須に入ってすぐに発ち、戦の要となる小牧へ軍を進める準備をしていた。信長が美濃を制するために拠点としたこの地は、逆から見れば尾張、三河方面へ抜ける壁になる。羽柴軍に先に占拠されて、防備を固められていれば徳川、織田連合は早々に敗れていただろう。
「信雄の誘導にかかった形だが、恒興達は気づかぬだろうな」
光秀が呟くと家康も頷く。羽柴の主力を伊勢ではなく美濃へ回すために、手柄に焦る森勢を誘い込んだのだ。
「犬山方面には伏せていた酒井勢と光秀殿が織田勢に扮して攻め入る。儂は忠勝らと小牧へ向かうぞ」
数の上では圧倒的な劣勢にも関わらず、徳川の士気は高い。声には出さないが戦を勝利に導く巫女がついているようなものだ。犬山城を落とし意気のあがる池田、森の軍勢は徳川勢へ攻め入る。しかし森勢の突出を狙われ鉄砲隊を用いた挟撃と、光秀による強襲であえなく敗走した。
羽柴軍の先遣隊を追い払った家康は小牧に布陣し強固な要塞を築く。羽柴側も楽田に到着すると、防衛陣地を作りだした。初戦の快勝に浮かれた羽柴軍は否応なしに長い対陣を求められる形になったわけだ。そしてようやく織田、徳川両軍の狙いに気づく。
「北では佐々成政が、西は雑賀衆に長宗我部元親が動き出しましたぞ」
待ちに待った帰蝶からの知らせが届くと家康は、戦の趨勢を察した。この戦いは徳川の方がいまだ厳しい。細かな敗走など気にせずに、羽柴側が全兵力を集め三河まで突撃するような蛮行をすればあっさり負けていたであろう。羽柴勢力の包囲網は、秀吉に全力を出させない策略であった。
池田恒興が歴戦の将として、この事態を好ましく思わないのは当然だった。かつての主君信長が似たような状態に追い込まれた記憶もある。いかに秀吉が好かないとはいえ、盟友の危機を放っておける男でもなく、娘婿の森長可のためにも危機を脱する手柄とするのは今しかないと考えた。先の失態を取り返したい気持ちも強かった。
恒興は自身で五千の兵を率いて、密かに進軍する。羽柴、徳川の主力が着陣し膠着状態になっている。柴田勝家との戦いで秀吉が岐阜の信孝攻めを行ったように、三河へ侵入し、あわよくば徳川軍に兵を退かせて挟み撃ちにしようとしたのだ。
長可が三千の兵を率いて後へ続く。この戦いで決しても良いと考えたのか、秀吉は堀秀政に三千、さらに総大将として秀次に九千もの兵を預け、策戦の後押しを行った。三河攻めで万一の事があっても、退路は確保出来る。恒興とて馬鹿ではないから秀吉が自分を疎ましく思って潰す算段をしているのを知っていた。だから後詰めなどあてにしてなかったのだ。
羽柴勢の動きをうけ、家康も軍議を開いていた。池田、森の両軍を引き入れたはいいのだが、徳川軍としても兵力不足の問題がある。羽柴本陣に気づかれては元も子もない。
「我ら徳川勢はまず確実に敵の総大将、羽柴秀次を叩くのが先決だ。岩崎は落ちるやも知れぬが‥‥」
「そこは織田勢に期待するしかないか」
「堀秀政は機を見るに敏な男だ。その分見切りも早い。総大将を叩けば撤退するだろう」
「ならば我らは総大将羽柴秀次を討つ!」
家康は忠勝と正信の顔を見て決を採る。勢いを増す羽柴勢との戦を危惧するものはいる。この一戦はそれを払拭する良い機会でもある。敵の本隊が壊滅となれば、池田軍と森軍は袋の鼠だ。羽柴勢が背後を気にしなければならない間に、ゆっくりと片付けてしまえばいい。万一の為に、忠勝は秀吉本隊の妨害へ回る。敗戦の報を受け取れば秀吉は深入りしないと読み切っていた。
軍議の後、家康は正信を伴い、織田勢を率いる光秀のもとへ顔を出した。徳川勢が羽柴秀次の部隊にあたるということは、池田や森には光秀が出向く事になる。
「秀吉に都合良く、池田、森の両軍を動かして見せたのは帰蝶様なのだろう。光秀殿は彼らを討てるのか」
かつて織田家で共に戦った中でも、池田恒興という男は、信長の乳兄弟でもあり特別な存在だった。光秀とも然程悪い関係ではなかったように家康は記憶していた。
「だからこそ討たねばならぬ。あの男は結局信長様に忠実過ぎるのだ。秀吉のみならず、家康殿が天下を取ったとしても同じだ」
信長亡き今、腫れ物のように扱われているのは、池田恒興自身も感じているように見えた。信長の死と共に恒興の夢も潰えた。そんな男を生かしていては、将来の禍根を残す。
「姫が申すには、この戦‥‥三つの意義がある。一つは徳川家の強さとしぶとさを徹底的に秀吉に知らしめること。もう一つが信雄の無能さを信じさせること」
その二つは前から聞いていた。家康を徹底的に潰しにかかっても手強いと知れば、秀吉は逆に家康を信用すると。それに秀吉が信雄への疑惑をなくせば和議に応じる。信雄は不利な条件でも受け入れ降伏すると。
「この戦の意義、三つ目は池田恒興の死に場所を作ること。明智を討ち、柴田が滅び、滝川は衰え、丹羽は靡いた」
細川藤孝は別として、織田家中で恒興だけが浮いていた。死に場所を求めて彷徨う男など、敵でも味方でも厄介極まりない存在だった。
「おそらく秀吉は家康殿に充てる事で相殺を狙ったのだろう」
要するに死兵を差し向けての嫌がらせだ。森長可という鬼武者付きの。
「長可は私が引き受けるゆえ、秀次を潰走後は頼み申す」
死地へ向かっているなど、当の恒興や長可は思っていなかった。三河へ侵入し、信長の見た天下を自分達が再び再興させる気概でいた。
しかし味方である秀吉からも死を望まれた恒興達は、徳川・織田の連合軍に次々と襲撃され討ち死にした。本当に彼らが死に場所を求めていたのかは定かではない。
秀吉を見返すにしても、歴戦の猛者らしからぬ強引さから、そう判断されただけかもしれない。恒興達があっけなく壊滅した裏には、信長の夢の最大の理解者、帰蝶の蝶の姿と水色桔梗の紋の旗印に戦意を失ったとも噂された。
三河方面の侵略作戦の失敗を聞き、秀吉は救援の軍の足を止めさせた。各地で小競り合いが続くものの、家康との対峙には悉く羽柴側に不運が訪れる。信雄が降伏を受け入れた後も、秀吉は徳川討伐に乗り出すが、畿内を中心とした大きな地震で、食糧庫としていた大垣城などが被害を受けた。まるで戦の女神が家康についているような錯覚すら感じ、秀吉は家康との和睦を決意する。
家康は子を質に出し、秀吉が関白の座に就いた後は、不気味なくらい従順になった。後の厳し過ぎる検地や、切支丹への強い当たりは、秀吉自身の不安を良くあらわしていた。
明智の残党を匿うものが小さな農村にいないか虱潰しに探していたのだろう。そして奴隷商を営む伴天連達へも疑いがあったようだ。奴隷と称して明智方の人間が密かに救われ、南蛮人の武力と共に真の仇討ちへやって来る可能性を、秀吉自身が否定出来なかったためだ。実際そう見せかけて動いていた帰蝶の策に、光秀は感心せざるを得なかった。
織田・徳川連合の消滅により、秀吉を取り巻く敵対勢力も各個撃破され鎮まっていった。佐々などは自ら協力を要請に動いたり、北条家も徳川とは仲を保ちつつ、秀吉への矛を収めることはなく、後の大戦へとつながってゆくことになる。